↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魂を導く紋章師』  作者: nukoto


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

67/312

第66話 「声を、行き場所へ」

――翌朝。


 薄霧が立ち込める村を後にして、リアンとサラは北の森へと歩を進めた。

 道端には、枯れかけた畑と、土に沈んだ鍬が放置されたままになっている。

 瘴気の影響で作物が育たず、村人たちは疲れ切った表情で朝を迎えていた。

 そんな光景を背に、二人は無言で歩き出した。


 空はまだ白んでいるだけで、日の光は木々の梢を越えるたびに淡く揺らぎ、靄の粒を金色に染めていた。

 冷えた空気の中に、湿った土と朽ち葉の匂いが混じり、吐く息は白い煙となって流れていく。


「……空気が重いな」

 リアンがつぶやく。

 サラはわずかに頷きながら、指先で霧を払うように前を見た。

「瘴気が薄く漂ってるわ。昨日の話、やっぱり当たりね」


 森に踏み入るごとに、空気は濃く、重く沈んでいった。

 鳥の声が遠のき、代わりに――耳を澄ませなければ気づけないほどかすかな囁きが、風に混じって滲みはじめる。


「……憎い……苦しい……」

「……返せ……奪った……」


 複数の声が折り重なり、湿り気を帯びた空気に染み込む。

 怨嗟と嘆きが絡みつくように押し寄せ、ただの森のざわめきではないとすぐにわかる。


 リアンは足を止め、眉を寄せた。

「……声が、聞こえる」


 サラが振り返り、金の瞳を細める。

「声? 私は何も聞こえないわ」


「……いや、確かに聞こえる。怨みや苦しみだけじゃない……誰かが――」

 リアンの声が途切れた。胸の奥に、冷たい痛みが走る。


「……生きていたい……」

「あなたと、生きていたかった……」


 その言葉に、リアンは拳を握る。

 喉が詰まり、息が震えた。

「……この声、放っておけない」

 助けを求める声を見過ごしたら、あの日と同じになる――そんな気がした。


「リアン、待ちなさい」

 サラが短く呼び止めた。

「そんな“声”に引かれていったら、簡単に呑まれるわ。瘴気の中で聞こえる声なんて、まともじゃない」

 そして、一拍置いて付け加える。

「呑まれる前に私が引き戻すけど――今は、前だけ見て」


 リアンは首を横に振る。

「それでも――確かに“助けを求めてる”声だ」

「……まったく、あんたってやつは」

 サラは肩をすくめた。けれどその背中を、どうしても見捨てられなかった。

 その足取りは、すぐ後ろにぴたりとついてきた。


⸻


 木々の切れ間が広がり、一本の巨大な大木が姿を現した。

 かつては天を衝くほどの威容を誇っていたであろうその樹は、すでに命を失って久しい。

 幹は黒ずみ、表皮は崩れ落ち、ところどころに深い亀裂が走っている。

 内部は空洞化し、裂け目からは闇が覗いていた。


 根元にはさらに大きな裂け目があり、そこから濁った靄が絶え間なく噴き出している。

 黒靄は風に散らず、地を這い、周囲の草木を蝕んでいた。

 葉は落ち、土はひび割れ、生命の色はどこにもなかった。

 湿った鉄の匂いが舌に貼りつき、肺の奥が冷たく痺れた。


「……ここだ」

 リアンは息を詰めて立ち尽くす。

 声はなおも滲み続けていた。怨嗟と嘆きの合間に、必死の願いが縫い込まれている。

 導き手としての感覚が、確かにそこに囚われた魂の存在を告げていた。


 サラは腰の大剣に手を添え、冷ややかに言った。

「どうやら瘴気の源は、この木ね」

「……これほどの量、自然発生じゃない」

「同感。誰かが“縛った”のかもしれないわ」

 声は落ち着いていたが、金の瞳には険しい光が宿っていた。


「リアン。気を張りなさい。ここから先は……ただの調査じゃ済まないかもしれないわ」

「わかってる。……行こう」


 森の空気はさらに沈み、靄は生き物のように揺らめき、足もとから絡みついてくる。

 大木の空洞は、まるでその奥に何かを呑み込み、閉じ込め、いまも呻き続けているかのように、ぽっかりと口を開けていた。


⸻


 リアンが大木へと歩み寄ろうとした瞬間だった。

 ――ごう、と風が揺らぎ、森がざわめく。


 周囲の木々が、まるで生き物のように軋んだ。

 枝が震え、幹の表面が膨れ上がり、やがてそこに人の顔のようなものが浮かび上がる。

 苦悶に歪んだ目、口、鼻――形は不完全で、しかし確かに「叫んでいる」としか思えぬ表情だった。


