第37話 導き手の背を守る者
開始の鐘が鳴った瞬間、闘技場は地獄に変わった。
砂煙が一斉に巻き上がり、耳をつんざく怒号と金属音が四方八方から飛び交う。
三十組を超える参加者が一斉に突進し、砂塵の渦と殺気が絡み合ったその場は、もはや戦場の様相を呈していた。
「退けぇ! 生き残るのは俺だ!」
「や、やめ――ぎゃあっ!」
剣が肉を裂く音。鎧が砕ける鈍い衝撃。
武器を振り回す者、相手を押し出して場外へ叩きつける者――。
弱い者から順番に飲み込まれ、悲鳴と砂煙が立ちこめる地獄絵図が広がった。
観客席にまで砂の飛沫が届き、熱気と血の匂いが混ざり合った空気が揺れる。
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リアンは短剣を握りしめ、無意識に喉を鳴らした。
心臓の鼓動が、戦場の喧騒に紛れてもなお自分の耳に響く。
目の前では数人の男たちが盾を構えながら自分を取り囲んでいた。
「導き手! おれが守る、組め!」
「いや俺だ! 今ここで守り手に選ばれれば名前が売れる!」
叫びながらも、その瞳には焦りと打算の光。
盾を構える動きは確かに“守り”の形を取っているが、
リアンの背を値踏みするような視線が、時折交錯する。
(……本当に、味方なんだろうか)
足元では別の参加者が悲鳴を上げて場外へ吹き飛んでいく。
混乱は止む気配もなく、囲んでいた男たちの中にも焦りが広がっていくのが分かる。
「くそっ、こいつを守っても俺が落ちたら意味がねえ……!」
「ならまずは敵を減らす! おい、前に出ろ!」
その叫びと同時に、囲んでいた一人がリアンの肩を乱暴に押し出した。
「――っ!」
その瞬間、横合いから振り下ろされた剣が風を裂いて掠めた。
ほんの一歩遅ければ、確実に命を奪われていた。
砂が舞い、視界が白く霞む。
リアンは反射的に息を止め、身を低くして周囲の流れを読む。
風が走り、刃の軌道を知らせてくれる。
(……動きの“流れ”を感じろ。紋章をつかなくてもわかる)
サラの声が、遠い記憶のように脳裏をよぎる。
リアンは左足で砂を蹴り、滑るように体を反転させた。
刃がすぐ後ろを通り抜け、風が頬を切った。
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一方、観客席の特等席。
サラは手すりを握り締め、必死にリアンの姿を追っていた。
砂煙の向こう、群れの中心で彼が何とか立ち回っているのが見える。
「……守り手って、あれ……守ってるの?」
リアンの周囲に集まった数人が、互いを牽制しながらも、
時折リアンを盾代わりに攻撃を避けている。
その様子にサラの眉が険しくなる。
隣でレイナが肩をすくめ、冷静に言った。
「守るっていうより、自分のために利用してるのよ。
導き手が倒れたら“守れなかった”って評価されるけど、
生き残れば“守った”って名が売れる。……打算だらけね」
「そんなの……守り手でも何でもないじゃない!」
サラは唇を噛み、視線を逸らさずに拳を握る。
セラが静かに口を開いた。
「でも、それも“人の風”よ。
誰もが自分を守るために動いてる。……だからこそ、導く者が必要なの」
サラが振り向く。
セラの金の瞳が、穏やかにリアンの方を見つめていた。
「見て。……あの子、もう“怯えてない”」
言われて再び目を向けると、砂煙の向こうでリアンが一歩踏み出した。
恐怖に固まっていた表情が、わずかに凛としたものに変わっている。
⸻
実況席から、カトリーヌの冷静な声が響き渡った。
『開始からわずか五分、すでに五名が退場しました。
導き手リアン・アルステッドの周囲には守り手志望が集まっていますが……
混乱は広がるばかりです』
隣のクロードが低い声で補足する。
『誰もが焦っている。守り手志望とて、状況次第で“守る”から“切り捨てる”に変わる。
導き手にとって、今が最も危険な時間帯ですね』
カトリーヌが頷きながら続けた。
『なお観客の皆様、安心してください。負傷者が出ても回復役が控えています。……ただし――』
一拍置き、声がやや低くなる。
『導き手にあまり酷いことをすると……魂を導いてもらえなくなるかもしれませんよ?』
観客席にどよめきと笑いが広がった。
緊迫した空気の中に、ほんのわずかな“恐れ”と“敬意”が混じる。
