(33)とこしえの炎
『早くなさい! 珠希が学校から帰ってくる前に全て運び出してしまうのよ』
映像は、古蔵の中を映しているようだった――会話の内容からして、三倉家の蔵だろう。
薄暗い画角の隅から、珠希の叔母・つや子がまくし立てるような口調で登場する。
つや子は銀幕越しにこちらへ近づいてきたかと思うと、やがて楕円形の枠いっぱいに厚化粧の顔を映し出しながら、にやりと笑った。
赤黒い口紅をまとった唇の線が、不吉に歪んでいる。
『まあ、素敵な鏡。これは売らずに頂いてしまおうかしら』
『やめておけ、その棚の蒐集品はいわくつきの品ばかりだ。兄上に触るなと口を酸っぱくして言われたことがある』
……どうやらこの映像は、“虚飾の鏡”の内部から見た風景を投影しているようだ。
この少女の脳裏に刻まれた記憶の断片というわけである。
『父上も兄上もこんなガラクタに金を注ぎ込むとは……まともな神経とは思えん。維持費も馬鹿にならないというのに』
『なにがお役目なんでしょう。こんな古い物を管理するなんて冗談じゃないわ。財閥を率いる当主がくだらない道楽に耽っているなんて信じられない』
――ガラクタだと?
――くだらない道楽だと?
とんでもない言い草だ。
特に統二郎――彼は嫡子でなかったとはいえ、三倉家に生まれた人間だ。
その口からこんな愚かな発言が出てきたのだと思うと腹立たしくて仕方がない。
『だが、世の中にはこんなくだらない品々に価値を見出す物好きもいる。
これら全てを高値で売り払えばかなりの金額になるし、無駄な維持費も削減できる。
一生遊んで暮らせるほどの金になるだろうな』
『まあ、素敵! そうしたら、麗華にもたくさんお金をかけてあげられるわ。
新しいドレスやアクセサリーも買い放題になるわね!』
夫婦の笑い声に、この野郎と呟きそうになって、俺は奥歯をぐっと噛み締める。
この夫婦は三倉家のお役目を全く理解しないどころか、孝蔵が適切に管理していた品々を売り払い、
自分たちがただ贅沢をするためだけの糧にしていたのだ。
あまりにも低俗無比な妄挙である。
『いっそ、珠希も売り飛ばしてしまおうか。顔はいいのだし、女衒を通して遊郭にでも売れば相当な額になる』
『いいえ、貴方。珠希も有効活用してあげましょう。
親を失ったあの小娘に恩を売って、麗華の侍女としてタダで働かせればいいのよ』
『それは名案だ』
どこまでいっても自分たちと金のことしか頭にない様子の二人に、
「――殺すぞ」
と、ついに本音が漏れ出てしまう。
俺の声を聞いた壱丸が「きゅう……」と少し怯えていたが、今は取り繕うほどの余裕がない。
『けれど、貴方。記者たちがあの火事のことを嗅ぎ回っているみたい。また新聞に載ったらどうするの?』
『なに、新聞社など金さえ払えばみな口を噤む。嗅ぎ回る奴は消してもらえばいい』
『そうね。貴方の兄夫婦も、彼らに金を積んだだけで簡単に消せたものね』
人間のものとは到底思えない悪魔のような会話は、ここで途切れた。
俺は怒鳴りたい衝動を必死に抑え、二、三度深呼吸を繰り返す。
陶継の手を借りて事前に情報を掴んでいたとはいえ……当人たちの話を聞くと、やはり頭に来るものだ。
「こんなの、酷すぎます……! 珠希さまが可哀想です!」
映像を見ていた壱丸も、絞り出すような切ない声で叫ぶ。
胸糞悪すぎる話だ――孝蔵夫妻は、金と地位に目がくらんだ愚か者たちのせいで落命した。
娘の珠希は、クズどもの身勝手な欲望のせいで苦労するはめになった。
目の前にあの悪魔たちがいたのなら、俺は彼らの形が歪むまで殴っていたかもしれない。
「つまりお前さんは、持ち主の仇討ちために、あえて娘の麗華を襲ったということか」
「ええ。珠希様が味わった気持ちを、あいつらに少しでも分からせてやりたかったの」
