第47話 《旅立ちの鐘が鳴る》
朝、一人の使者が現れた。
教会の制服を着た、落ち着いた面持ちの男。
宿の扉を静かにノックし、リアンの姿を見るなり、恭しく礼を取った。
「導き手様。昨夜の襲撃の件につき、上層より正式な指示がありました」
リアンは軽く息を整え、静かに問い返す。
「……教会が、動くんですか?」
男は頷く。その表情に迷いはなかった。
「はい。正式な調査班が組織されます。
《コレクター》――“収集官”と呼ばれる存在の関与が濃厚と判断されました」
その名を聞いた瞬間、部屋の空気がわずかに張りつめる。
サラが目を細め、腕を組んだ。
「で、リアンを連れて行きたいってわけ?」
男は小さく首を振った。
「いえ。導き手様に直接の要請は致しません。
ただし、冒険者ギルドを通じた依頼として、協力を仰ぐ予定です。
現在は、南部戦争跡地での定期的な浄化作業に加えて――」
一拍置き、声の温度がわずかに落ちる。
「《灰の前線》では浄化が半日遅れるだけで、負傷者の魂が彷徨います。……人手が、圧倒的に足りません。今日救えたはずの魂が、明日には届かなくなるんです」
リアンは静かに聞いていた。
そして、ほんの少し視線を落とす。
(……やはり、そうなるか)
昨夜の事件は終わっていない。
ただの偶発ではなく、確かに“兆し”を含んでいた。
――教会が動くということは、それだけ事態が重いということだ。
男はさらに一歩進み出て、恭しく言葉を添える。
「そこで、リアン様には別件の浄化作業をお願いできればと存じます。
ご検討いただけますか?」
短い沈黙。
リアンは視線を上げ、まっすぐに答えた。
「……行きます。俺は、“魂の導き手”ですから」
その声音に、迷いはなかった。
男は深く頷き、礼を取る。
「ありがとうございます。上層へ報告いたします」
その横で、サラがふっと息を吐く。
「……まったく。やれやれ」
「サラ?」
リアンが首を傾げると、彼女は肩をすくめて笑った。
「どうせ放っておけないんでしょ? なら私も行く。守り手だもの」
「……!」
リアンは思わず目を見開いた。
そして、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「……ありがとう」
「礼なんていいから」
サラは軽くリアンの肩を叩き、冗談めかして続けた。
「その代わり、今度こそちゃんと私の言うこと聞きなさい。無茶はダメよ」
「……気をつけるよ」
「“気をつける”じゃなくて、“守る”の。わかった?」
少し強めの調子に、リアンは思わず苦笑した。
「……はいはい」
ふたりのやり取りに、使者の男はわずかに微笑んでから、懐から一通の封書を取り出す。
「こちらに、王都までの道中での依頼内容と、通過予定の拠点が記されております。
目的地は王都近郊の教会支部となりますが、途中いくつか――
魂の導き手様への協力要請も届いております」
「……なるほど。了解しました」
リアンは両手で封筒を受け取り、軽く頭を下げた。
男は深く礼をして言う。
「どうか、ご武運を」
そして、足音も立てずに廊下の向こうへ消えていく。
扉の静音がほどける。手の中の紙封だけが、不釣り合いに重い。
リアンはしばし、その重みを見つめた。
指先が、封を切ろうとしたその瞬間――
「はいはい、読むのはあと!」
不意に伸びてきた手が、リアンの腕をぐいっと引っ張った。
「ちょ、サラ……!?」
体勢を崩しかけたリアンが慌てて体を支える。
サラは全く悪びれず、口角を上げて笑った。
「準備よ、準備! 行くんでしょ? 旅!」
「え、今すぐ!?」
「当然でしょ? 朝のうちに荷をまとめないと。
王都までって結構あるんだから。寄り道もあるでしょ?」
「……まあ、確かに」
リアンは封筒をポケットにしまいながら、思わず苦笑する。
昨日までの重さが嘘のように、彼女の声は明るかった。
「それに……ふふ、無職ではなくなったね」
(サラは口元だけ笑って目線を落とす)
「給金より大事なのは、あんたが無事で戻ること。いいわね?」
悪戯っぽい口調――けれど、その瞳には柔らかな安堵が宿っていた。
リアンは少しだけ眉を下げて、微笑む。
「……言い方がひどいな」
「いいのよ、冗談なんだから」
その言葉に、リアンは短く頷く。
彼女の明るさの奥に隠れた真心が、胸にじんと沁みた。
「……行こうか」
「うん。新しい道よ、導き手さん」
軽口に混じる本音。
サラは先に扉を開け、振り返って笑った。
リアンも、その背に続く。
祭りの終わりを告げる鐘の音と入れ替わるように――
朝の光が二人を包み込む。
こうして、
“導き手”と“守り手”の旅は――静かに、再び始まった。
朝の光が、街の屋根を白く照らす。
リアンとサラは街の中心へ戻り、開きはじめた商店街を歩いていた。
通りにはすでに活気が戻りはじめている。
色とりどりの布屋根が風にはためき、屋台の並ぶ通路には、甘い果実と焼きたてのパンの湯気が漂っていた。
露の光を受けて、並ぶ魔具や金属器がきらりと輝く。
「んー……水筒、新しいのにしようかな」
サラが手に取って、陽にかざす。
「前の、ぶつけてへこんじゃってるし。なんか縁起悪いのよね」
「それなら買い替えた方がいいね」
リアンが頷きながら、隣の棚に目をやる。
「食料も少し持っていこう。途中、店が少ないって聞いたし。乾燥肉と保存果を……」
