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いわくつきの骨董姫【改稿版】  作者: 茶柱まちこ
一章 骨董姫と喧嘩煙管
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(4)身請け話

 濃紺だった空の向こうが、だんだん赤みを帯びてきた頃――百丸様は布団の中でぐったり脱力していた。

 うつ伏せになった彼の表情は見えないけれど、髪の毛の隙間から見える耳は赤くなっている。


「容赦がねェぜ……とんだ声で鳴かされちまった……」 

「私は楽しかったわ。貴方みたいにノリ心地のいい男は好きよ」

「そいつを言うなら『ノリのいい男』だろうがよ」


 おっかねェ女だ……と呟く百丸様。

 あられもない姿を私に晒してしまったのが、よほど恥ずかしかったらしい。

 彼の声には、ほんのひとつまみの恨みがこもっていた。


「的確に性癖をついてくるアンタの手腕が怖ェよ……花魁に上り詰めただけあるぜ……」

「料金に見合う接待だったでしょう?」

「まァな」


 そう言って、百丸様はむくりと身を起こした。

 襦袢(じゅばん)の隙間から覗く筋肉は、ただの商人のものとは思えないほどしっかりしている。

 例えばそう……軍人と言われても、信じてしまいそうなほど。


(この人、本当に何者なのかしら)


 少なくとも、商人以外にもう一つ、別の顔を持っていることは間違いない。

 裏稼業に通じている可能性も、考えられなくはない。

 無論、それならそれで、愛人にでもなって上手く利用するつもりだけど。


「なァに人の体ァじろじろ見てんだィ。助平ちゃんか?」

「あら、ごめんなさい。ぼうっとしちゃって」

「なんでェ、まァた呆けてたのかィ」


 百丸様の無骨な手がするりと伸びてきて、私の髪を梳くように撫でた。

 その手に、嫌な感じはしない。


「ちったァ悩んでくれてンのかィ?」

「ええ、そうね。私が今まで逢った客の中で、貴方は一番のお金持ちだし」

「カカカッ! そいつァ結構。商人にとっちゃァ一番の褒め言葉だ」


 実際、大金持ちに身請けされることは、すべての遊女の悲願だ。

 このちとせ楼に売られて以来、私はずっとその光を追い求めてきた。

 どんな客にも笑顔を崩さず、理想の女を演じた。

 どれほど冷たい夜でも、いつか外の空気を吸えると信じて、夢を売り続けた。

 それなのに。


(いざ目の前に好機が訪れると、こうも恐ろしくなるのね)


 期待を裏切られる苦渋を何度も味わってきたからだろう。

 彼を信じたい無垢な心と、経験から来る防衛本能が、私の中で激しくせめぎ合っている。


「ま、今すぐ決める必要はねェよ。デカい賭けを持ちかけられてんだ、悩むのも当たり前さね。ただ……」


 百丸様は一度言葉を切ると、下ろした私の髪をひと房手にして、唇を寄せた。

 そして、顔を上げて、まっすぐな視線で私を射貫いてくる。


「何度でも言うが、俺ァ本気だ。惚れた女の一生を預かるからには、後悔なんざァさせねェ」


 軽薄な笑顔を消した彼の目は、朝日のせいか朱色に染まっているように見えた。

 その色鮮やかさに、不覚にも心臓が跳ねてしまった。



 *



 朝日に照らされた帰り道を、土産酒をぶら提げた百丸様が歩いて行く。

 その背中を二階から見送っていると、


「そうだ、アンタにひとつ忠告しとかねェと」


 と、彼が何かを思い出したように、私を振り返って言った。

 

「アンタの馴染み客に、酒屋の柿本かきもと虎次とらじって野郎がいただろ。そいつにゃ警戒した方がいい」


 柿本虎次はちとせ楼に酒を卸している酒屋の道楽息子で、私に貢いでいた元・馴染み客の一人だ。

 最初こそほどほどに金を使っていた柿本は、百丸様が通うようになってからやたらと彼を敵視し、

 その日その日の所持金を全て突っ込み始めた。

 が、豪商相手にそんな張り合いは続かず、だんだんツケ払いを要求するようになって、

 最後は親にも借金がバレて激怒されたのだと聞いている。


「知り合いから聞いたンだが、奴は最近、賭場で大負けしたらしい。

 しかも元手が実家の酒屋の稼ぎを横領した金だってンで、とうとう父親から勘当されたンだとよ」

「あらま、絵に描いたような転落ぶりね」


 当初は金払いのいい客だからと表に出さずにいたが、私は正直、柿本のことが迷惑で仕方がなかった。

 自分の親が取引相手なのをいいことに、横柄な態度を取り、口を開けばくだらない自慢話ばかり。

 ここでの恋愛ごっこも本気にしだして、私に拙い恋文を何度も渡してくるし、

 まだ客を取っていない新造に悪さをしようとしたこともある。

 挙げ句の果てには、ちとせ楼に忍び込んでまで私に逢おうとしてきたので、

 見かねた楼主がつい先日、出禁を言い渡したところだ。


「あの男なら、もうここには来れないと思うけれど」

「失うモンもなくした奴ァ何だってするさ。アンタ自身、それはよく分かってるだろう?」

「いやね、自業自得で転落した奴と一緒にしないでちょうだい」

「悪かったよ。だが、用心するに越したこたァねェ」

「確かにね。……忠告、心に留めておくわ」


 私は百丸様に手を振り、笑顔で見送った。

 軽く手を振り返す彼を見て、私はまた、思い悩む。


 ーー百丸善一。


 富も地位も、名誉もある男。

 けれど、その素性は煙のように掴みどころがない。

 そんな男に運命を預けるだなんて、冷静に考えれば、あまりに危うい話だ。

 それでも賭けてみたいと思ってしまうのは、どうしてだろう。


(私になら秘密を預けてもいい、ね……。ずいぶん魅力的な誘い文句だわ)


 もし、この男の言葉が本気なら。

 もし、あの“賭け”が嘘ではないなら。

 ――私はこの牢獄から抜け出せるのだろうか。


(なんてね……彼の言葉を流せずにいる時点で、心は決まっているようなものだわ)


 ならば、最後に必要なのは、賭ける勇気だけ。

 あの男になら、そうするだけの価値はあるだろう。

 私はすう、と息を吸い込んだ。

 いつも感じている朝露の匂いが、今日はいつも以上に新鮮に感じた。

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