第22話 王都へ
王都までは、馬車で三日かかった。
馬車は二台だった。前の一台に、クロニカと、ガルドと、エコーと、ラッシュ。後ろの一台に、俺と、サナと、ブラフと、リブラ所長。
それから、ハーケンが乗っていた。
「わしは、行かんでもいい」と、出発の朝、ハーケンは言った。「字の読めん年寄りが、王都で何を言える」
「名前の形は、覚えてるんですよね」と俺は言った。
ハーケンは、しばらく黙っていた。
杖を馬車の床に立てて、乗り込んだ。
◇
一日目の夕方、宿場の宿で、リブラ所長が俺の部屋に来た。
銀縁の眼鏡を外して、布で拭きながら、言った。
「七千二百の話を、記録官殿から聞いた。グラートの家族の名を、アンカーが手帳に書き留めていた、と」
「はい」
「アンカーは、手紙を出していた」
俺は、所長の顔を見た。
「二十年前、私はまだ若い書記だった。報告書を書き写したのも私だ、と前に言ったな。その頃、アンカーが三度、ギルドに来た。王都の記録院へ、早馬で手紙を送ってくれと。三通とも、私が預かって、早馬に託した」
「宛先は」
「一通目は、記録院長殿。二通目は、グラートの家族へ。記録院気付けで。三通目は――」
所長は、眼鏡をかけ直した。
「三通目は、記録院長殿に、もう一度。一通目の返事が来なかったからだ」
「返事は」
「一通も、来なかった」
所長は、眼鏡の縁を指で押さえた。
「三通とも、アンカーがギルドを追われる前のことだ。追われたとき、私は、手紙のことを思い出しもしなかった。中身を聞こうともしなかった。若い書記の仕事は、預かって、託すまでだと思っていた」
所長は、俺の顔を見なかった。
「アンカーの除名を書き写したのは、私だ。その数か月前に、同じ手で、アンカーの手紙を早馬に渡している。……二つを並べて考えたのは、記録官殿から七千二百の話を聞いた、ゆうべが初めてだ」
部屋の灯りが、小さく揺れた。
「記録院に届いた手紙は、まず書記長の机を通る」と所長は言った。「私も、王都で書記をしていたことがあるから知っている。院長殿の手に渡るのは、書記長が仕分けたあとだ」
仕分けるのは、書記長と、その下の書記の誰かだ。
二十年前、山の件の手紙を、誰が仕分けていたのか。
「三通の控えは」
「ギルドの綴りに、託した日付だけが残っている」と所長は言った。「中身は、写していない。アンカーが、写さなくていいと言った。手紙は、届けば、それでいい、と」
親父らしかった。
書くのに、写させない。届くと思っていたからだ。
◇
三日目の昼、王都に着いた。
記録院は、王宮の西の、石造りの大きな建物だった。窓が多い。どの窓の向こうにも、机に向かう人の背中が見えた。
門の前で、クロニカが、一度だけ立ち止まった。
門の石段の、いちばん下の段を見ていた。
籠に入って、書き損じの紙にくるまれて。
クロニカは、何も言わずに、石段を上がった。
◇
院長の部屋は、紙の匂いがした。
記録院長のエルンストは、クロニカの顔を見ると、机から立ち上がって、両手で手を握った。
「よく戻った。全員、生きて戻ったと、早馬で聞いた」
「はい」
「魔王が、討たれたと」
「討たれました。記録は、すべてここに」
クロニカは、帳面を机に置いた。それから、ギルドの調書の写しと、俺の手帳の写しと、リブラ所長が持ってきた、村の天気帳の綴りを。
最後に、油布の包みを置いた。
「先代勇者グロリオス様の手記です。七千六百で、見つかりました」
エルンストの手が、止まった。
「グロリオス様の」
「はい。手記の中身は、王の前で申し上げます。それまでは、規則どおり、記録院に預けます」
俺は、クロニカの横顔を見た。
馬車の中で、二人で何度も話したことだった。
山で見つかった記録は、記録院に預ける。それが、王都の決まりだ。預けずにいれば、記録官が記録を隠したことになる。審問の場で、手記そのものが疑われる。
だから、原本は預ける。
写しは、俺の懐にある。七千六百で、七人の名前を書いた立ち会いの頁と一緒に。
「預ければ、先生は、きっと何かをします」と、二日目の馬車で、クロニカは言った。「燃やせない人ですから。燃やさずに、何かを」
「何かをされたら」
「それも、記録になります」
クロニカは、膝の上の帳面を見下ろした。
