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いわくつきの骨董姫【改稿版】  作者: 茶柱まちこ
一章 骨董姫と喧嘩煙管
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(6)彼の正体

「痺れたぜ。男相手に簪ブッ刺すたァ、なかなかやるじゃねェか」


 唇の隙間から白い煙を零しつつ、百丸様は私を抱え、ひらりと橋の上に舞い戻った。


「……私、夢でも見てるのかしら……」


 まるで、雲の上に乗って帰ってきた気分だ。

 今の私は多分、相当間抜けな顔をしている。

 

「ところがどっこい。現実なんだなァ、これが」


 百丸様は私を橋の上に下ろすと、私の頬を指でつついた。

 少し硬い指先の感触と、内側のほのかな熱が伝わってくる。

 私に、これは現実に起きていることだ、と教えてくる。

 すると、それを見ていた柿本が、悲鳴を上げるように叫んだ。

 

「てめえぇっ……! 玉樟に気安く触るんじゃねえ!」

「あン? てめェこそ汚ェ手で玉樟に触んな」


 百丸様は柿本に言い返しながら、自分が着ていた羽織を私の肩にサッと着せた。

 いつの間に冷えていたのか――たった一枚の羽織が、驚くほど温かい。


「うるせぇ! そいつは俺の女だぞ!」

「おーおー、そいつァめでてェ妄想だ。冗談言うんなら鏡見てからにしな」


 百丸様は哀れとでも言わんばかりに眉尻を下げ、肩をすくめた。


「てめェみたいな素寒貧(すかんぴん)のド三一(さんぴん)がよ、玉樟に指一本触れようってのが、そもそもの間違いなんだよ」

「俺は! 俺は玉樟を愛しているんだ!」

「結構、結構。で、愛ってのは女の首を絞めることかィ? 随分お行儀の悪ィ愛だなァ、ええ?」

「俺は悪くねぇ! その女が俺を受け入れねぇのが――!」

「抜かすなよ、豚野郎」


 唾を飛ばしながら筋違いな怒りをぶちまける柿本。

 それを静かに、けれどビリビリ響くような低い声で牽制けんせいする百丸様。


「てめェが愛してんのァ自分だけだろうが。

 散々女を傷つけたくせして『愛してる』なんざァ、虫がよすぎんだよ、ドブカスが」


 最後の彼の罵声は、地鳴りのように重く鳴り響いた。

 それは、まさしく殺気だった――柿本は、目の前の男の気迫に、完全に()されていた。


「ぐぎ、ぎ……ッ! おい、赤鬼! さっさとこの野郎を殺せ!!」


 柿本は歯ぎしりをしながら、先ほどから後ろで棒立ちになっている赤鬼に命令した。

 しかし、赤鬼は大きな目を丸くして、「えっ!?」とでも言うようにうろたえた。


「な、何してやがる! 早く動け!」

「む、うう……?」


 赤鬼は情けない声を漏らしながら、どうしていいのか分からず困惑している。

 その仕草が、かえって痛々しかった。

 彼は人を傷つけるような存在ではない――そのことが、見ているだけで分かる。


「ふざけんな、この役立たずがあっ!」


 柿本は怒りに任せて赤鬼の(すね)を思いきり蹴りつけた。


「ぎゃんっ!?」


 赤鬼が高い声を上げて、その場にうずくまる。

 両手で脛を押さえ呻き、涙をぽろぽろとこぼしている。

 その姿は、鬼というより怯えた子供だ。


「てめえ、泣く暇があったら働けッ!」


 柿本はなおも罵声を浴びせ、転がる赤鬼の頭をさらに蹴り上げた。

 乾いた音が響く。陶器を蹴ったような鈍い衝撃音だった。


「やめなさい! 痛がってるでしょう!」


 私が叫んでも、柿本は止まらなかった。

 足を振り上げ、何度も何度も赤鬼を蹴り続け――


「――やめろって言ってんだろがァ!!」


 とうとう激怒した百丸様が声を上げ、柿本を片手で突き飛ばした。

 巨大なゴムまりのような体つきの柿本は、まるで棍棒でぶん殴られたかのように後ろへ吹っ飛ぶ。

 欄干に頭をぶつけたのか、柿本はほんの少し呻いたきり、動かなくなった。


「大丈夫かィ、坊主?」


 百丸様はしゃがみこみ、泣きじゃくる赤鬼の頭を優しく撫でた。

 うつむいている赤鬼の目には、大粒の涙が浮かんでいる。


「よしよし。ったく……人間ってのァ、どうしてこう雑なんだろうな……ん?」


 なにかに気づいた百丸様が、赤鬼の頭を覗き込む。

 そして、すぐさま「ああ!?」と声を上げた。


「なんてこったィ! お前さん、ひび入ってるじゃねェか!」

「……ひび?」

 