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レイナが小さく笑う。
「上手いこと言うわね、カトリーヌ。あれで何人かは怯むわ」
「……そういう問題じゃない」
サラは小さく吐き捨てた。
導き手としてではなく、“リアン”として彼を見ているサラには、
あの現実的な言葉のひとつひとつが、どうしようもなく胸に刺さった。
「……あの人たちは、守ってるんじゃない。ただ……利用してるだけじゃない」
言葉の奥に、怒りとも悲しみともつかない震えが混じっていた。
観客の歓声が響くたび、サラの指先はかすかに震える。
レイナは表情を変えず、戦場の中央を見据えていた。
「そうね。……でも、導き手はその現実を知る必要があるのかもね。
守り手も、観客も、教会でさえも――彼を“人”としてじゃなく、“導き手”として見る。
それが、この世界のルールなのよ」
サラは唇を噛み、拳を握った。
「そんなの……理不尽だよ。あいつは、ちゃんと“人”としてみんなを導いてるのに……!」
セラが静かに言葉を添えた。
「ええ。……でも、それでも彼は止まらない。
“導く”ってこと、信じられなくなっても、信じ続けることだと思う。
たとえ誰にも見えていなくても」
その言葉に、サラの肩がわずかに震えた。
リアンが観客席を見上げることはない。
それはわかっていたが――それでも、サラは祈るように彼の背中を見つめ続けた。
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闘技場の中央。
砂煙と悲鳴の中で、リアンは迫る刃を紙一重でかわし、
すぐさま逆方向へ跳んだ。
乾いた砂が靴底を滑り、呼吸が焼けるように熱い。
「くそ……!」
背後から守り手志望たちの怒号が飛んでくる。
「おい! 離れるな! 俺が守ってやるって言ってるだろ!」
「離れたら死ぬぞ!」
だがリアンは振り返らなかった。
――守られているつもりで囲まれるより、自分で動いた方がまだ生き延びられる。
その直感が告げていた。
(……これが、戦場なのか)
砂煙の向こうで再び火花が散る。
その一瞬――彼の視界を横切る赤。
赤い髪が、砂の向こうで揺れた。
夢で見た少女の面影。鋭く光る瞳。
リアンの胸が、痛いほど脈打つ。
(……誰だ? まさか……)
無意識に目で追ったその刹那――
背後から、殺意を帯びた気配が迫る。
「っ!」
反応が遅れた。
鋭い刃が風を裂き、リアンの背に振り下ろされる。
――その瞬間。
「後ろだ、坊主ッ!」
轟音。
重い戦斧が火花を散らし、背後から迫った剣を弾き飛ばした。
衝撃で砂が爆ぜ、光の筋が走る。
リアンは思わず振り返った。
そこに立っていたのは――巨躯の戦士、ブラム。
「……ブラムさん!?」
ブラムは戦斧を構えたまま、にやりと笑った。
「おいおい、背中ががら空きだぞ。導き手だか何だか知らねぇが、戦場じゃそんなの関係ねぇ!」
「す、すみません……!」
「礼なんざいらねぇ! 生きて礼を言え! ――来るぞッ!」
言葉と同時に、再び砂煙の奥から二人の男が飛び出す。
ブラムが一歩前へ出て、戦斧を一閃。
風圧だけで砂が弾け、二人の攻撃を弾き返した。
「ほらな、こういう時は“守らせろ”じゃなくて“共に立て”だ!」
ブラムが笑う。
その声は戦場の轟音の中でも、なぜか真っすぐに届いた。
リアンは息を吸い、再び木剣を構えた。
「――わかりました。一緒に、立ちます!」
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観客席の三人の視線が、その光景を見つめていた。
レイナが笑みを浮かべる。
「ほらね。彼はちゃんと、導かれた風を掴む」
セラが頷き、そっと目を細める。
「風は巡る。……導く者がいれば、守る者も生まれる」
サラは拳を握りしめたまま、静かに呟いた。
「……リアン。ちゃんと見えてるよ。
あんたは一人じゃない」
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風が吹いた。
砂煙の渦が晴れ、陽光が戦場を照らす。
リアンとブラム、二人の影が並んだ。
――戦場の風が、交わった瞬間だった。




