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いわくつきの骨董姫【改稿版】  作者: 茶柱まちこ
一章 骨董姫と喧嘩煙管
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(2)不思議な太客

「玉樟。……おうい、玉樟? どうしたィ?」


 私の意識は、ハッと現実に引き戻される。

 接待の最中だというのに、私はいつの間にかうわの空になっていたようだ。

 浅黒い肌をした灰色の髪の男が、怪訝そうに私を見ている。


「ごめんなさい。最近はお昼にもお客さんがよく来るものだから……少し寝不足だったのかも」

「そいつァご苦労様だな。骨董姫様も人気者のようで。まったく妬けちまう」

「まあ、誰に嫉妬するの?」

「もちろん、お前さんが相手してる奴全員にだよ。

 お前さんが俺の知らないところで、俺の知らない顔して話しかけてると思うと、むしゃくしゃしちまうのさ」

「あらあら、骨董姫の接客相手は物たちよ。貴方、物に嫉妬しているの?」


 私が聞くと、百丸様は「おうとも」と不機嫌そうな顔をして、手に持った煙管を口に咥えた。

 火皿から細くのぼる煙が私たちの隙間をゆらめき、蝋燭の灯が彼の横顔を照らす。


「好いた女の注意が他に向くことほど、嫌なモンはねェ。物ならなおのこと。

 ……だが、今日はアンタがぼうっとしてくれたおかげで、美女の顔をじっくり拝めたんでな。

 ヨシとするさ」


 百丸様が流し目で色っぽく私を見つめる。

 彼はそんじょそこらの男とは比較にならない美丈夫だから、正面からまともに見ると、男慣れしている私でも惹き込まれそうになる。

 

「ふふ、相変わらず変な人だこと」


 私は手にしていた三味線の弦を、二つ三つ鳴らした。

 

 ――貿易商・百丸善一。

 

 二、三年前から長者番付の上位に上り詰めている、大手貿易会社の社長。

 経歴も出自も不明なのに、魅力的な人柄と巧みな話術でたちまち相手の懐に入ってしまう、不思議な人物。

 私のもとへ足繁く通う彼は、ちとせ楼にとっても大切な上客だ。


「しかしよ、玉樟。近頃の遊女ってのは廓言葉くるわことばを使わねェんだな。

 俺ァあの口調が趣深くって好きなんだが」

「期待に沿えなくてごめんなさいね。

 私が遊廓にやってきた頃には、すでに廓言葉は廃れてしまっていたの」

「なんてこったィ、寂しい話だねェ」


 廓言葉というのは、昔の遊女が使っていた独自の話し言葉だ。

 先代の楼主から聞いた話によれば、名のある花魁が廓言葉で接待するさまは、それはそれは美しく艶やかだったのだという。

 しかし、新政府が発足したころから、粋で華やかな遊廓の文化は徐々に廃れていってしまったのだと、どこか切なそうに語っていた。


「花魁がもてはやされたのは昔の話よ。今の世間様は清純な女が大好きだからね。

 遊廓の女はどんなに頑張ってもふしだらな女って評判がついてまわるわ」


 西洋の新しい価値観――もとい、行き過ぎた純潔主義が浸透した今の時代、遊女に対する世間からの風当たりは非常に厳しい。

 かくいう私も『悪賢い娼婦』だの、『男の手垢にまみれた女』だの、いわれのない罵詈雑言を数多く浴びせられてきた。

 百丸様は私の嘆きに賛同するように、眉根に深いしわを刻んでいた。


「面白くねェ世の中になったモンだなァ。どいつもこいつも心まで西洋にかぶれちまって、悲しいこった」

「まあ。西洋も相手取る貿易商とは思えない発言ね」

「俺ァ心意気と商売は別々で考えてっからよ。

 西洋は便利なモンも多いし、先進的な技術はどんどん吸収していくべきだと思ってる。

 だが、心まで輸入しなくたっていいだろうに」


 百丸様には、妙に懐古主義的なところがある。

 貞操にあまり固執しない人間は、開国前の幕府時代ならともかく、今の世の中ではかなり珍しいほうだ。

 身にまとっているのも古風な着物だし、紙巻き煙草が普及した今も、昔ながらの煙管を愛用している。

 思想も趣味も、まるで時代の流れに逆行しているかのようだった。

 

