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いわくつきの骨董姫【改稿版】  作者: 茶柱まちこ
三章 骨董姫と虚飾の鏡
26/40

(26)たらればの世界

 気づけば、真っ逆さまに落ちていた。

 真っ暗な底なしの空間を突っ切っていく、私たちの体。

 私は壱丸を守らなければと抱きしめた。

 すると突然、私の体はぷかぷかと宙に浮いた。

 ――善の煙々術が、接地する寸前で私を守ってくれたようだ。


「ぶッ!!」


 安心したのもつかの間――すぐ横で、ドスン! と重い物体が叩きつけられる音が聞こえる。


「善、大丈夫!?」


 まさか善は私たちだけ術で助けて、自分はそのまま落下したのだろうか。


「へ、平気だ……本物マジモンの鉄骨だから心配すんなィ」

「……ああ、そういえば煙管アンタは鉄でできてるんだったわね……」


 落下時間がかなり長かったので、善が大怪我をしたのではないだろうかとひやひやしていたが、冗談を言える余裕があるのならひとまず大丈夫だろう。

 私がほっと胸を撫で下ろすと、壱丸が私の腕の中からすり抜けて


「わああよかったですぅ! しゃちょー!」


 と叫ぶ。

 直後、善から「ぐほォ!? そこ俺の腰ィ!」と情けない声が聞こえた。

 善と壱丸がわんわん戯れている声を頼りに、私は手探りで床を這って二人に近づく。

 私の手が壱丸の体に触れたその時――


「わっ……!?」


 真っ暗だった世界を、パッと眩しいスポットライトが照らした。

 急激な明暗差で、私はぎゅっと目を瞑る。


「あらあら、こんなところにいたのね、珠希」


 その声を聞いた途端、私は頭の奥で急に電撃が走ったような感覚がした。

 私に笑いかける、柔らかくて角のない女性の声。

 声の持ち主の顔が脳裏に浮かぶと同時に、私が一番幸せだった頃の記憶が甦った。


「お母、様……」


 そこに立っていたのは、まごうことなき私のお母様だった。

 風化した記憶の中よりも歳をとったお母様が、大好きだった桔梗色の着物をまとって、私を優しいまなざしで見下ろしている。

 太陽に似たスポットライトの光を背にころころと笑うお母様は、まるで女神様のようだった。


「あァ? どこだ、ここは……」

「ど、どうなっているんですかあっ? ぼくたち、鏡に吸い込まれたのに……」


 困惑している二人の言葉につられて、私も周囲を見渡す。

 真っ暗闇だった周囲の景色はいつの間にか、紅葉が舞うお庭に変化していた。

 しっかりと手入れされた、立派な松の木。

 石灯籠の向こう側に見える、鯉が泳ぐ池。

 さらに奥の方を見れば、懐かしい我が家がどっしりと佇んでいる。

 ──間違いなく、私が生まれ育った実家の景色だ。


(……でも、違う気がするのはどうして?)


