第25話 書き足す
審問から五日後、王の名で、布告が出た。
王都の広場の掲示板に貼られたその紙を、俺は、人だかりの後ろから読んだ。
二十年前、ヴァルテン山にて、先代勇者グロリオスの隊の案内人アンカーは、勇者の命により隊員を連れて下り、のちに一人で迎えに戻った。案内人アンカーは、勇者を見捨てた者ではない。これをもって、その名を記録に戻す。
短い布告だった。
隣で、ハーケンが、杖にもたれて、紙を見上げていた。
「……読んでくれ」
俺は、声に出して読んだ。一字ずつ。
ハーケンは、最後まで黙って聞いていた。それから、紙のいちばん下の、王の印の形を、しばらく見ていた。
「印の形は、覚えた」とハーケンは言った。
◇
布告が出た日の午後、記録院で、二十年前の報告書の綴りが書き改められた。
書き改めたのは、クロニカだった。
俺は、その場に立ち会った。エルンストと、リブラ所長と、ハーケンも一緒だった。
クロニカは、報告書の綴りを机の上に開いた。報告者、討伐隊員ハーケン。その下に、案内人アンカーが勇者を見捨てて逃げ下ったと書いた、二十年前の字。
クロニカは、そのページを、一字も削らなかった。
かわりに、次のページに、新しい紙を一枚綴じ足した。
そして、石墨ではなく、インクで書いた。
「右の報告は、偽りである。書いたのは、記録院の書記パリム。荷運びハーケンの名を借り、ハーケン殿の前で別のことを読み上げ、印をつけさせた。真実は、先代勇者グロリオスの手記、ならびに案内人アンカーの手帳と手紙による。審問の記録を見よ」
日付と、自分の名前を書いた。
それから、筆を置いた。
「削らないんですか」とリブラ所長が聞いた。
「削りません」とクロニカは言った。「削ったら、二十年、この報告が棚にあったことも消えてしまいます。誰が読まなかったのかも。誰が、確かめなかったのかも」
エルンストが、目を伏せた。
「記録は、削らずに、書き足すものだと思います」
クロニカは、俺のほうを見た。
「ケルンさんの手帳も、そうでしたよね。同じ十五時を二回書いたところも、消さずに、横に印をつけて残してありました」
「……あれは、消し忘れただけです」
「残っていたから、ケルンさんの頭が鈍っていたとわかりました。それも、記録です」
ハーケンが、綴りの新しいページを、指でなぞった。字は読めない。でも、指は、最後の名前のところで止まった。
「これが、お前の名か」
「はい」
「それと、ここに、わしの名がある」
ハーケンの指が、前のページの、自分の名の上で止まっていた。二十年前に、印をつけたところだ。
「わしの名は、消えんのか」
「消えません」とクロニカは言った。「消したら、ハーケンさんが二十年黙っていたことも、消えてしまいます」
ハーケンは、しばらく何も言わなかった。
ゆっくりと、うなずいた。
◇
パリムの名も、消されなかった。
記録院の書記の名簿の、パリムの行には、書記長の肩書きの横に、一行が書き足された。罪と、日付と、北の塔に生涯とどめ置くという、王の裁き。
「先生は、記録に残るのは筆名でいい、と言っていたそうです」とクロニカは言った。「グロリオス様の手記に、そう書いてありました。だから、本当の名前で残します」
クロニカは、それ以上、パリムの話はしなかった。
ただ、一度だけ、北の塔へ行ったらしい。何を話したのかは、聞いていない。自分がなぜ拾われたのかは聞かなかった、とだけ、クロニカは言った。帰ってきたクロニカは、手に、古い紙の束を持っていた。
書き損じの紙だった。裏に、子どもの字で、同じ字がいくつも並んでいた。
七。七。七。
どれも、払いが、少しだけ跳ねていた。
その上に、大人の字で、まっすぐに抜いた七が、一つ。
「先生の部屋に、残っていたそうです」とクロニカは言った。「燃やせない人でしたから」
◇
エコーの裁きは、その翌日に出た。
騎士の位を解く。三年、王都を離れ、労役につくこと。
