第36話 「闘技場に吹く風」
闘技場の前には、出場者たちが列を作っていた。
人混みの熱気と期待の声が入り混じり、すでに戦いの始まりを予感させる。
観客席の方からは、笛と太鼓の音がかすかに響いていた。
リアンとサラが列に並んだとき、喧騒を割って聞き覚えのある声が飛んできた。
「おーい! リアン!」
振り向くと、ヴェイルガードの面々が手を振っていた。
リーダーのカイを先頭に、ブラム、リゼ、ミーナ、ニコの姿。
全員が普段の装備に近い出で立ちで、戦う気満々といった様子だった。
「お前が出場するって聞いてびっくりしたぞ!」
カイが豪快に笑い、隣でブラムが太い腕を組む。
「まさか導き手がこの大会に出るとはな……俺も本気出さねぇと」
ドワーフの重戦士ブラムが、背負った戦斧の柄をぽんと叩いた。
「ブラムさんも出るんですか?」
「おうよ。力試しだな。ま、俺は優勝狙ってるがな!」
白い歯を見せて笑うブラムの目には、闘志が宿っていた。
リアンは苦笑しつつも「お互い頑張りましょう」と言葉を返した。
「お前が相手になったら燃えるな!」
ブラムは豪快に笑い、仲間たちと共に列の後方へ向かっていった。
ヴェイルガードの面々もそれぞれ「健闘を祈る」と声をかけて去っていく。
サラはそれを見送りながら小さく笑った。
「賑やかね。……でも悪くないわ。こういう熱気、嫌いじゃない」
リアンも同じように笑い返す。
「みんな本気だ。……俺も、負けていられないな」
受付で名前を伝え終えると、背後から落ち着いた声が響いた。
「来たわね、リアン」
振り返れば、赤い髪の女性――レイナ・ヴァシュタールが腕を組んで立っていた。
その隣には、柔らかな笑みを浮かべたセラの姿もある。
「レイナさん、セラも来てたんですね」
「ええ、二人の顔を見にね」
セラは風に髪をなびかせながら、穏やかに微笑んだ。
「街中がこんなに熱を帯びてるの、久しぶり。風も少し落ち着かないみたい」
「せっかくだから、ちゃんと見届けさせてもらうわよ」
レイナが言葉を継ぐ。
「導き手が大会に出るなんて滅多にないことだし……面白くなりそう」
その声音には、期待と興味がはっきり混じっていた。
サラは眉をひそめ、半歩前に出る。
「……リアンを守るために出なくていいの? 何かあったら困るでしょ」
「出ないわよ。彼が自分で決めたんでしょ?」
レイナは軽く笑いながら、視線をリアンへと向ける。
「あの時の“やるって決めた”顔、悪くなかったもの」
サラが少しむっとして言い返す。
「そういうこと言うの、やめなさいよ。あんた、試すような言い方ばっかりする」
「試してなんかいないわ。ただ――本気の顔を見たかっただけよ」
レイナの赤い瞳が、ほんの少し優しく揺れた。
そのやり取りに、セラがくすりと笑う。
「ふふ……どちらも似た者同士ね。どっちも、彼の背を押したいだけ」
「私は押すより引っ張るタイプよ」
サラがそっぽを向く。
「放っとくと無茶するんだから、見張ってないと」
「はいはい。頼もしい守り手さま」
レイナは肩をすくめ、楽しげに言った。
「ま、あなたたち二人が揃ってるなら心配ないでしょう」
リアンはそのやり取りを見て、ふっと笑みをこぼす。
「……なんだか安心しますね。皆がいてくれると」
セラが静かに頷いた。
「ええ。でも最後に立つのは“あなただけ”。その瞬間を、ちゃんと掴みなさい」
レイナも腕を組み直す。
「導く風を、見せてちょうだい」
サラは視線を前に向け、短く言う。
「行くわよ、リアン。風が止む前に」
リアンは深く息を吸い込み、拳を握った。
熱と風が交わり、紙片が舞う。
その流れの中で、四人の視線が交わった。
――いよいよ、“戦いの朝”が始まる。
控室に入った瞬間、空気が変わった。
ざわめきが一斉に広がり、リアンの名が「導き手」として知れ渡ったのは一瞬のことだった。