 見ているうちに、私はふと、あることに気づく。

 池のほとりにある、私の身長くらいの高さに生長した若い紅葉の木――あそこは確か、私が幼い頃、紅葉の苗木が植えられた場所だ。

 それに、すぐ近くの石灯籠や松の木の根元――あそこも小さい頃はまっさらだったはずなのに、今は遠目でもふかふかなのが分かるほど立派な苔が生えている。

 目の前に広がる景色は、幼い頃の記憶と微妙に異なっているのだ。


「壱丸は本当に善一さんが好きなのね。でも、そんなところにいては善一さんが起き上がれなくて困ってしまいますよ」


 うつ伏せになった善の腰に乗っかっている壱丸を見て、お母様は言う。

 そんなお母様に、壱丸と善は「えっ?」と揃って声を上げた。


「奥様、どうしてぼくの名前を……?」

「俺を知っているのか?」

「まあ、いやですわ。我が家の付喪神と娘の婚約者様のお名前を忘れたりはしませんよ。まだまだ四十半ばですからね」


 一体どうなっているのだ――私は目の前の状況に混乱するばかりだった。

 どうして十四年前に亡くなったはずのお母様が、善や壱丸にも親しげに話しかけているのだ。

 お母様と二人に面識などあるわけがないのに。

 善も壱丸もわけが分からず、困ったように首を傾げたり、きょとんと目を丸くしていた。

 そんな私たちを見て「あらまあ、昼間なのに寝ぼけちゃったの?」とおかしそうに笑うお母様。


「さあ、そろそろお家に戻りましょう。近所のお茶屋さんが美味しいほうじ茶を持ってきてくれたのよ。

 善一さんもぜひ召し上がっていってくださいな」


 お母様はおっとりした口調で言い残し、家のほうへと戻っていく。

 お母様の後ろ姿が見えなくなると、残された私たちは庭の隅で輪になって状況整理をし始めた。


「ねえ、善。私たちって鏡に引き込まれたのよね? どうしていつの間にか私の実家にいるのよ?」

「俺にも分からん。珠希の母親が俺や壱丸を認識しているのもおかしいし……」

「ぼく、我が家の付喪神って言われましたよ! 奥様がご存命の頃のぼくは、ただの置物だったはずなのに!」


 お母様の頭の中では、私と善が婚約者同士で、壱丸は三倉家で飼われている付喪神ということになっているらしい。

 一体どうして、こんな設定がお母様の中で生まれているのだろう。

 そう考えていると、善が「待てよ?」と何かに気づいた。


「“虚飾の鏡”は覗いた人間が最も望む姿を見せる性質がある。そして今、俺たちは“虚飾の鏡”の内側の世界に引きずり込まれた状態だ。ってことはつまり……ここは鏡を覗いた誰かが望んだ世界になってる、ってことなんじゃねェか?」

「じゃあ、この世界はまさか珠希さまの……?」


 壱丸はそう言って、私のほうを見る。

 私は早まる気持ちを抑えながら、冷静に計算した。


(お母様は十四年前に三十二歳で亡くなった。でも、さっきまでいた“お母様”は四十半ばって言ってた……。

 お母様がもし今も生きていたと仮定すれば、確かに計算が合う)


 加えて、記憶とは少しだけ違う庭――あれも長い時間が経過して景色が変化したのだと考えれば、辻褄が合う。


「もしかして……!」

「おい、珠希!」


 私は真相を確かめるべく、二人を置き去りにしてお母様の後を追う。

 縁側から靴を脱いで家に入り、かつて家族で一緒に過ごしていたお茶の間の襖を開けると、


「おや、珠希。そんなに慌てなくてもお茶は逃げないよ」

「お父様……」


 やはり予想した通り――そこにはひと足先に座布団でくつろいでいるお父様がいた。

 お母様と同様に、お父様も五十歳くらいの見た目になっているのを見て、私は確信する。


「珠希さま……」

「……やっぱり、そういうことなのか?」


 壱丸と善が、私の傍らに遅れてやってくる。

 私は何も言わず、ただ頷いた。


 ――間違いない。ここは、“私が最も望んだ世界”だ。


 両親の死をきっかけにすべてを失ったあの日から、毎日のように夢見ていた、“たらればの未来”。

 お父様もお母様も事故に遭うことなく生きのびていて、私は変わらず財閥令嬢のまま。

 善はそんな私の婚約者で、壱丸は三倉家の大事な付喪神。

 “虚飾の鏡”の世界が映し出しているのは、私が心から欲した“絶対に手に入れることのできない現在”だ。


「どうしたんだい? 早く座ってくれないと、二人を待っていた私の首が伸びきってしまうよ」


 お父様が冗談を言いながら座るよう促してきたので、私と善は目の前にあった座布団にそっと腰を下ろした。

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