第二話 白環の選定
ここでは、何かが消える。
死ぬのではない。
壊れるのでもない。
最初からなかったことにされる。
その感覚だけが、アルトの中に残っていた。
確信に近いのに、証明できない。
声も、形も、記憶もない。
それでも――
(あった)
胸の奥に棘のように残っている。
広間の空気は冷たい。
季節の冷たさではない。
均されている。
温度も、音も、揺らぎも。
すべてが同じ密度で整えられている。
柱の間に風はない。
それでも首筋だけが冷える。
光は真っ直ぐ落ちる。
塵さえ、決められた速度で沈んでいるように見えた。
(……気持ち悪い)
円環紋が足元で脈打つ。
さっきまで五つあった席は、四つしかない。
最初からそうだったように。
(違う)
断言する。
さっき、確かに五つあった。
だが。
思い出せない。
誰がいたのか。
どこに座っていたのか。
何も掴めない。
記憶だけが削られている。
「聖女様」
レオンハルトの声が落ちる。
感情はない。
確認だけがある。
「継続に支障はありますか」
リゼリアはすぐに答えない。
アルトを見る。
視線が合う。
逃げない。
だが――わずかに遅れている。
「……問題ありません」
静かな声。
「現時点では、齟齬は確認できていません」
まただ。
“確認できていない”。
否定しない。
余白を残す言い方。
(見てるな)
同じものを。
だが言わない。
言えない。
この場では。
「では継続します」
レオンハルトが言う。
それだけで、空気が動く。
侍者が配置につく。
灯具の火が揺れない。
香炉から煙が上がる。
青く冷たい匂い。
肺の奥に入る。
思考が鈍る。
(……これ、嫌だ)
「候補者、前へ」
四人が動く。
アルトは踏み出す。
足音。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
よっつ。
――一つ多い。
(いる)
振り返らない。
今は見るな。
消える。
そう分かる。
円環の内側へ。
光が足元を囲む。
レオンハルトが記録具を受け取る。
金属の板。
光が走ると、文字が浮かぶ。
(記録)
世界と照合された“正しさ”。
人の記憶より優先されるもの。
(……だから消せるのか)
人の記憶ごと。
「名を」
槍使いが出る。
「レイド・カルナック」
空気が震える。
「照合を確認」
短い。
次。
「ミレア・ルーン」
「照合を確認」
終わる。
何も残らない。
ガルド。
「ガルド・ゼイヴァ」
「照合を確認」
安定している。
揺れがない。
そして。
アルトの番。
前へ出る。
光が強い。
視界が白む。
「名を」
レオンハルトの声。
アルトは息を吸う。
「アルト・エルディアス」
――違和感。
ほんの一瞬。
自分の名前が、遠い。
(……違う)
誰かの名前を借りたような感覚。
だが。
否定できない。
「照合を確認」
レオンハルトは言い切る。
その瞬間。
空気が軽くなる。
(終わった?)
いや。
“揃った”。
そういう感覚。
アルトは戻る。
ガルドが言う。
「詰まってたな」
「……少し」
「緊張か?」
「違う」
即答する。
ガルドが一瞬だけこちらを見る。
だが何も言わない。
リゼリアが前に出る。
両手を差し出す。
光が集まる。
四本の線。
枝のように分かれ、戻る。
アルトの光だけが揺れている。
定まらない。
(……俺だけ違う)
リゼリアの指先がわずかに震える。
見ている。
確実に。
アルトの光を。
「どうしました」
アルトが聞く。
「……問題ありません」
間がある。
隠している。
「進行を妨げないでください」
レオンハルトが遮る。
冷たい。
それ以上を許さない。
リゼリアが目を閉じる。
光が動く。
収束する。
一つに。
誰かが選ばれる。
その過程が、見えている。
(削られてる)
選ばれるのではない。
残るだけだ。
その裏で。
消えている。
(さっきのも)
祭壇の奥を見る。
四つの席。
だが。
そこに“余白”がある。
何もないのに。
そこだけ密度が違う。
(いた)
確信だけが残る。
リゼリアが息を呑む。
同じ場所を見ている。
(やっぱり)
彼女も見えている。
「照合結果を提出」
光が強まる。
剣の形が浮かぶ。
一本だけ残る。
レオンハルトが言う。
「選定を確認」
空気が締まる。
「勇者は――アルト・エルディアス」
名前が響く。
鐘が鳴る。
祝福。
周囲が頭を垂れる。
だが。
アルトは動かない。
(違う)
確信がある。
選ばれた。
だが。
それだけではない。
(消えた)
何かが。
ここで。
確実に。
「……なあ」
アルトが言う。
「本当に四人だったのか」
静まる。
レオンハルトが答える。
「その通りです」
即答。
「齟齬はありません」
否定。
完全に。
ガルドが言う。
「やめとけ」
低い声。
止める。
だが。
アルトは止まらない。
祭壇を見る。
四つの席。
だが。
(足りない)
リゼリアが言う。
「アルト」
視線が合う。
揺れている。
同じだ。
同じものを見ている。
それだけで分かる。
言葉はいらない。
この違和感を共有しているのは――
二人だけだ。