「はいはい、真面目さん」
サラは小さく笑って、籠に放り込む。
「旅ってさ、計画どおりにならないほうが楽しいのよ?」
「……それを言うのは君くらいだよ」
「ふふん。でしょ?」
軽口を交わしながら、ふたりは次々と露店を覗いていく。
サラはまるで子どものように、あれこれと商品を手に取り、
「これは?」「こっちはどう?」とリアンに聞いてくる。
リアンは真面目に応じながらも、時折ため息をついてみせた。
だがその表情はどこか柔らかい。
――心のどこかで、彼もまた“この平穏”を楽しんでいるようだった。
サラはそれに気づき、ほんの一瞬だけ横目でリアンを見た。
視線が交わる前に、彼女はそっと笑みを浮かべ、視線を逸らす。
「……ま、悪くないわね。こういう朝も」
買い物を終え、袋を肩にかけた頃――
通りの奥から、聞き覚えのある穏やかな声が響いた。
「――あら、楽しそうね」
振り返れば、朝の陽光の中に二人の女性の姿。
セラと、レイナだった。
セラは白の外套を軽く羽織り、相変わらず柔らかな笑みを浮かべている。
その隣で腕を組むレイナは、少し仏頂面ながらも、目元だけが優しい光を帯びていた。
「……セラさん。レイナさんも」
リアンが驚きに目を瞬かせる。
「お久しぶりです」
セラは頷き、リアンの持つ荷に視線を落とした。
「……もう出発なんですね?」
「はい。教会から依頼があって。王都へ向かうことになりました。
途中でいくつか、浄化の協力も頼まれていて」
「そう……」
セラは少しの間、リアンを見つめて、静かに微笑む。
「無理は、しないでくださいね。導き手の光は、優しすぎると燃えてしまうから」
「……気をつけます」
その答えに、セラの微笑みがわずかに柔らぐ。
隣でレイナが肩をすくめた。
「それで? 話はそれだけ?」
リアンがきょとんとした顔を向ける。
「え、えっと……?」
レイナは唇の端を上げ、いたずらっぽく目を細めた。
「“家紋を作りたい”なんて依頼じゃないでしょうね?」
「なっ――!?」
リアンの顔が一瞬で真っ赤になる。
「ちょ、ちょっと待って、それは――!」
「はあ!? 誰がそんな話――!?」
サラの声がかぶさる。
慌てふためく二人を前に、レイナはくすくすと笑った。
「冗談よ、冗談」──レイナは書類の角を指先でそろえ、息をひとつ。
「でもね、“家紋を作る”っていうのは、そういうこと。
血で繋がるか、魂で繋がるかは別にして“家族になる”って意味だから。」
その言葉に、リアンもサラも息を呑む。
レイナの瞳の奥に、ほんの一瞬だけ懐かしさのような影が浮かんだ。
「……もし、そうなる日が来たなら――歓迎するわ」
静かに笑って、彼女は続けた。
「“血の物語”を書くのが、私の仕事だからね」
リアンはその言葉に小さく頷き、
「……ありがとうございます」と呟く。
サラは気まずそうに視線を逸らしながらも、
「……やめてよ、朝からからかわないで」とぼそり。
「ふふ、悪かったわね」
レイナは軽く手を振り、
最後に短く――
「……気をつけてね」とだけ言った。
その一言には、職人として、友人として、そして“見送る者”としての想いが滲んでいた。
セラも小さくうなずき、
「導き手の道に、穢れなき風が吹きますように」と祈りの言葉を残す。
リアンは深く頭を下げた。
サラも小さく会釈して、二人に背を向ける。
再び歩き出した通りの先――
街の広場から、元気な声が響いた。
「――おーい、リアン!」
振り返ると、《ヴェイルガード》の面々が手を振りながら駆け寄ってくる。
カイ、リゼ、ニコ、ミーナ、ブラム――見慣れた顔ぶれだ。
彼らもまた、次の依頼へ向かうところらしい。
「また、旅に出るんだな」
リーダーのカイが笑みを浮かべて言う。
リアンは頷く。
「教会の依頼です。王都まで……少し長めの道になりそうです」
「そっか。まあ、無茶するなよ」
カイが手を伸ばし、リアンの肩を軽く叩く。
「王都へ抜けるなら、二日目の峠は霧が出る。北寄りの尾根道を選べ。視界が利く」
「覚えておきます」
「へぇ、王都かぁ。あたしたちもそのうち行くかもね」
リゼがにやりと笑い、
「向こうで再会したらおごってよ?」と冗談めかす。
「そのときは、こっちがお世話になるかもしれません」
リアンが答えると、ニコとミーナが顔を見合わせ、同時に声を上げた。
「体に気をつけてね!」
「無理しちゃだめよ!」
ブラムは言葉を発さず、分厚い手で拳を握り、無言のエールを送る。
「またどこかでな!」
ニコが叫び、ブラムもそれに合わせて拳を掲げる。
最後にカイが短く、
「……気をつけろよ」とだけ言った。
その一言に、すべての想いが詰まっていた。
リアンは深く頭を下げる。
「……みんなも、ありがとう。――また」
サラは少し離れた場所でそのやり取りを眺めていた。
彼女はほんの少しだけ、口元を緩めて呟く。
「……悪くないわね、こういう別れも」
リアンが振り返ると、サラは「何見てんのよ」と小さく言って、歩き出した。
祭りが終わり、鐘の音も遠くなった街に――
朝の風が吹き抜ける。
露の光る石畳を踏みしめ、ふたりの影がゆっくりと伸びていく。
その先に、薄金色の街道が一本、まっすぐ続いていた。
まだ見ぬ土地へ。まだ知らぬ魂へ。
光を追うように――導き手と守り手の旅は、確かに始まっていた。