殺すつもりはなかったとは言わない、と、エコーは審問で言った。ザイルを切ったとき、お前が落ちてもいいと思った、と。そのとおりに、記録された。
そして、八千の稜線で、四十二の指図を逆の順に一度も違えず言って、隊を七千六百まで下ろしたことも、記録された。その功と相殺して、裁きは軽くなった。
「労役の場所は、本人に選ばせる」と王は言った。
エコーは、ヴァルテン山の麓の村を選んだ。
「荷運びを、させてくれ」とエコーは俺に言った。「三年。案内人の言うことを、全部復唱する」
「給金は、出ませんよ。労役なので」
「わかってる」
「三千から上へは、村の荷運びは登らないのが慣わしです」
「わかってる」
エコーは、少し笑った。
「それより先に、行くところがある」
エコーの手には、封の切られた手紙が一通、あった。
グラート殿のご家族へ。記録院気付け。
親父の字だった。エルンストが、箱の中から、エコーに渡したものだった。
エコーは、王都の南の、小さな家に帰っていった。
あとで聞いた。
エコーの母親は、手紙を、三度読んだそうだ。三度目に、声を出して泣いて、それから、エコーに言ったという。
――あの人が、背負われたなんて。かけっこで、一度も負けたことがなかったのに。
エコーと、同じことを言ったのだそうだ。
◇
ラッシュは、王に呼ばれた。
魔王を落とした功により、勇者の名を戻してもよい、と王は言った。
ラッシュは、断った。
「勇者は、もういいです」
「では、何を望む」
ラッシュは、しばらく黙っていた。俺のほうを見た。
「……荷運びから、やり直します。ヴァルテン山の麓で」
王が、俺を見た。
俺は、少し考えた。
「給金は、年に金貨四枚です」
「安っ」
「三年間、俺はそれでやってきました」
ラッシュは、口を開けて、閉じた。
それから、うなずいた。
「……あと、借りがあったな。金貨三枚と、銀貨七枚」
「覚えてたんですか」
「記録官殿の帳面に、書いてあったからな」
◇
最後に、王は、俺を呼んだ。
「案内人ケルン。爵位を与えると言ったら、受けるか」
「受けません」
広間が、少しざわついた。
「では、何を望む」
俺は、懐から手帳を出した。この三日、宿で考えて、書いておいたページを開いた。
「三つあります」
「申せ」
「一つ。勇者の一行が山に入るときは、その山の案内人を一人、必ず連れていくこと。案内人が引き返せと言ったら、引き返すこと。正午を過ぎたら、魔王が目の前にいても、引き返すこと」
顧問の誰かが、くすりと笑った。王は、笑わなかった。
「二つ。ヴァルテン山の麓の村に、案内人の小屋を一つ。若い者に、山を教える場所です。高く登って低く寝ること。支点は二つ取ること。石を数えること」
「三つ目は」
俺は、少しだけ迷った。
「親父の手帳を、返してください。記録院が預かっているので」
王は、しばらく俺を見ていた。
初めて、少し笑った。
「三つとも、許す。……欲のない男だ」
「欲は、あります」と俺は言った。「親父の手帳がないと、困るんです。天気のページの続きが、書けないので」
◇
その夜、宿の部屋で、親父の手帳の最後のページを開いた。
七千六百。グロリオス様の命により、隊員を連れて下りる。必ず迎えに戻る。
戻った。間に合わなかった。石を積んだ。
その下に、余白があった。
俺は、石墨を取り出して、親父の字の下に、一行、書き足した。
「二十年後、息子が石を足しに行った。間に合った」
書いてから、少し迷った。
それから、もう一行。
「全員、連れて帰った」
手帳を閉じた。
窓の外で、王都の灯りが、一つずつ消えていった。
記録院の、西の端の、二階の窓を探した。
そこだけは、はじめから暗かった。あの窓に灯りがともることは、もうない。
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