本当はあのまま呪い殺してやりたかったけれどね、と物騒なことを呟く少女。
けれど、俺にはわかる。
この少女の怨念は、麗華を消してやるだけで終わるような生優しいものでは、断じてない。
「安心して、麗華はおうちに返したわ。……今後の暮らしには、多少影響が出るかもしれないけれどね」
「多少、ね」
因果応報の結末だろう、と俺は思った。
愛する家族も、大切な家財も、女性としての尊厳さえも失った珠希に比べれば、麗華が受けた報いなどまだ可愛いものだ。
少女が手をかざして映像を消すと、再び崩壊した庭の風景が戻ってくる。
「……よく分かったわ」
す、という静かな息の後、珠希は今まで聞いたこともないような、低い声で呟いた。
俺はハッとして、彼女の様子を窺った。
――見えたのは、冷酷な彼女の横顔だった。
腹が決まった、あるいは、吹っ切れたとでも言うべきなのか。
先ほどまで確かに少女に向けていた感情――優しさや寛容さ、温情のようなものなどをすべて削ぎ落とした、残酷な表情だ。
(――あァ、これだ。俺がこの女に見出したのは、使われたいと願った理由は、“これ”だったんだ)
花街で初めて珠希を目にした“あの時”と同じだ――自分の心が、強く震えているのが分かった。
俺は珠希が打ちのめされたのではないかと、一瞬だけ肝を冷やしたのだが……一瞬でもそんなことを考えてしまった自分が馬鹿だったと反省した。
「見せてくれてありがとう。……これで、遠慮なくあいつらを破滅させられるわ」
珠希は打ちひしがれるどころか、完全に復讐者の顔に化けていた。
怒りの炎に呑まれるでもなく、かと言って鎮火させるでもなく。
薪をくべてひたすら燃やし続けるかのような、力強い決意の炎。
俺は、ついにこの女の核心に触れられたと思った。
喧嘩煙管として、この女に使われる以上の悦びはない――そう確信できた。
「征くのね、珠希様。以前の貴方に戻れなくなってもいいのね」
「ええ」
珠希は一瞬の迷いもなく頷く。
「この手ですべてを取り戻すと決めたの。あいつらを完全に叩き潰さない限り、それは絶対叶わないから」
「情けも容赦も、すべて捨てるのね」
少女の念押しのような問いかけに、珠希はまた頷く。
じっくりと刃物を研いでいくような、先端を極限まで尖らせていくような決意。
気づけば俺は、頬が痛くなるほど口角を吊り上げて笑っていた。
「……っ、ぼくも行きます! 珠希さまと一緒に戦います!」
珠希の足元で、背筋を伸ばした壱丸が吠える。
「ぼくは、珠希さまのための付喪神だから……だから、珠希さまにお供します! 一緒に売られたみんなを、取り戻したいです!」
「壱丸……」
主君に忠誠を誓う若武者のように、珠希の目の前で跪きながら訴える壱丸。
子供のようでも、さすがは三倉家の家財――肝の据わったいい目をしていた。
「よく言った、壱丸」
珠希は少し躊躇っていたようだが、俺はすかさず壱丸を撫でて褒めたたえる。
「……お強くなったのね、珠希さま。蔵の中から覗き見たあの子とは思えない」
少女の表情は寂しがっているようだったが、口元には僅かながらも笑みが浮かんでいる。
子供の成長を喜び、感慨にふける、年長者の顔だった。
「役者は揃った。主役はアンタだ、珠希。俺も壱丸も、遠慮なくこき使ってくれ」
「善……」
この女に使ってもらえるなら、たとえ壊れたとしても胸を張れる。
道具としてこれ以上に誇らしいことはない。
「……ありがとう、二人とも。ありがたく使わせてもらうわね」
「おう」
「はいっ!」
少女はふっ、と小さく微笑むと、俺たちの後方にある薔薇のトンネルを指で示した。
「出口はあそこよ。貴方たちの幸運を祈ってるわ」
「ありがとう、“虚飾の鏡”さん」
珠希は少女に礼を言うと、俺と壱丸を連れて庭の外へ歩き出した。




