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追放された山岳ガイド、サンダルで標高八千メートルに挑む勇者パーティを見送る【連載版】  作者: 朝霧ナギ


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第23話 審問

 王宮の広間は、天井が高すぎて、声が上まで届く前に消えた。


 正面の壇の上に、王が座っていた。白い髭の、思っていたより小柄な人だった。その左右に、顧問の貴族たちが並んでいる。壇の下の、少し脇の机に、記録院長のエルンスト。その後ろに、書記長のパリムが立っていた。


 俺たちは、壇の正面の、長い腰掛けに並んで座らされた。


 ブラフが、小声で言った。


「……靴、脱いだほうがいいのかな」


「履いててください」とサナが言った。


   ◇


 はじめに、クロニカが立った。


 帳面を開いて、今度の討伐の記録を読み上げた。


 勇者の任を停めたこと。聖剣を割れ目の四十歩下で拾ったこと。燃料の壺の細工と、切られたザイル。それをしたのが護衛の騎士エコーであり、エコー自身がそれを認めたこと。正午に引き返したこと。雪の庇が崩れ、元勇者ラッシュが、魔王につかまれた自分の背負子の紐を聖剣で断ち、魔王が東の壁へ落ちたこと。


 全員が、生きて戻ったこと。


 読み終えると、王が、ラッシュのほうを見た。


「元勇者ラッシュ。記録官の言うとおりか」


 ラッシュは、立ち上がった。


「……はい。ただ、一つだけ」


「申せ」


「魔王を落としたのは、俺じゃありません。山です。俺は、自分の荷物を捨てただけです。山の上で、雪の庇がどこまで張り出しているか、俺は何も知らなかった。知っていたのは、案内人です」


 王は、しばらくラッシュを見ていた。


「三日で山頂へ行くと言った男とは、思えんな」


「同じ男です」とラッシュは言った。「だから、申し上げています」


   ◇


「次に」とエルンストが言った。「案内人ケルンより、申し立てがある」


 俺は、立ち上がった。


 膝が、少し震えていた。七千六百でも、震えなかったのに。


「二十年前の、先代勇者グロリオス様の隊の、案内人アンカーの名誉のことです」


 俺は、親父の手帳を開いて、王の前の机に置いた。


「七千六百。グロリオス様の命により、隊員を連れて下りる。必ず迎えに戻る。……そのあとに、こう書いてあります。戻った。間に合わなかった。石を積んだ」


 顧問の一人が、鼻を鳴らした。


「本人の手帳ではないか。自分のことを悪く書く者はおらん」


「はい」と俺は言った。「だから、ほかの記録も、持ってきました」


   ◇


 ハーケンが、杖をついて立った。


 広間の空気が、少し変わった。顧問たちが、ハーケンの平たい右の靴先を見ていた。


「わしは、字が読めません」とハーケンは言った。


 声は、震えていなかった。


「二十年前、わしの名で、王都に報告が出ました。それを書いたのは、隊の記録係です。ラクナと名乗っとった。わしの前で読み上げて、わしは印をつけました。読み上げられたのは、アンカーが恩人だという話でした。書いてあったのは、逆でした」


 王が、エルンストを見た。


 エルンストは、後ろを振り返った。


「パリム。報告書の写しを」


「こちらに」


 パリムが、一歩前に出た。綴りを開いて、王の前に置いた。それから、穏やかな声で言った。


「報告書は、荷運びハーケン殿の申し立てを、討伐隊の記録係ラクナが書き取ったものとして、記録院に届けられました。記録院は、それを受け取って綴じたまでです。当時の書記長の判が、ここに」


