第38話 「収奪の舞台」
砂煙が、陽光を裂いて舞い上がっていた。
叫びと怒号、剣と鉄のぶつかる音が、絶え間なく空を震わせる。
風は熱を帯び、血と砂の匂いを運んでいく。
その中に――二つの影が、背中合わせに立っていた。
油断すんな! ここじゃ一瞬の迷いが命取りだぞ!」
ブラムの怒号に、リアンははっと息を呑んだ。
「ブラムさん……!」
「立ち止まるな! いいか、この混戦じゃ孤立したら即死だ。背中を預けろ!」
ブラムは戦斧を構え直し、リアンの背に自分の背を合わせる。
その広い背中はまるで、炎の中に立つ鉄壁のようだった。
リアンの胸に、わずかな安堵と熱が同時に走る。
だが、状況は容赦ない。
砂煙を割って次々と参加者が突っ込み、二人を標的にしていた。
「導き手を落とせば名が上がるぞ!」
「ブラム・アイアンアクスも一緒に沈めろ!」
四方八方から殺気が迫る。金属音が火花を散らし、視界は砂と血で霞む。
「リアン! 前方は任せた! 左に一人、突っ込んでくるぞ!」
「了解!」
リアンは短剣を横薙ぎに振るい、飛び込んできた剣士の一撃を弾く。
相手が体勢を崩した瞬間、ブラムの戦斧が轟音を立てて唸った。
鉄塊のような一撃が、二人まとめて場外へ吹き飛ばす。
「ぎゃああっ!」
「くそっ、なんでこんな奴らが一緒に……!」
悲鳴と怒号が渦巻く中、ブラムの戦斧がもう一度振るわれ、地面が震える。
そのたびに砂煙が裂け、敵が弾き飛ばされた。
「さすがブラムさん……!」
「感心してる暇はねえぞ、坊主! 頭使え! 数が多いときほど風を読め!」
「風を……読む!」
リアンは深く息を吸い、周囲の流れを感じ取る。
砂の軋み、空気のうねり、足音の方向――そのすべてが一瞬の隙を教えてくれる。
次の一歩で、敵の剣が空を切った。
「そうだ、それでいい! お前の風は鈍っちゃいねぇ!」
ブラムの声が、まるで戦場の太鼓のように響く。
背中合わせの二人は呼吸を合わせ、わずかに足場をずらす。
リアンが抜けた隙間を、ブラムの斧が正確に薙ぎ払う。
刃と風が交差し、砂塵が二人の周囲を円のように舞った。
⸻
だが――混戦は終わらない。
観客席では、次々と退場を示す光が弾けては消えていく。
「くそ……この人数、どうやって十人まで減らすんだ……!」
「考える暇があったら前を見ろ!」
ブラムが吐き捨てるように言い放ち、斧を振るう。
轟音が走り、敵の武器が弾け飛ぶ。
その一撃で砂煙が巻き上がり、短い“静寂”が生まれた――。
⸻
リアンは息を整えようとした瞬間、視界の端で“何か”が揺れた。
赤い髪――。
戦場の向こうで、冷たい視線がこちらを射抜いている。
(……また、あの女だ)
心臓が、嫌な鼓動を打った。
次の瞬間、視線を逸らしたわずかな隙を突くように――
背後から、骨の芯を冷やすほどの“殺気”が襲う。
「――っ!」
リアンは反射的に身をひねった。
耳元をかすめる風。髪の先が裂ける音。
その直後、何か鋭いものが砂を切り裂いて突き抜けた。
(……今のは……剣じゃない……?)