「俺ァ玉樟をふしだらと思っちゃいねェよ。遊廓の女は気高い奴ばかりだが、アンタは群を抜いてる。

 だからこそ、アンタの花魁道中はあんなにも美しいんだろうさ」

「ありがとう。そんなことを言ってくれるのは百丸様だけだわ」


 熱っぽい視線を投げかけてくる百丸様に、私ははにかんでいるような表情を作って返した。

 ――一夜の夢を売る商売ならではの、演技だ。

 男たちの理想の女を演じて魅了できれば、その分だけ遊郭を出られる日が近づく。

 大金持ちに身請けしてもらえれば万々歳だ。


(悪く思わないでね、百丸様。私だって必死なのだから)

 

 花街を抜け出すためにも、私はどうしてもこの男に気に入られなければならないのだ。

 そのためなら、私はいくらでも嘘をつける。


「……どうしたの、百丸様?」


 不意に、百丸様は煙草盆に煙管を置き、私をじっと見た。

 彼の視線があまりにも真っ直ぐで、私は軽く目をそらした。


「いにゃ、つくづく上手いと思ってよ」

「なにが?」

「芝居さ。アンタ、本当はそんなふうになよっとした女じゃねェだろう」


 私は目を瞬かせて、ちょこんと小首を傾げてみせる。

 しかし、百丸様は「とぼけなさんな」と言い、ニヤリと口角を吊り上げた。

 

「“花魁”を演じてる時のアンタは完璧だ。声も、仕草も、指先まで隙がねェ。

 けど、その完璧さが却って俺には嘘くさく見えちまう」

「……褒め言葉なのかしら、それは」

「そう受け取ってくれると助かる」


 さすがにこれ以上は無駄か――と、私はふうとひとつ息を吐いた。

 そして、あえて、ねっとりとした含みのある微笑みを浮かべてみせた。


「……さすがだわ、百丸様。すべてお見通しね」

「カカ、商売柄ってやつさ。客の財布の重さも、相手の本心も、大体は目ェ見りゃ分かる」 


 私は『不幸にも遊郭に売られてしまった、男に媚びを売る哀れな女』を演じていた。

 そうすれば、優しい男は金を多めに払ってくれるのを知っていたから。

 けれど、百丸様には最初からバレていたようだ。 


「でも、それならどうして今まで私に騙されてくれていたの?」

「おいおい、ここは仮初の恋を楽しむ場だろう?

 最初のっけから演技をやめろなんて言う奴ァ、野暮にもほどがあるぜ」


 確かに、ここでのやり取りはすべて擬似的なもの――金銭という対価があってこその、ごっこ遊びだ。

 たまにそれを理解せずに本気にしてしまう野暮客もいるが、百丸様はそんなお馬鹿なことはしない。 


「ゾクゾクしてたんだ。アンタの手のひらの上で転がされる度に、アンタのか弱い演技に騙される度に。あァいいようにされちまってんなァ、って」

 

 百丸様はどこか恍惚こうこつとした様子で語る。

 いつも悠々と笑っている彼ばかり見てきた私は、今まで見たことのない彼の様子に心が昂るのを感じた。


「なるほど。気づいた上であえて私に搾られてくれてたってことね。変わった趣味をお持ちだこと」

  

 しかし、それならばよりいっそう都合がいい。

 幕府時代ならいざ知らず、今どきこんな小賢しい女を好きこのんでくれる男は稀だ。


「なァ。今夜くらい、仮面を外しちゃくれねェか?」

 

 彼の低い声が、私の鼓膜にそっと響く。

 彼の煙管の煙が、私にするりと絡みつく。

 手で払うこともできなくはないけれど、私はあえてそれをしようとは思わなかった。


「酔狂なものね。玉樟花魁の夢が壊れても知らないわよ?」

「酔狂で結構。嘘も芝居も抜きな、アンタ自身の言葉が聞きたいんだ」


 冗談めかした口調の奥に、彼の情熱を感じた。

 私は口元を袖で隠しながら、はてどうするかと思案した。

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