 パリムは、綴りの一か所を、長い指で示した。


「申し添えますと、ラクナという記録係は、記録院の者ではございません。討伐隊が王都で雇い入れた者と聞いております。報告書を届けたあと、行方は知れません」


 それから、ハーケンのほうを、気の毒そうな顔で見た。


「印をつけた者が、二十年たって、読めなかったと申し出る。……お気持ちはわかります。ただ、記録院としては、それを確かめるすべがございません」


 ハーケンの杖の先が、床の上で、かすかに鳴った。


「アンカーは、わしをかばって黙った」とハーケンは言った。「わしが王都へ行くと言ったら、お前が偽りの報告をしたことになる、と」


「それも、確かめるすべがございません」とパリムは言った。「アンカー殿は、亡くなっておられますので」


 穏やかな声だった。


 少しも、乱れていなかった。


   ◇


「グロリオスの手記があると聞いた」と王が言った。


「こちらに、お預かりしております」


 パリムは、油布の包みを、両手で机の上に置いた。


 包みを開く。三重の油布。その内側に、革の表紙の帳面。


「記録院の書記長として、私が読み上げます。よろしいでしょうか」


 王が、うなずいた。


 パリムは、帳面を開いた。


「アンカーへ。お前は、必ずここに石を足しに来る。だから、ここに置く」


 広間が、静まり返った。


 パリムは、ページをめくった。


「五千。アンカー、雪の割れ目を、ピッケルで突いて探す。一歩ごとに。遅い、と――」


 パリムは、一瞬だけ、言葉を止めた。


「――遅い、と思った。そのとき思ったことを、恥じる」


 クロニカが、俺の隣で、息を呑んだ。


 遅い、と記録係が言う。


 その一句が、抜けていた。


 パリムは、そのまま読み続けた。六千五百。シュルント。七千二百。グラート。七千四百、西から嵐。


「――暗い中で、足をくじいた者がいた。アンカーが探しに出て、背負って戻った」


 夜のうちに一人で外へ出て、下ろうとした。


 その句も、なかった。


 記録係、という言葉が、一度も出てこなかった。記録係の名を、ここに書いておく。記録院の若い書記、パリム。その段が、まるごと、なかった。


 パリムは、最後のページまで読んだ。


「アンカー。お前は、臆病者ではない。引き返す勇気がなかったのは、俺のほうだった。これを読んだ者は、王に伝えよ。案内人アンカーは、最後まで、正しかった」


 パリムは、帳面を閉じて、王の前に置いた。


「以上でございます」


   ◇


 王は、長いこと、何も言わなかった。


 ゆっくりと口を開いた。


「アンカーの名は、記録を改めて、戻さねばならんな」


 顧問たちが、うなずいた。


 パリムが、頭を下げた。


「まことに。記録院として、二十年、誤った記録を綴じてきたことを、お詫び申し上げます。偽りの報告をなしたのは、荷運びハーケンと、記録係ラクナ。ハーケン殿のお気持ちはともかく、記録の上では、そうなります」


 ハーケンの肩が、こわばった。


 親父が、二十年かけて守ったものが、ここで崩れようとしていた。


「お待ちください」


 クロニカが、立ち上がっていた。


「読まれていない行があります」


 パリムが、クロニカを見た。


 やさしい目だった。小さな子どもを見るような。


「どこにだね、クロニカ。私は、書いてあるとおりに読んだ」


「五千の段に一句。六千五百の段に、二つ。七千四百の段に一句。記録係の名を書いた段が、まるごと」


「記録係の名」とパリムは言った。「そのようなものは、どこにも書かれていない。陛下、どうぞ、ご自分の目で」


 王の前に置かれた帳面を、顧問の一人が開いた。六千五百の段。


 俺も、壇の下から、首をのばして見た。


 石墨の字が、並んでいた。行と行のあいだに、手のひら一つぶんほど、何も書かれていないところがあった。紙は、少しだけ白っぽく、けば立っていた。


「余白だな」と顧問が言った。「ここで筆を置いたのだろう」


「写しがあります」とクロニカが言った。


 俺は、懐から、油布に包んだ写しを出した。七千六百で、クロニカが一晩かけて写したもの。最初の頁に、七人の立ち会いの名前。


 エルンストが、それを受け取って、王に渡した。


 王は、写しと原本を、並べて開いた。


 しばらく、黙って見比べていた。


 パリムが、静かに言った。


「写しには、原本にない行がある。……陛下。写しというものは、写した者の手で、いくらでも書き足すことができます」


「立ち会った者が、七人いる」と王が言った。


「七人とも、この審問で、案内人の側に立つ者でございます。案内人の息子。勇者の任を解かれた男。魔王討伐の隊の燃料に細工をした騎士」


 エコーの顔が、白くなった。


「それに、名を書いた頁を、あとから写しの前に綴じ足すことも、できなくはございません」


「どちらを信じるかは、陛下がお決めになることです」とパリムは言った。


   ◇


 エコーが、立った。


 王都の酒場で声をかけてきた、色の白い書記のことを話した。インクで黒くなった中指のこと。七千六百の石には指一本触らせるな、と言われたこと。


 ラッシュが、立った。


 王都の宿に来た、頭巾の、穏やかな声の男のことを話した。


 クロニカが、立った。


 地図と、二通目の書状の、跳ねる七のことを話した。それが、自分に字を教えた人の癖だということも。


 パリムは、一つずつ、静かに答えた。


「色の白い書記は、記録院に十人はおります。インクで指の汚れていない書記は、一人もおりません」


「穏やかな声の男は、王都に何千とおりましょう」


「私の七が跳ねることは、記録院の誰もが知っております。知っていれば、真似るのは易い。……クロニカ、お前にも、それは書けるはずだ。小さいころ、私の字を真似て、よく叱られていたね」


 クロニカの指が、帳面の角を、きつく押さえた。


 王が、エルンストを見た。


 エルンストは、何も言えずにいた。二十年、書記長を疑ったことのない人の顔だった。


 広間が、静かになった。


 似ている。


 知っている。


 聞いた。


 どれも、何の証にもならなかった。


 俺は、王の前に開かれた、グロリオスの手記を見た。


 六千五百の段の、余白。紙の白さが、そこだけ少し違う。けば立って、光を吸っている。


 当てが、確信に変わった。


 雪の割れ目は、上から見ても見えない。平らな、ただの白だ。でも、朝や夕方、日が低いときに、横から光が当たると、雪の面のわずかな沈みが、影になって浮かび上がる。五千の雪原で、俺はそうやって割れ目を探した。親父に、そう教わった。


 馬車の中から、ずっと考えていたのは、それだった。


 グロリオスは、石墨で書いた。


 石墨は、押しつけて書くものだ。インクと違って、紙に、筋が残る。


「陛下」


 自分の声が、広間に響いた。思ったより、大きな声だった。


「灯りを、低くしてください」

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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