(35)対峙
「んじゃ、ジジイ。あとは頼むぜ。俺ァ千代沢さんとこに行ってくる」
「あぁ。報酬は約束どお、り――」
俺が足早に瀬戸物屋を出ようとしたところで、後方の陶継がピシッと固まった。
先ほどまでの柔軟な悪巧み顔が、岩肌のような硬さを帯びて、一気に険しくなる。
「おい、陶継。どうした?」
「……なんだぁ? 瀬戸物どもがどこかで騒いでやがる」
「あン……?」
陶継がこういった反応をしているときは、大抵なにか面倒ごとが起きているときだ。
大きな事故か、火事か、強盗か――いずれにしても、新聞の一面に載るような重大事件が、錦花郷のどこかで起きたということだ。
「しゃちょーーー!!」
嫌な予感がするのと同時に、路地の向こうから、切羽詰まった子供の声が聞こえてくる。
まぎれもない、壱丸の声だ。
声がするほうへ視線をやって、俺は仰天した。
「壱丸!? お前、どうし――ぐふぉ……ッ!?」
まるで、白黒の毛糸玉がものすごい速さで転がってくるようだった。
白黒の毛糸玉、もとい、壱丸の体は、勢いを緩めないまま俺のほうへ突っ込み――結果、俺のみぞおちに壱丸の頭突きが深々と突き刺さった。
「おぉい、善一!? 大丈夫か!?」
店の中から陶継が飛び出してきて、地面に倒れ込んだ俺に叫ぶ。
その横で、壱丸はワンワンと盛んに吠え立てていた。
早く応答してやりたいが、急所を打たれてはさしもの俺もつらい。
「しゃちょー、しゃちょー、しゃちょーーー!! 大変です!! 珠希さまがさらわれちゃったんですよぉ~っ!!」
耳を疑うような壱丸の発言に、悶えていた俺も思わず「はァ!?」と飛び起きた。
「怖い男の人たちがいきなりやってきて、珠希さまを車に乗せて行っちゃったんです! すぐに追いかけたけど、間に合わなくて……!」
壱丸は全身でぴょんぴょん飛び跳ねながら、必死に俺に訴える。
「あいつら、麗華さんと同じにおいがしました! きっと、あの意地悪な叔父さんたちの仲間ですよ!」
「ンの野郎! ――陶継!」
俺の呼びかけに、陶継は首肯した。
「ああ、間違いねぇ。瀬戸物どもが騒いだのはそれだ。怪しい車が港のほうに向かってるってよ」
ちくしょう、面倒ごとはどうしてこうも一気に押し寄せてくるのか。
俺は舌打ちをしながら、煙管の煙をたっぷりと肺に取り込む。
煙を通して体内に霊力が充填され、全身の筋肉が熱を持ち始める。
「陶継、予定変更だ。今すぐ一報入れて、あいつらを吊るし上げろ!」
「あいよ、兄弟。気をつけなぁ!」
俺は壱丸を腕に抱えると、脚に力を込めて、一気に屋根の上まで跳躍した。
俺の腕にしがみついた壱丸が「うひゃああ!?」と声を上げるが、今はあまり気を遣ってやれない。
そのまま脚を動かし、俺は屋根を飛び移りながら、港の方角へ走り抜けた。
*
目を醒ました時、私は手首を縛られた状態で、真っ暗な部屋の中に転がされていた。
意識を失う前の感覚が残っているのか、未だにぐわんぐわんと頭が揺れている感じがする。
体を動かすと、足が何かにゴツンとぶつかる。
まるで、樽を蹴ったような音だ。
私は部屋の扉の小窓から漏れたわずかな光を頼りに、周囲を確認した。
(物置き? ……いや、違う気がする)
樽や木箱に囲まれた空間は、確かに物を保管するための空間だろうけれど……なぜか、部屋そのものがずっと揺れている気がするのだ。
この奇妙な浮遊感には、覚えがある。
……そう、小さい頃に両親と行った旅行先で、“客船”に乗ったときに感じた――
(――まさか、貨物船!?)
