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『魂を導く紋章師』  作者: nukoto


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第67話 こころの木(こだま)

 リアンの短剣が枝を裂き、風刃が飛び散る木片を薙ぎ払った。

 次から次へと迫る木の魔物は、幹に浮かんだ顔を苦悶に歪め、怨嗟の声を吐き出す。

 その呻きは耳を塞いでも染み込むようで、一本一本が魂の苦しみを形にしたかのようだった。


 百を超える木々が、大木を守るように取り巻き、なおも襲いかかる。

 だがその動きには、どこか迷いが混じっていた。

 守っているのか、それとも――救いを求めているのか。


「はぁ、はぁ……! こんな……斬り捨てるばかりじゃ……!」

 リアンは息を荒げ、左手の《風の精霊紋章》を強く輝かせる。

 風が唸り、短剣が閃くたびに枝は砕け、呻き声は途切れる。

 だが勝利の手応えはなく、胸に残るのは切り捨てられた声の残響ばかりだった。


 背後から、悠然とした声が飛ぶ。

「その調子よ、リアン。訓練にはちょうどいいわ」

 サラは大剣を抜かず、指先で銀のツバメを操り、迫る枝を細かく切り裂いている。

 幻の鳥が舞うたび、木々は音もなく倒れていった。

 その軌跡は遊戯のように軽やかで、しかし確実に命を断っていた。


「……遊んでる場合じゃないよ!」

「落ち着きなさい。息が上がってる。風を乱すと、刃も鈍るわよ」

「言われなくても――わかってるっ!」

 リアンは奥歯を噛みしめる。

(このままでは……! 打開しないと……!)


 迷いが一瞬、足を鈍らせた。そこへ数本の枝が一斉に襲いかかる。

 風で弾き返したが体勢を崩し、冷たい汗が背を伝った。

 サラが金の瞳を細め、ちらりと視線を寄越す。


「危なくなったら助けてあげる。けど――越えなさい、リアン。これはあんたの戦いよ」

「……っ! 俺の……戦い……」

 その言葉に背を押され、リアンは再び短剣を握り直した。


 風が唸り、枝葉を切り裂く。しかし数は減らず、呻き声は止まらない。

 吸う息ごとに瘴気が喉を焦がし、重く絡みついてきた。


 やがて――森全体が震えた。

 枯れ果てた大木の幹から、低い唸りが響き渡る。

 根元の裂け目から瘴気が爆発的に溢れ出し、空気を歪め、視界を揺らした。


「リアン、下がって!」

 サラの声が飛ぶ。リアンは腕で顔を覆い、吹き荒れる気流に足を踏ん張る。

 枯れ木の巨体が軋みを上げ、幹に浮かんだ無数の顔が一斉に目を開いた。

 苦悶と憎悪の叫びが轟き、枝も根も蠢きながら、ひとつの巨大な“本体”として立ち上がっていく。


「……っ! これが……瘴気の源!」

 リアンの胸に、かすかな声が再び届いた。


 ――生きていたい。あなたと、生きていたかった。


 怨嗟の渦に縫い込まれた、微かな祈り。

 生と死、その狭間で。リアンの右手の《箱舟の紋章》が淡く熱を帯び、静かに脈打ち始めていた。


 サラは肩をすくめ、わずかに口元を吊り上げる。

「仕方ないわね。――今度は“大物”相手ってわけね」

「サラ……!」

「焦らない。心臓を見つけなきゃ、意味がない」


 指先が軽く弾かれた瞬間、銀のツバメたちが一斉に飛び立つ。

 光の残滓をまといながら舞う羽音は、森に閃光の筋を描き出した。

 次の瞬間、周囲を取り巻いていた木の魔物が次々と切り裂かれていく。

 呻き声が重なり合い、百を超える影は音もなく沈黙へと変わった。


 リアンはその光景に思わず息を呑む。

「……すごい……」

「見とれてる暇はないわ。あれが“本体”よ」


 舞踏のように滑らかでありながら、寸分の迷いもなく命を断ち切るその姿。

 彼女の戦いは、美しさと恐怖の境目に立っていた。


 だが、本当の“脅威”はまだ残っている。

 巨大な大木の魔物が幹を軋ませ、枝を無数に振り下ろしてきた。

 それは一本一本が鞭のようにしなり、空気を裂く轟音と共に襲いかかる。

 森そのものが牙を剥いたかのようで、逃げ場など存在しなかった。


「くっ……!」

 リアンは短剣を構え、左手の紋章を強く輝かせる。

 風を纏った刃が閃き、襲い来る枝を斬り払う。

 だが、枝の断面から飛び散った茶色の液体が鼻を突き、生臭い匂いが一帯に広がった。

 木であるはずのそれは、血を思わせる異様な気配を放っていた。


「……血……?」

 リアンが息を詰める。

 サラの声が鋭く返る。

「感じる? この“匂い”――生きてるのよ。まだ、誰かの“意志”が残ってる」


 さらに恐ろしいのは、その再生だった。

 斬り落としたはずの枝は瞬く間に伸び直り、そこにぎょろりとした「目」が現れる。

 幾つもの瞳が同時に開き、リアンをじっと見つめた。

 その視線は怒りにも苦痛にも似て、導き手である彼を刃より鋭く射抜いてくる。


 サラは一歩も動かず、その光景を冷ややかに見つめる。

「……やっぱり。これはただの魔物じゃない」

「紋章が……関係してるのか?」

「たぶんね。瘴気だけじゃ、あんな再生は起きない」


 森の空気はさらに重く沈み、枝の影がうねるたび、リアンの胸を圧迫するようだった。


 サラは迫りくる枝を払い落としながら、わずかも表情を崩さず観察を続けていた。

(……再生が早い。これじゃリアンの手数だけでは、削りきれないわね)


 短剣に風を纏わせ、必死に斬り結ぶリアン。

 その背に滲む汗と呼吸の乱れを横目に捉えながら、サラは冷ややかに思考を巡らせる。

(ただの木の魔物じゃない……瘴気と結びついているだけじゃ説明がつかない。これは――“紋章”の影響かもしれない)


 幾度も戦場を渡り歩き、幾多の異形を屠ってきた彼女の直感が告げていた。

(再生を促す刻印……木や根を媒介にする類の紋章。まるで……ガリムの“再肉の紋章”のよう)


 サラはわずかに息を吐く。

「……嫌な予感が当たったわね」


 リアンが叫ぶ。

「どうすればいい!? 止められない……!」

「落ち着いて! 見なさい、根元を! 瘴気の流れ――どこに集まってる!?」

「……っ、あそこだ――裂け目の奥!」


 サラは頷き、銀のツバメを放つ。

 羽音が走り、闇を切り裂いた瞬間――裂け目の奥が淡く光を返した。


「今の、光……!」

 リアンが枝を切り払い、目を凝らす。

 その奥、枯れ木の中心に――**複雑な刻印を宿した“紋章”**が脈動していた。


「……紋章……!」

 リアンの瞳が見開かれる。

 大木の本体、その内奥に――人の意思が残した“核”が隠されていた。


 サラは低くつぶやいた。

「やっぱり……誰かが仕掛けたのよ。こんな森の中にまで」

 彼女の声は、怒りよりも深い静けさを帯びていた。


 リアンは短剣を握りしめ、右手に刻まれた紋章を見下ろす。

「……なら――俺が導く」


 風が鳴り、森が応える。

 その瞬間、彼の背後に形なき《箱舟》が揺らめいた――。


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