「……あれは……!」

 リアンは息を呑み、足を止めた。

 サラが低くつぶやく。

「魂が……木に取り込まれてる?」


 声が重なる。

 怨み、憎しみ、嘆き、そして――助けを求める声。


 足元の落葉が、内側へ吸い寄せられる。

 リアンが見下ろすと、円陣のように枝の槍が収束し、森の心臓がこちらへ脈打っていた。

 地面の根がわずかに蠢き、靴底を一歩だけ後ろへ引こうとした。


「まるで大木を守ってる……いや……」

 リアンの耳に、怨嗟の声に混じって微かな囁きが届く。

「……たすけて……まだ、生きたい……あなたと……生きていたかった……」


 敵意に満ちた動きとは裏腹に、その声は切実で、哀願に似ていた。

 斬るべきか、救うべきか――一瞬、リアンの胸に激しい葛藤が走る。


 喉で声が割れた。

「……救えるのか、俺に……?」


 その肩に、背後から冷ややかな声がかかる。

「……多数相手の訓練、ね」


 サラだ。

 金の瞳を光らせ、ゆったりと後ろへ下がっていく。

 風に揺れた銀髪が一筋、彼女の頬をかすめた。

 腰の大剣には触れず、指先を鳴らすだけで銀のツバメが虚空に舞い上がる。

 羽音が一瞬だけ森の静寂を裂いた。

 銀のツバメがキィンと空を切り、枝の節目だけを正確に断つ。


「危なくなったら助けるわ。だから、あんたはやりなさい」

「……サラ」

「迷う暇はない。生きてるうちは戦えるでしょ?」


 挑むような声音だったが、その裏には確かな信頼が滲んでいた。


⸻


 次の瞬間、木の魔物たちが一斉に襲いかかってきた。

 枝が槍のように突き出され、幹がねじれて迫りくる。

 百を超える木々が一斉に動けば、それはまるで森そのものが敵に変わったかのようだった。


「……来い!」

 リアンは短剣を握り直し、左手の甲に浮かぶ《風の精霊紋章》を解き放つ。

 緑の光が瞬き、周囲の空気が刃へと変わる。


 迫る枝を風刃で裂き、跳躍して幹を駆け上がり、斜めに斬り払う。

 倒れた木の魔物は呻き声のような響きを漏らしながら地に沈む。

 衝突音が鼓膜を叩き、風鳴りが一瞬上ずった。

 しかし背後からはすぐに別の幹が伸び、枝が絡みつこうとした。


「リアン、後ろ!」

 サラの声と重なって、銀の閃光が横薙ぎに走る。

 背後を襲った木は、風の翼を持つツバメに切り裂かれた。

 小鳥ほどの幻影が疾駆し、鋭い風刃で魔物を刻み、瞬く間に木片へと変える。


「ほら、集中切らさないでよ!」

 からかうような声が飛ぶ。


 リアンは歯を食いしばり、風を纏った短剣を振るった。

 風の奔流に乗る。迫る幹を跳び越えざま、一閃。

 気流がちぎれ、幹を裂く風刃が広がる。

 複数の木がまとめて断たれ、黒い靄を吐きながら倒れ込んだ。


 だが、斬るたびに胸に滲む。

 ――助けて、まだ、生きたい。


 その囁きが、リアンの刃を鈍らせた。

 彼は知っている。この枝や幹の奥に、かつての「人の魂」が囚われていることを。


 だが、迷えば死ぬ。

 サラの言葉が脳裏をよぎる。


 その瞬間、横合いから飛び出した幹がリアンを薙ぎ払おうとした。

 ――しかし、銀の閃光がそれを断ち切る。


「ほら、集中!」

 サラの声が飛ぶ。


 彼女は大剣を抜かず、銀のツバメだけを操っていた。

 小さな鳥の幻影は十にも二十にも分かれ、音もなく枝を斬り刻み、幹を削り取っていく。

 風圧が彼女の髪を持ち上げ、金の瞳が稲光のように閃く。

 襲い来る魔木を次々と切り裂きながら、彼女はあくまで余裕の笑みを崩さない。


「心配はいらないわ。あんたが倒れそうになったら助ける」

 金の瞳が鋭く光る。

「でも、それまでは――自分で立ちなさい。導き手」


「……わかってる!」

 リアンは短く息を吐き、再び構えを正した。

 足下に風が集まり、体が軽く跳ね上がる。

 風の奔流に乗る。迫る幹を跳び越えざま、一閃。

 枝が裂け、声が響き、靄が弾けた。


「……俺が導く!――声を、行き場所へ」

 刃が描いた弧が、囁きを切り開く道になった。


 風刃が止み、森の心音だけが耳の奥で反響した。


 森全体が呻くように揺れた。

 大木の根元に広がる空洞が、さらに濃い靄を吐き出し始める。

 声はより鮮烈に響き渡る。怨嗟と悲鳴、そして――ただ一つの願い。


「……あなたと、生きていたかった」


 リアンの胸に、その言葉が深く突き刺さった。

 ――風が止み、森のすべてが黙祷を捧げたようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。