第218話 灰を守る者たち
激しい戦闘は、なおも続いていた。
黒い瘴気が広間を満たし、男の剣が振るわれるたびに影が生まれる。床を這い、壁を伝い、人の形を成して襲いかかるそれらを、セリアたちは必死に押し返していた。
リアンは息を荒げながら、男の一撃を刀で受け流す。
火花のように風が散る。
間髪入れず、次の刃が迫る。
身を沈め、かわす。
背後の石柱が真っ二つに裂けた。
「くっ……!」
どうする。
リアンの思考は、戦いながら巡っていた。
このままでは押し切れない。
辺りを見渡す。
崩れた石柱、散乱する死体、黒い影、瘴気に染まった広間。
利用できそうなものは何もない。
セリアたちを見る。
あちらも手一杯だった。
セリアは影で敵を押さえ、ディルは槍で守り、エリナは水面の結界を維持している。ラゼルは別方向で暴れ続けていた。
誰も余裕がない。
くそ。
何かないか。
男の剣がまた振るわれる。
そこから黒い影が次々と湧き出した。
あの剣。
瘴気の塊。
物理的に壊せる代物ではない。
なら、こちらも影を呼ぶか。
英雄の影。
サラの影。
脳裏に浮かぶ。
だが、すぐに首を振った。
いや。
それは最後の手段だ。
なるべく呼びたくない。
こんなことすら自分で解決できないようでは、サラに笑われてしまう。
だったら。
この瘴気そのものを何とかすれば、セリアたちも動けるはずだ。
リアンは右手を見る。
《箱舟の紋章》。
淡く脈打っていた。
魂を導くしかない。
だが、導きには隙ができる。
この男を相手に、立ち止まる一瞬は致命的だ。
どうすれば――
その時だった。
ふっと、風が吹いた。
柔らかな風だった。
戦場に似つかわしくない、穏やかな気配。
どこから来たのかは分からない。
だが、懐かしいような温かさがあった。
「――っ!」
次の瞬間、男の剣がリアンの服を掠める。
布が裂け、肩口が熱を帯びた。
何を考えている。
今は戦闘中だ。
リアンは自分を戒める。
男は余裕の笑みを浮かべた。
「今のは欲しかったな」
その時だった。
裂けた服の隙間から、小さな小瓶が床へ転がった。
ころり、と乾いた音を立てる。
リアンの目が見開かれる。
それは――ロイと思われる死体の側に落ちていた、灰の入ったガラスの小瓶だった。
男が視線を落とす。
そして鼻で笑った。
「そんな、ただの灰を持ち歩いているのか」
剣先が向く。
「偽善者め」
振り下ろされる。
「やめろ!!」
リアンは反射的に飛び込んだ。
小瓶を庇うように腕を差し出す。
黒い刃が腕を掠め、血が飛ぶ。
「ぐっ……!」
痛みが走る。
それでも、小瓶は守った。
リアンは歯を食いしばる。
「これは……俺の……」
息を吐く。
「俺の友人の、大切な物だ!」
その瞳には、明確な怒りが宿っていた。
男の声色が変わる。
「友人?」
低く、冷たく。
「それは本当に友人だったのか?」
一歩近づく。
「それに、そんな物のために命を懸けて守る意味があるのか?」
剣先が揺れる。
「中身すら、わからないのに?」
その言葉で、リアンの中の何かが切れた。
「これは――!」
叫ぶ。
「その友人の、大切な人だ!!」
踏み込む。
「その想いを、馬鹿にするな!!」
刀と剣が激突した。
衝撃が広間を揺らす。
火花の向こうで、互いの顔が至近距離にある。
リアンは睨みつける。
「お前も!」
押し込む。
「愛する者に会いたいから、こんなことをしてるんだろ!!」
男の瞳が揺れる。
「なら――」
さらに力を込める。
「この小瓶が、どれだけ大切な物か……分かるはずだろ!!」
一瞬の沈黙。
男はふっと笑った。
「……お前のことが、少し分かった気がするよ」
口角が吊り上がる。
「ただのお人よしの馬鹿だ」
その瞬間。
リアンの身体に風が舞った。
足元から巻き上がり、腕を伝い、刀身へと集まる。
それは鎌鼬のように鋭い刃となって、男の全身を切り刻んだ。
「っ……!」
男がたまらず距離を取る。
服が裂け、血が散る。
「厄介な紋章だよ……」
その胸元から、小さな小瓶が落ちた。
男は即座にしゃがみ込み、それを拾う。
焦ったように傷を確かめ、壊れていないか確認し、胸元へ大切そうにしまい込む。
リアンはそれを見て叫んだ。
「お前だって、そうだろう!!」
男は立ち上がる。
「……いや、違う」
低く言った。
「これは、俺の大切な物だ」
一拍。
「お前のではない」
リアンは怒鳴る。
「何が違うっていうんだ!!」
男は答えない。
ただ剣を構えた。
周囲の瘴気が一斉に吸い寄せられる。
影が消える。
死体が崩れる。
広間を埋めていた黒が、まるで夜そのもののように男の剣へ集束していく。
「なに……?」
セリアが目を見開いた。
「何が起きたの?」
影の手を止め、周囲を見回す。
ディルも槍を構えたまま、わずかに視線を巡らせた。
消えた敵影。
静まり返る死体。
異様な静寂。
エリナだけは変わらず、両手を合わせて祈りを捧げている。
額の汗を流しながら、それでも術を切らない。
ラゼルは荒い息のまま吐き捨てた。
「あぁ? 何だ……?」
その全てを飲み込み――
刀身が、黒く輝いた。
「分からなくていい」
男の声は静かだった。
「お前は――もういい。死ね」
リアンも刀を構える。
風の精霊たちが一斉に集まり、刀身へ吸い込まれていく。
白い光が走る。
全ての風を、一太刀に込める。
リアンは前を見る。
「俺は――」
踏み込む。
「生きる!!」
黒と白。
互いの最後の一撃が、放たれた。