音のした方を見た瞬間、リアンの息が止まった。
倒れた参加者の身体。
その胸から――赤い棘のようなものが突き出していた。
肉を突き破り、地面に根を張るように広がっている。
それは金属でも骨でもない。血肉が“形を変えて”尖ったものだった。
「……人の……身体から……?」
リアンは呟き、後ずさる。
棘の根元がかすかに脈打ち、倒れた参加者の腕が震えた。
「坊主、下がれ! 何か来る!」
ブラムの怒声が飛ぶ。
リアンがはっとして身を引いた瞬間――
棘が音もなくひくつき、まるで生き物のように“伸びてきた”。
「――くっ!」
リアンは咄嗟に砂を蹴り、身を翻す。
赤い棘が空を裂き、彼の足元を抉るように突き刺さった。
地面が砕け、砂が飛び散る。
棘はゆっくりと引き戻され、倒れた男の体に吸い込まれていく。
その光景は、まるで死者の肉が“生きようとしている”ようだった。
「……やべぇな、あれは紋章の力か?」
ブラムが低く唸る。
「わかりません……でも――倒れてるのに、まだ動いてる……!」
リアンの声が震える。
目の前で、倒れた参加者の瞳がうっすらと開いた。
焦点の合わない目が空を彷徨い、口元がゆっくりと動く。
「……たす……け……」
掠れた声。
その瞬間、棘がまた震えた。今度は――こちらを狙って。
「来るぞ!」
ブラムが斧を構え、リアンの前に出た。
風が止まり、砂が落ちる。
闘技場の喧騒の中で、
その一角だけが――不気味な静寂に包まれた。
砂煙が、陽光を裂いて舞い上がっていた。
焦げた砂と血の匂いが入り混じり、喉の奥に鉄の味が貼りつく。
風が熱を帯び、耳をつんざく怒号と剣のぶつかる音が空を震わせた。
その中心――リアンとブラムは背を合わせ、息を殺していた。
鎧に砂が打ちつける微かな音、遠くで呻く声、そして二人自身の荒い呼吸だけが響く。
足元には倒れた参加者たちの影。砂に半ば埋もれ、生死の判別もつかない。
一歩踏み出すたび、靴底に血の粘りがまとわりつき、戦場の熱が冷たく変わっていった。
――その静寂を、異質な声が裂いた。
「……見つけた。導き手、そして――まだ動く命たちも」
女の声。
冷たく澄んでいるのに、どこか血のぬくもりを孕んでいた。
空気が一瞬だけ凍り、ブラムの肩がわずかに動く。
リアンは反射的に短剣を握り直した。
心臓が跳ねる。鼓動が耳に響き、指先に汗がにじむ。
砂煙を押し分けるように、二つの影が現れた。
一人目は、灰金の髪に血を垂らしたような赤い一房を揺らす女。
深紅の瞳は、迷いなくリアンの心臓を貫くように射抜いてくる。
左胸から腕にかけて刻まれた螺旋状の紋章が淡く血光を帯び、脈打つたびに周囲の空気がひやりと震えた。
砂塵に混じる赤が、不気味に鮮烈で、まるで死の宣告のようだった。
もう一人は、砂色の外套を翻す長身の男。
口元には、獲物を完全に掌握した者の笑み。
指先の砂が小さく渦を巻き、やがて足元で大きく膨らむ。
風がざらつき、肺に吸い込む空気が重くなった。
砂粒が舌に触れるたび鉄の味が濃くなる。
次の瞬間、二人はほぼ同時に右手を掲げた。
赤黒い光が走り、手の甲に刻まれた紋章が鮮明に浮かび上がる。
――閉じた眼を刻んだ掌。その周囲を歪な鎖の円環が取り巻く。
深黒と鈍銀の中に、血のような暗紅が脈動し、砂煙に不気味な色を落とした。
光が砂粒を照らすたび、血塗れの舞台に赤黒い斑点が散る。
「……《掠奪の黙印》……!」
ブラムが低く唸る。
「まさか……コレクターだと!?」
リアンの背筋が凍る。
紋章教会が最重要危険指定する闇組織――《コレクター》。
魂と紋章を“奪う”者たち。
女は一歩前に出て、静かに名乗った。
「ノエル・カレドニア。《コレクター》実働部隊――《蝕刻者》所属」
凍てつく声音に、微かな陶酔が混じる。
「血はすべて覚えてる。……今日、あなたの魂も“記録”する」
隣の男が笑い、砂を巻き上げた。
「オレはザイル。名前なんて、すぐ忘れてくれて構わねぇさ。……残るのは奪った紋章だけだ」
ブラムが低く構えを取る。
「……遊びで来たわけじゃなさそうだな」
ノエルは唇を歪め、薄く笑った。
「長居はできないわ。導き手も、賞品の紋章も全部奪う……」
彼女の目が、一瞬だけ観客席をかすめる。
銀髪の影――サラ。
その姿を確認し、ノエルの唇がわずかに吊り上がった。
「化け物に気づかれる前に、ね」
「ははっ、あの女か。動かれたら面倒どころじゃ済まねぇな」
ザイルが舌なめずりをし、指先で砂を弄ぶ。
「だから――一瞬で終わらせる!」
言葉と同時に、周囲の砂が牙のように尖り、音もなくリアンたちを囲んだ。
砂粒が静電気を帯び、青白い閃光が走る。
ブラムは戦斧を握り直し、短く吐き捨てる。
「……ちっ、厄介なのに目をつけられたな」
ノエルは深紅の瞳でリアンを見据えた。
「導き手。あなたの紋章は――芸術品よ。……血に刻んで、持ち帰る」
リアンは短剣を構え直し、息を呑む。
「……奪わせない。これは、導くための紋章だ!」
ザイルが嗤った。
「いいねぇ、そういう目だ。壊す前に、光がよく映える!」
次の瞬間、砂と血が同時にうねり、
闘技大会の会場は完全に“収奪の場”と化した。
轟音と閃光。
風が逆巻き、砂煙の奥で赤い瞳が笑う。
――そして、導き手の戦場は、今まさに“試練”へと変わった。