「おい、見ろよ……あれが“本物”か……!」
「マジか、導き手が出るなんて……」
「上手く組めれば俺の名前も売れるぞ!」
「いや、あの紋章を奪えれば……俺だって……!」
耳に入るのは期待、嫉妬、野心――それぞれが違う熱を持って渦巻いていた。
導き手は“魂を救う者”として崇められる一方で、命を落とせば“狙われる存在”にもなる。
祈るような目で見つめる者もいれば、値踏みするような視線を隠そうともしない者もいた。
リアンはその視線を受けながら、静かに息を整えた。
(……大丈夫だ。ここで怯んだら、風が止まる)
「リアン・アルステッド、だな?」
低い声が背後から落ちた。振り返ると、鎧を着た大柄な戦士が立っていた。
笑顔を浮かべてはいるが、瞳の奥に冷たい光が宿っている。
「もしよかったら、俺が君の“守り手”を務めようか? 導き手が無理をする必要はないだろ?」
「……気持ちはありがたいけど、俺は大丈夫です」
リアンがやんわりと断ると、男の笑みが一瞬だけ歪んだ。
舌打ちを残して背を向ける。その目に、敵意と打算が一瞬だけ閃いた。
――それから、似たような声が何度もかかった。
崇拝も、取引も、挑発も。
そのすべてが、ひとつの事実を示していた。
“導き手”という名は、それだけで戦場の真ん中に立たされるということ。
リアンは目を閉じ、左手を握りしめた。
掌の中に、風の脈動がわずかに走る。
(……俺は、導く。奪われるためじゃなく――守るために)
一方その頃、サラは観客席の空いた場所を探していた。
人波をかき分けて見上げると、特等席の一角でレイナと目が合った。
その隣には、白い外套を羽織った女性――セラの姿もある。
レイナはゆったりと手を振り、こちらへ手招きしてくる。
サラは小さく肩をすくめ、しぶしぶその席へ向かった。
「こっちに来なさい。いい席、用意してあるわ」
レイナはにこりと笑みを見せる。
「……あんた、導き手の隣にいられないのが不満そうね?」
席に座ったサラへ、わざとらしい声音でそう切り出す。
「それとも――リアンの隣にいられないから?」
サラは一瞬言葉を詰まらせ、頬を赤らめて視線を逸らした。
「……べつに。そんなことない」
レイナは楽しげに唇をゆがめる。
「ふふ、そういう顔は隠せないのね」
そこでセラが小さく笑った。
「やめてあげなさい、レイナ。サラはただ――心配してるだけよ」
「……心配なんかじゃない。ただ、見届けたいだけ」
サラは腕を組み、少しそっぽを向く。
「アイツがどこまで戦えるか、それを見たいの」
セラは柔らかく頷いた。
「うん、それでいい。導き手の隣に立つ“守り手”って、そういうものだもの」
風が吹き抜け、三人の髪を揺らす。
その声は穏やかで、どこか祈りのようだった。
レイナは観客席を見下ろしながら、ため息まじりに呟いた。
「導き手が出れば、“守り手”志望も紋章狙いも群がる。……その緊張感、私は嫌いじゃないの」
「……ほんと、性格悪いよね」
サラはむすっとしながらも、きっぱり言った。
「でも、私は信じるって決めた。リアンを」
セラが静かに微笑む。
「……いい風ね。信じる気持ちは、必ず届くわ」
レイナは口元を隠して小さく笑い、肩をすくめた。
「いいわね、その顔。――じゃあ、一緒に見届けましょうか」
三人の視線が、同じ闘技場の中心へと向かう。
そこに立つひとりの青年――リアンの姿を追いながら。
やがて、予選の開始を告げる鐘が、闘技場全体に響き渡った。
低く、長い音が、石壁と空に反響する。
控室の扉が開き、リアンたち参加者が列を作って通路を進んでいく。
革靴の音、鎧の擦れる音、誰かの息づかい。
そのすべてが、戦いの前触れのように重なっていた。
石畳の通路を抜けた先、まばゆい光と大歓声が待ち受けていた。
観客席の熱気が波のように押し寄せ、砂の香りが風に混じる。
