第46話 「流れる星の下で」
街の広場を後にしたリアンとサラは、人目を避けるようにして裏通りへと歩を進めた。
夕闇はすでに濃く、祭りの喧騒の余韻がゆっくりと背後に遠ざかっていく。
石畳を打つ足音が、夜の呼吸に溶けるように柔らかく響いた。
色を失いはじめた街角には、ふたりの影だけが寄り添いながら揺れていた。
やがて、川にかかる小さな橋へたどり着く。
流れは穏やかで、水面には満ちた月が静かに滲んでいる。
橋の上には風の音だけ。祭りの灯が遠くで小さく瞬き、川面に散った光がゆらゆらと踊っていた。
サラは無言のまま、欄干にもたれて夜空を見上げた。
月光が銀の髪を撫で、淡く輪郭を照らす。
「……ありがとう」
ぽつりと。夜の静けさに沈む声。
その響きは、誰かに届くことを想定していないほどに、か細く、やわらかかった。
リアンは少しだけ間を置いて、隣に立つ。
その横顔を見上げながら、静かに言葉を返した。
「助けられたのは、俺のほうだよ」
真っ直ぐな声。
サラの睫毛がわずかに揺れ、金の瞳が細くなる。
「……あんたって、本当に変わってる」
「そう?」
「普通なら――怖がる。避ける。目も合わせない。……それが当然なのに」
その声音には、呆れと、それを覆い隠せない戸惑いが滲んでいた。
リアンは少しうつむき、橋の欄干に手を置く。
川面のきらめきが、指先で跳ねた。
「……怖くなかったわけじゃない。でも……」
探るように言葉を紡ぎながら、彼の視線が夜の水面をさまよう。
水のきらめきが瞳に反射し、淡い光が揺れた。
「サラが怒った理由、ちゃんと伝わってきたから。……守ろうとしてくれたんだって、わかったから」
静かに、けれど確かに投げかけられた言葉。
その瞬間、サラの肩がほんのわずか、震えた。
「……バカね。あんなの、ただの八つ当たりみたいなものよ」
「でも、俺には――違って見えたよ」
リアンの声は揺るがなかった。
その真剣なまなざしが、サラの横顔を射抜く。
川面の光が二人の間を漂う。
風がひとつ吹いて、月が雲に隠れた。
「……王国と帝国が争って、もう何百年だ。
始まりなんて、誰も覚えてない。
けれど、奪われた痛みだけは、今も消えずに残ってる」
リアンの声には、静かに燃えるような熱があった。
それは怒りでも後悔でもなく――祈りのような、穏やかな炎。
「帝国が最初に侵攻したとされる頃、王国はまだ小さな諸侯の集まりだった。
力の差は圧倒的で……焼かれた村、潰された街……」
彼は目の前の石畳を見つめ、記憶の欠片をたぐり寄せるように言葉を継ぐ。
「魂を導くどころか、埋める暇すらなかったんだ」
胸の奥で、無数の声が響く。
泣き叫ぶ人、怒りの叫び、そして無念の静寂。
その全てが今も――自分の中にある。
サラは静かに目を伏せた。
夜風に流れた髪が、月の光を反射して揺れる。
「そのあと、王国は軍を再編して、“正義の戦”を掲げて反撃した。
だけど、そこにいたのは、同じように怯え、飢えた人たちだった。
“奪った”と“奪われた”が、交互に入れ替わっただけ」
「……どっちも、自分が正しいと思ってた。
自分こそが犠牲者だって、信じてたんだよ」
「でも……誰が始めたのかより、
“誰が終わらせるか”の方が大事だと思うんだ」
風が通り抜けた。
銀の髪がふわりと舞い、月光の下でゆらめく。
サラはゆっくりと息を吸い、ぽつりと零した。
「……私ね。信じてなかったの、誰のことも」
その声は、夜よりも静かで脆かった。
それは誰にも話したことのない、彼女の“根”の部分だった。
「信じれば、裏切られる。期待すれば、失望する。……だったら、最初から信じなければいいって」
リアンは言葉を返さなかった。
ただ、そっと隣に立ち続けた。
沈黙が二人の間に降りる。けれど、その沈黙は冷たくはなかった。
「……でも、あんたがそうやって、まっすぐに言ってくれると……困るのよ」
「困る?」
「――ほんの少しだけ、信じてみたくなるから」
その言葉は、風に溶けるように淡く――それでも確かに、リアンに届いた。
リアンは静かに微笑んだ。
言葉よりも深い、優しい光がその微笑みに宿っていた。
夜空を横切る一筋の星が、川面に軌跡を落とす。
その光は、ほんの一瞬だけ――ふたりの影を、優しくひとつに結んでいた。