そう直感した瞬間、一気に冷や汗が出て、私は急いで立ち上がった。
早くここから出なければ、また遠くに飛ばされてしまう。
下手をしたら、今度は海外にまで行ってしまうかもしれない。
私は貨物室の扉を開けようと、体当たりを繰り返す。
けれど、女の体当たり程度では、扉はびくともしなかった。
「っ! 開きなさいよ、この……ッ!?」
何度目かの挑戦で肩をぶつけたとき――それに合わせるように、扉側から強く押し返された。
思わぬ反動を受け止めきれず、バランスを崩した私の体は後ろへ転がってしまう。
「残念。ここは内扉だったな」
室内に入ってくる足音と共に、誰かの声が私へ降りかかる。
酒に酔う度に何度も私を怒鳴りつけていた、おぞましい声――忘れもしない、叔父の声だ。
「相変わらず生意気そうな目つきだな」
「まったく、往生際の悪い。見苦しいことこの上ないわね」
ニヤニヤと黒い笑顔を浮かべる叔父。
その横では、叔母が扇子をしきりにあおぎながら、私を見下ろしている。
どちらも、傲慢な態度はなお健在のようだ。
「ずいぶん上等な顔をして戻ってきたな、珠希?」
「……お久しぶりですわね、叔父様」
楽しそうな笑顔の叔父に、私は冷笑で返す。
条件反射で体が震えそうになるけれど、向こうには悟られないよう、必死に押し隠した。
「なぁに、叔母様? そんなに恐ろしい顔をして。まるで鬼みたいですわよ」
「お黙り、疫病神」
叔母がぴしゃりと言い放つ。
扇子を閉じて見えた口元には、隠しきれない憎悪が滲んでいた。
「あら、皺もずいぶん濃くなりましたのね? 化粧では隠しきれなくなったようで」
「黙れと言っているのよ」
毒々しい色に塗られた唇が、醜く歪む。
湿っぽい執念の炎が、叔母の瞳の奥で揺れていた。
「よせ、つや子。小娘の安い挑発に乗ってどうする」
手の中の扇子を今にもへし折りそうになっている叔母を、叔父が静かに宥める。
私は叔父に向かって、純粋な疑問をぶつけてみた。
「どうやって、私の居場所を突き止めたのですか?」
「なに、暁斗にひと働きしてもらっただけだ。彼がお前を頼ったおかげで、探す労力が省けただけのこと」
なるほど、そういうことか――したり顔の叔父を見て、私は悟った。
叔父は私のことを知った暁斗さんが、“虚飾の鏡”の件で私を探すであろうことを見越していたのだ。
暁斗さんを脅し、なにがなんでも私の居場所を突き止めるように仕向けて、あとは誰かに暁斗さんを尾行させればいい。
(ああ、やらかしたわ……間抜けすぎて情けないったら)
どうして、玄関で声を聞いたあの時、一瞬でも怪しいと思えなかったのだろう。
暁斗さんそっくりの声に、見事に騙されてしまった。
「小娘一人を拐かすだけなのに、ずいぶんと手慣れた人たちを使いましたのね。一体どんなお仕事をしている人たちなの?」
私の質問に対して、今度は「教えてやる義理はない」とはね除ける叔父。
おそらく、後ろめたい事情があるのだろう。
あの訓練された、無駄が一つもない動き――間違いなく、“そのスジ”の奴らだ。
(お父様とお母様も、彼らを使って葬ったのか)
私は無意識に奥歯をぎりぎりと噛みしめていた。
もしも私が虎かなにかだったら、今頃は彼らの喉笛を噛み千切っていることだろう。
それほどまでに、私はこいつらが憎かった。
「お前、わたくしの麗華になにをしたの?」
叔母が一歩前に出て、私を強く睨みつけながら聞いてくる。
「いいえ、なにもしていません。そもそも、私が彼女になにかする機会なんてなかったはず――」
「嘘おっしゃい!」
突然、叔母が金切り声を上げ、私の声を阻んだ。
「お前たちがあの鏡を使って麗華になにかしたんでしょう!? あの子を虐める犯人なんて、お前しか考えられないわ!」
「だから、私は何も知りません。そんなことを言われても困りま――」
「うるさい、この恩知らず!!」
怒り狂った叔母が、私の髪をつかんで揺さぶる。
駄目だ、これはもう何を言っても通じない――私は早々に悟り、反論をやめる。
ああ、幼い頃と同じだ……。
この女は、自分や麗華にとって都合が悪いことが起きると、証拠もないのにすぐに私のせいにするのだ。
「わたくしの娘になんてことをしてくれたのよ!!