 どういうことだ、何が起きているのだ、と私も近づいて覗いてみる。

 すると、赤鬼の頭の上に、朱塗りの盃が乗っているのに気づいた。

 伏せられた格好のそれには、よく見ると小さなひびが入っている。


「貴方……どうして盃なんて持っているの?」

「お? 玉樟は初めて見たかィ? こいつァな、盃の付喪神つくもがみだよ」

「付喪神……って、作られて百年経った道具に宿っているとかいう、あの?」

「おうよ」


 私は呆気にとられた。

 付喪神なんて、昔話や伝承の中だけのものだと思っていた。

 物に心があることは理解していたけれど、まさか、本当に……


「付喪神って、本当にいたんだ……」

「いたのさ。アンタの周りにだって、たくさん」


 呆然と突っ立った私のほうへ、百丸様がちらりと視線を寄越した。

 

「アンタが今まで話していた“道具たち”――あれァみんな、付喪神の子供みてェなモンだ」


 それを聞いて、私はすとんと腑に落ちた。

 私が今まで触れてきた者たちの正体。

 初めて遭遇した赤鬼このこに対して、不安や恐怖を一切感じなかった理由。

 ――長らく探していた答えの一つに出会えたような、奇妙な安堵。


「人と同じで、物にも心がある。

 丹精込めて作られた物、長く使い込まれた物、丁寧に手入れされた物――

 人の愛着を受ければ受けるほど、物の心は磨かれ、魂に昇華する。

 それが、俺たち付喪神だ」


 私は彼の言葉を黙って聞いていた、けれど。


「待って。今、()()()って言った?」

「言った」


 百丸様はふわぁっと煙を吐きつつ、片目を瞑ってみせた。

 まさか、そんな、でも、けれど――

 

「百丸様……貴方、まさか――」

「おい! なにイチャついてんだ、てめぇら!!」


 私が肝心なことを聞く前に、意識を取り戻した柿本が怒鳴り声をあげた。

 百丸様の艶っぽい微笑みが、「チッ」という舌打ちと共に仏頂面に変わる。


「てンめェ……今いいところだったろうがよォ……!!」


 いい雰囲気を台無しにされ、百丸様のこめかみには青筋が浮かんでいた。


「お前もだ! なんでそいつに懐いてやがる!」


 柿本は赤鬼にも人差し指を向けながら喚く。

 赤鬼はすでに泣き止み、百丸様のすぐそばで小さく座っていた。

 頭の上の盃を撫でられながら、どこか安心しきった表情をしている。


「お前は俺の蔵から出てきたんだ! 最初に見つけたのは俺なんだから、俺が主人だろうが!」


 赤鬼を威圧するように怒鳴る柿本だが、赤鬼はすでに百丸様にべったりだ。

 自分を蹴った柿本のことは、完全に敵と認識したらしい。

 百丸様にしがみついたまま、ぶんぶん首を横に振って拒絶している。


「ち、ちくしょう……! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって……!」


 孤立無援のこの状況で、柿本は怒りのぶつけどころも分からず地団駄を踏んでいた。

 そんな柿本に、百丸様がさらに追い討ちをかける。


「まだ分からねェか? てめェは男としても人間としても下の下だって言ってんだよ」


 百丸様の『下の下』という物言いは、特に効いたらしい。

 柿本はとうとう限界を超えたのか、


「上等じゃねぇか……てめぇらまとめてブッ殺してやる!」


 と懐に隠していたらしい小刀を引き抜き、その切っ先をこちらに向ける。

 刃物という明確な凶器を前に、私は戦慄した。

 しかし、百丸様はそれでも平静を保っている。


「――三倉珠希」


 百丸様が、私の名を口にする。

 花魁としての名ではなく、私の真の名を。


「約束だ。俺の秘密を教えてやる」

「……今、この状況で?」

「今だからだ。まァ見てな」


 修羅場に不似合いな笑みを浮かべる彼に、刃を構えた柿本など眼中にない。

 それが柿本の怒りをさらに煽った。


「無視するなアアアア!!」


 激昂し、小刀を握りしめて迫ってくる柿本。

 しかし、柿本の小刀が彼に触れようとしたとき、百丸様の身に信じられないことが起こった。

 小刀の先が到達したかと思った瞬間――百丸様の姿が、ふわっと消えたのだ。

 空中をぷかぷか漂っていた煙が、一陣の風でたちどころにかき消されたかのように――百丸様の形は一瞬で消えてしまった。


「なッ……ふんぎゃ!」


 柿本はなにもない空間に前傾姿勢のまま突っ込み、そのまま顔面から転倒した。


「野郎、どこいきやが――ッ!?」

「ここだよォ」


 体を起こした柿本は、背後に突然現れた百丸様に耳打ちされ、「ひぃっ!?」と後ずさった。

 やはり、何度見ても見間違いではない――百丸様は自由自在に、自分の体を煙へと変えている。

 奇術師のような立ち回りに圧倒されている私に、彼は笑いかける。


「俺ァ付喪神――刃を持たない民草たみくさのために生まれた、喧嘩けんか煙管きせるの付喪神だ」


 百丸様は口に咥えていた煙管を高く掲げた。

 月明かりでやわく輝く、銀の胴体。

 無骨で、目を引く装飾はないけれど――それでも、紛れもない時代物だった。

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