「記録官としては、してはいけない賭けです。だから、これも書きます。誰に何を預けて、何を預けなかったか」
「院長にだけは、写しのあることを伝えておきます。院長が先生の側の人なら、それで終わりです。そうでないなら、審問で、院長が鍵の話をできます」
俺にも、一つだけ、当てがあった。山で覚えたことだ。それが王都で役に立つのかどうかは、まだわからなかった。
「預かろう」とエルンストが言った。「規則どおり、書庫の鍵のかかる棚に――」
戸が、叩かれた。
◇
「失礼いたします」
背の高い男が、戸口に立っていた。
四十を少し過ぎた、色の白い男だった。灰色の、書記の長衣。指が長かった。右手の中指の横が、インクで黒く染まっていた。
「書記長のパリムです」とエルンストが言った。「ちょうどいい。パリム、記録官が戻った」
「存じております」とパリムは言った。
穏やかな声だった。
パリムは、部屋に入ってきた。
入ってくるとき、左の足を、ほんの少しだけかばった。気をつけて見ていなければ、わからないくらいに。
王都は、もう冬の入口だった。
「クロニカ。よく戻った」
パリムは、クロニカの前で立ち止まった。クロニカは、頭を下げた。
「……ただいま戻りました、先生」
「顔を上げなさい。記録官が、書記長に頭を下げることはない」
クロニカは、顔を上げた。
パリムの目が、机の上の油布の包みに、一度だけ向いた。すぐにクロニカに戻った。
一度だけ、だった。
「審問は、三日後と決まった」とエルンストが言った。「それまで、この包みは書庫に預かる。パリム、受け取りの記録を」
「承知いたしました」
パリムは、包みを両手で受け取った。
油布の上から、包みの重さを確かめるように、ほんの少しだけ、指を動かした。
それから、俺のほうを向いた。
「アンカー殿の、ご子息ですね」
「ケルンです」
「お父上は、立派な案内人でした」
パリムは、そう言って、静かに一礼した。
俺は、何も答えなかった。
答えなかったのは、言葉が見つからなかったからじゃない。
この人は、親父に背負われて、山を下りたのだ。
◇
その夜、宿で、皆が俺の部屋に集まった。
「顔色ひとつ変えなかったな」とガルドが言った。
「変えませんでした」
「間違いないのか」
「わかりません」と俺は言った。「指の長い、色の白い、足を少しかばう書記は、記録院に一人じゃないかもしれない」
エコーが、窓の外を見ていた。
「……声は、似てた」とエコーは言った。「似てた、としか言えない。酒場の隅の、暗いところで聞いた声だ」
「俺もだ」とラッシュが言った。「頭巾の中の声だった。穏やかだった。あんな声だった気もする。違う気もする」
似ている。
審問の場で、それは、何の証にもならない。
「手記を読めば、全部わかります」とブラフが言った。「名前が書いてあるんだろ。パリムって」
「書いてあります」とクロニカが言った。
でも、クロニカの声は、明るくなかった。
◇
皆が部屋に戻ったあとで、クロニカが一人、残っていた。
「先生に、会ってきました」
「……一人で、ですか」
「書記長の部屋に。記録官が書記長に戻りの挨拶をするのは、決まりなので」
クロニカは、膝の上で両手を組んでいた。
「何も、聞けませんでした。聞こうとして、聞けなかった。先生は、山のことを何も聞きませんでした。寒かったか、とだけ。食べられたか、と」
「……」
「帰り際に、一つだけ言われました」
クロニカは、自分の手のひらを見た。
「『お前の七は、跳ねないね』と」
俺は、何も言えなかった。
「褒められたんだと思います。小さいころから、ずっと、そう言われたかったので」
クロニカは、少しだけ笑った。
「どうして今、それを言ったのか、わからないんです」
窓の外で、記録院の灯りが、一つだけ、遅くまで消えずにいた。
西の端の、二階の窓だった。
「あそこは」と俺は聞いた。
「書記長の部屋です」とクロニカは言った。
灯りは、遅くまで、消えなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
「おもしろい」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆からの評価で応援していただけると、とても励みになります。