麗華は『珠希に殺される』なんて言って、部屋に閉じこもってしまったのよ!!
ああ、あんなに怯えて可哀想に……っ!」
……あの程度の脅しで部屋から出られなくなったのか、と私は呆れてしまった。
私のことを散々虐めてきたくせに、その百分の一くらいの仕返しを食らっただけで引きこもるなんて――まったく虐めがいのないことだ。
「あら、お気の毒様。何があったか知らないけど、麗華様はとても“繊細な”お心をお持ちでしたのね。ふふふっ……」
ああ、可笑しくてたまらない。
私はこらえきれず、声を立てて笑った。
「あはははははははははっ! あーっははははははははは!」
実に、実に、いい気味だ。
お父様とお母様を殺め、私を虐げてくれた連中の娘が、私の人格をいたずらに否定してくれた女が、そんな哀れな目に遭っているだなんて。
愉快痛快で、驚くほど罪悪感が湧かなかった。
「ざまあみろ、ってやつよ。親の因果が子に報った……それだけのことじゃない。私も清々しちゃった」
さすがの叔母も、私の高笑いには怯んでいたようだけど、その後の台詞を聞くなり、再び顔を真っ赤にした。
「この――ッ!」
「落ち着け、つや子! これから売るものに傷をつけてどうする!」
叔父が再度諫めるが、叔母の目はすっかり血走っていた。
唇をぶるぶる振るわせ、肩で息をしている様は、お世辞にも上流階級の品格とはほど遠い。
「なに、もうすぐお別れだ。この娘と《《百丸》》から得た金を、麗華のためにあてがえばいい」
「……なんですって?」
私を売り飛ばして金に換える気なのは理解できるが、どうしてここで善の名前が出てくるのか。
訝しむ私に、叔父はにんまりと笑みを浮かべて答えた。
「なに、お前には“打ち出の小槌”になってもらう。それだけだ」
「打ち出の小槌?」
叔父の言っている意味がよく分からず、私はそっくり言葉を繰り返す。
「そうだ。聞けばお前、あの百丸を篭絡したそうじゃないか。
ならば、お前の存在と引き換えに金を引き出すのも容易だろう」
……なるほど、そういうことか。
要するにこの男は、私を人質にとったていで、善から身代金を搾取しようと考えているのだ。
想定以上に外道な発想で、呆れてくる。
これが現当主だなんて、三倉財閥も堕ちたものだ。
「彼がそう簡単に搾取されると思っているの?」
「ああ、思っているとも。これさえあれば、百丸も下手に逆らえんだろうよ」
そう言って、叔父はスーツの胸ポケットから何かを取り出す。
――私が指にはめていた、ラピスラズリの指輪だ。
見た瞬間、ぞわっと全身が総毛立った。
「っ! それを返しなさい!」
「まあ、そんなにこの指輪が大事なの? じゃあ、代わりにわたくしが大事にしてあげるわね。お前の形見として」
叔母はそう言って、叔父から受け取った指輪を自分の指にはめ、私に見せつけてくる。
酷い吐き気がした。
叔母の手の中に、私の大事な宝物があるのを見るだけで、耐えがたい屈辱が湧いた。
「触らないで、この――うッ!」
食ってかかる私の肩を、叔父の靴が突き放すように蹴った。
私は為す術もなく、再び貨物室の床に転がってしまう。
それを見て、叔母はふん、と蔑むような目で鼻を鳴らした。
「最後まで欲にまみれて、卑しいことね」
「逃げられるとは思うなよ。外には見張りがいるからな」
貨物室の扉が閉ざされ、視界がまた暗闇に包まれる。
私は早まる鼓動を落ち着けるように、深く呼吸をした。
(……大丈夫。壱丸がきっと、善のところまで走ってくれているはず)
私がさらわれたと知れば、善は絶対に動いてくれる。
きっと、最善最速の方法で、私を迎えに来るはずだ。
それまでに、私もできる限りのことをしなければ。
私は体を起こして、扉の小窓から外の様子を窺った。
(……見張りを男にしたのは間違いだったわね、叔父様)
私はほくそ笑みながら、外に立つ見張りにかける言葉を、じっくり考えた。




