第6話 王命
その夜、ギルドの出張所に、また人が集められた。
今朝より狭く感じた。鎧の騎士が二人、壁際に立っていたからだ。
一人は大柄で、頬に古い刀傷があった。ガルドと名乗った。それきり一言もしゃべらず、腕を組んで俺を見ていた。
もう一人は細身で、よく笑う男だった。エコーと名乗って、部屋に入るなり、酒場の主人にまで愛想よく頭を下げていた。
二人とも、クロニカの護衛として騎士団から付けられたのだという。
「遅くなって、申し訳ありません」
クロニカは、リブラ所長の机の前に座ると、まずそう言った。
「リブラ所長が出してくださった早馬が王都に届いたのが、勇者様が発った二日後でした。私に命が下りたのは、さらにその翌日です。そこから馬車で三日」
「命が下りるのに、一日かかったのか」とリブラ所長が言った。
「はい。書状の用意に手間取ったと聞いています。所長の知らせに、勇者様が荷を置いて三日で山頂を目指すとあったので、王は、もしものときの書状もお書きになったそうです」
クロニカは、それ以上は何も言わずに、今朝の調書を読みはじめた。
読むのが速い。ページをめくる指が止まらない。それなのに、ところどころで指を止めて、帳面に何か書き写している。
最後まで読み終えると、クロニカは顔を上げた。
「ケルンさん。あなたの記録も、見せていただけますか」
俺は手帳を開いて、サナの署名のあるページまでを指で押さえた。
「救助の記録は、ここまでです。その先は、まだ俺の個人的な覚え書きなので」
クロニカは少しだけ俺の顔を見て、それから、うなずいた。
「わかりました。ここまでを、拝見します」
出発前夜の酒場。一時間ごとの記録。分かれ道。大岩の石が八つ。五千の雪原。サナの聞き取りと、震えた字の署名。
読み終えると、クロニカは手帳を両手で返してきた。
「……一時間ごと。山の上で、これを」
「書かないと、忘れるので」
クロニカは、少し黙った。それから、帳面の間から封書を一通取り出した。封蝋に、王家の紋章が押してある。
「王より、記録官に預けられた書状です。読み上げます」
部屋が静かになった。
「勇者が任に堪えぬと記録官が判じたときは、その任をただちに停めよ。しかるのち、山を知る者を探し、魔王城までの案内を命じよ」
クロニカは、部屋の隅を見た。ラッシュが、今朝と同じ服のまま、椅子に座っていた。
「勇者ラッシュ様。虚偽の訴え、ならびに国宝である聖剣の紛失。ギルドの調書と、案内人の記録と、同行者二人の証言により、記録官として判じます。勇者の任を、この場で停止します。王都から迎えが来るまで、村を出ないでください」
ラッシュは、何も言い返さなかった。
「……エールの件も、王都まで行くのかね」と酒場の主人が小声で言った。
「書きました」とクロニカが言った。
主人は、満足そうにうなずいた。
◇
「ケルンさん」
クロニカが、俺に向き直った。
「王の名において、お願いします。魔王城までの案内を」
条件を出した。山の上では俺の言うことを聞く。引き返せと言ったら、山頂がどんなに近くても引き返す。山頂へ向かう日は、正午までに着かなかったら、魔王が目の前にいても引き返す。
「なるほど」とエコーが言った。「魔王が目の前にいても、引き返す、か」
「騎士に向かって、案内人ごときが指図か」
ガルドだった。初めて口を開いた。
「山の上では、そうです」
ガルドは俺をじっと見て、ふん、と鼻を鳴らした。反対なのか賛成なのか、わからなかった。
「いいじゃないか」とエコーが笑った。「山のことは山の人間に、だろう?」
「私は、その条件で結構です」とクロニカが言った。
「……なら、引き受けます」
「私も行きます」とサナが言った。「今度は、魔法でできることと、できないことを、ちゃんとわかって行きます」
「オレも」とブラフが手を上げた。「足が治ったらな。今度はちゃんと靴履いて」
「靴の件も、書いておきますね」とクロニカが言った。
「書かなくていい!」
何人かが笑った。
俺は、一つだけ聞いた。
「サナさんとブラフさんの加護は、どうなるんですか。勇者の任が停められたら」
「すぐには消えない、と聞いています」とクロニカが言った。「加護は女神が一行に与えるもので、人の決めた任とは別です。ただ、いつまで続くのかは、誰にもわかりません」
「俺たち騎士には、もとからないさ」とエコーが肩をすくめた。「案内人殿にもな。ただの頑丈な人間ってことだ」
ただの頑丈な人間。
山では、それがいちばん先に死ぬ。
◇
宿に戻ると、部屋の前にラッシュが立っていた。
「頼む」とラッシュは言った。前置きはなかった。「連れていってくれ。荷物持ちでも何でもいい。魔王を倒せば、勇者に戻れる」
「無理です」
「なんでだ」
「王命の隊は、もう決まりました。それに、ラッシュさんは村を出ちゃいけないんですよね」
ラッシュは歯を食いしばった。
俺は、少し迷ってから言った。地図のことを口にするのは危ない。でも、この人の顔を動かすには、こちらから札を切るしかなかった。
「代わりに、一つ聞かせてください。三千八百の天幕で見ていた地図。あれは、誰にもらったんですか」