リアンは一瞬だけ足を止め、観客席を見上げた。
――そこに、サラの姿があった。
彼女はすでにこちらを見つめていた。
その瞳は、いつものように真っ直ぐで、どこか誇らしげだった。
――大丈夫。ちゃんと見てる。
声にはならなかったが、その瞳が確かにそう語っていた。
リアンは小さく息を吐き、背筋を伸ばす。
(見られてるなら、見せなきゃな)
――いよいよ、試練の幕が上がる。
⸻
闘技場中央。
三十組を超える人の波が、砂の舞う大きな円形フィールドを取り囲んでいた。
観客席はすでに満員。歓声と熱気が、風となって降り注ぐ。
高台には、銀髪をすっきりとまとめた女性――
紋章教会の広報官、カトリーヌ・ヴァルマーが立っていた。
その声は凛として透き通り、場内のざわめきをすぐに鎮める。
「――予選は本日一日で行います。これより、ルールを説明いたします」
静寂。
全員の視線が、彼女に集まった。
「この場の参加者全員で、同時に試合を開始します。
最後まで残った十名のみが、明日の本戦へ進出します」
「……は?」
リアンとサラの声が、ほぼ同時に漏れた。
一対一を想定して稽古してきただけに、その一言はまるで雷のように響いた。
「ちょ、ちょっと待って! 一斉にやるってこと!?」
観客席でサラが身を乗り出す。
「う、うん……多分そう……」
フィールド上のリアンが、引きつった笑みで返す。
観客席の上段、レイナは「あ、やっぱり知らない」という顔で小さく口元を押さえた。
その隣でセラが、困ったように肩をすくめる。
「……相変わらずね、レイナ」
「ええ、でもその反応、悪くないわ。緊張もいいスパイスよ」
⸻
その時、観客席の反対側から低い声が重なった。
銀縁の眼鏡をかけた男――クロード・ベネディクトが、解説席のマイクを握っている。
「バトルロイヤル形式です。戦闘不能、もしくは場外に出た者は即退場。
残った十名が明日の本戦へ進出となります」
リアンの周囲でざわめきが広がる。
誰かが息を呑み、誰かが笑った。
砂の上で靴が軋む音が、やけに鮮明に響いた。
カトリーヌは頷き、再び進行を続けた。
「武器の持ち込みは自由。ただし、紋章の使用は禁止です。
戦闘不能、もしくは場外に出た時点で退場となりますので、十分ご注意ください」
再びざわめき。
どの顔にも焦りと計算が浮かんでいる。
この戦いは“倒す”よりも“生き残る”ことが勝利――その意味を、全員が悟った。
リアンは喉を鳴らした。
「……やばくない?」
サラの声が頭の中で聞こえた気がして、思わず苦笑いがこぼれる。
「うん、やばいね……」
小声で呟き、剣の柄に手をかける。
⸻
クロードの解説が続いた。
「導き手が出場するのは極めて稀です。この形式では守り手志望者が群がるでしょうし、
中には紋章を狙う者も混じっているはずです」
「そのあたりも含めて、見どころですね」
カトリーヌが淡々と締めた。
観客席では、サラが手すりを掴み、無意識に拳を握っていた。
「……誰が相手でも関係ない。リアン、絶対負けんなよ」
レイナは横で頷く。
「ええ。彼は、もう導くだけじゃない――“戦う導き手”になるわ」
セラは穏やかな声で続ける。
「風は、彼を裏切らないわ。……あの子なら、きっと掴む」
――闘技場全体が静まり返った。
陽光が砂の上で白く反射し、風が一度だけ止む。
すべての呼吸が、次の一瞬を待っている。
そして、カトリーヌの手が高々と掲げられた。
「――予選、開始!」
鐘の音が空を裂いた。
同時に、爆ぜるような歓声が湧き上がる。
砂煙が舞い上がり、剣戟の音が連鎖する。
叫び、風切り、衝撃――音が重なり合い、闘技場が一つの“嵐”と化す。
リアンは深く息を吸い、左手にわずかに風を纏わせた。
その風は静かに――だが確かに、彼の背を押している。
「……行こう。風が導く方へ」
風が吹いた。
戦いが、始まった。