ラッシュの体が、こわばった。
「……何の話だ」
「七千六百に、丸がついていました。親父が、先代の勇者と別れた場所です」
ラッシュの目が、ほんの一瞬、揺れた。
「……知らねえよ、そんなこと」
ラッシュは背を向けて、自分の部屋に入っていった。
知らない、とは言った。
もらっていない、とは言わなかった。
◇
部屋に戻って、灯りの下で手帳を開いた。
考えた。
あの地図には、大岩の道が描いてあった。三千の少し手前で、東の尾根と分かれる道。親父は、子どもの俺にさえ、この道を使わせなかった。
この道を知っている人間は、二十年前の討伐隊だけだ。
勇者グロリオスは、帰らなかった。親父は、死んだ。ハーケンは、字が読めない。地図に、数字や村の名前を書き込むことはできない。
親父の手帳は、ずっと俺の背負子にあった。ハーケンが誰かに道を話していたなら、あの小屋でそう言ったはずだ。
残るのは、一人だけだ。
書き屋。
生きて帰った、もう一人。山でずっと帳面に何か書いていた男。そして、ハーケンの名前で、王都の記録院に報告書を出した男。
王都の記録院。
クロニカが来たところだ。
俺は、手帳の、地図のことを書いたページを、指でなぞった。
あの人には、まだ言えない。
◇
戸が叩かれたのは、それから少しあとだった。
開けると、クロニカが帳面を抱えて立っていた。
「さっきの続きを、二人だけで話させてください」
クロニカは椅子に座ると、帳面を開いた。
「この討伐を記録するために、二十年前の前例を調べてきました。先代勇者グロリオス様の隊の記録係が、山でつけていた記録です。記録院が預かって、王宮の書庫に納めてある原本です。記録院長のエルンスト様に許しをいただいて、書庫に入りました」
クロニカは、写しの束をめくった。
「七千メートルより上の数日分だけ、ページが抜き取られていました。綴じ糸に、刃物で切った跡がありました」
「ギルドにあった報告書の写しも、七千から上が途切れていました」と俺は言った。「別の書類ですよね」
「はい。報告書は、山から戻ったあとに書かれたものです。でも」
「その記録をもとに書かれたはずです」
クロニカが、うなずいた。
「元になる記録から七千より上が抜けていれば、報告書のほうも、七千から上は好きなように書けます」
俺は、親父の手帳の最後のページのことも話した。七千六百。勇者の命令で隊員を連れて下りたこと。必ず迎えに戻ると書いて、本当に戻ったこと。七千より上は字が乱れて、ほとんど読めないこと。
「その手帳を、いつか読ませていただけませんか」とクロニカが言った。「崩れた字を読むのは、記録官の仕事です」
「……いつか」
それだけ答えた。クロニカは、それ以上は頼まなかった。
俺は、少し迷った。
ハーケンのことを話すかどうか。親父が二十年黙って守った人のことを。
でも、小屋を出るとき、ハーケンは言っていた。わしのことは、話してかまわん。二十年、黙りすぎた、と。
ラクナという名前も、ハーケンのことも、二十年前から向こうは知っている。今さら隠しても意味はない。でも、地図のことは違う。あれを俺が見たと知っているのは、ラッシュだけだ。
「報告者になっているハーケンさんは、字が読めないんです」と俺は言った。「報告書は、討伐隊の記録係が書いて、読み上げて、印だけつけさせたそうです。読み上げた中身と、書いてあった中身は違っていた」
クロニカのペンが、止まった。
「記録係……」
「ハーケンさんたちは、書き屋と呼んでいたそうです。本人は、ラクナと名乗っていた。本当の名前かどうかは、わからないと」
「ラクナ」
クロニカは、帳面の後ろのほうをめくった。
「記録院には、ラクナという記録官はいません。私が知るかぎり、二十年前にも。……原本の最初に、隊員の名簿があります」
指が、ある行で止まった。
俺は、横からのぞき込んだ。
勇者グロリオス。案内人アンカー。荷運びハーケン。隊員シュルント、六千五百にて没。隊員グラート、七千二百にて没。
その下に、もう一行。
「記録係」
肩書きの横の名前だけが、墨で黒く塗りつぶされていた。
クロニカは、しばらくその黒い四角を見つめていた。
「……写したとき、私は、これに気づいていませんでした」と、小さな声で言った。「黒く塗られていたから、黒く塗って写した。それだけです」
クロニカは、名簿の上のほうに目を戻した。
「記録院にある報告書の写しでは、ハーケンさんは『討伐隊員』でした。名簿では、荷運びです。報告書を書いた人が、肩書きに重みをつけたのかもしれません」
それから、クロニカは顔を上げた。
「ケルンさん。この名前を塗ったのは、誰だと思いますか」
答えられなかった。
答えは、たぶん、もう半分わかっていた。
書き屋は、王都の記録院に報告書を出した。その記録院の書庫で、書き屋の名前が消されている。
そして、この黒い四角を俺に見せているのは、その記録院から来た人だった。
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