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テルナ・ヴァイド -失われた神と残された記憶ー  作者: なるかめ
第2章 忘れても、愛は残るのか

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閑話2 旅装を整える (閑話1の翌日)

異世界で生きていくためには、

今までの服のままではいられない。


身を守ること。

必要な道具をそろえること。

自分の手で、これからの旅に備えること。


魔法を持たないソウルが、

初めてこの世界を歩くための旅装を整える物語。

 翌朝。

 市場の入口で、フィーナが待っていた。

 レンも一緒にいる。

「遅い」

 フィーナが言った。

「昨日の仕事が、思ったより身体に残っていた」

「その顔を見れば分かる」

 フィーナが俺の服を見る。

 薬草。

 血。

 水。

 昨日の施療所でついた跡が、そのまま残っている。

「ひどいな」

「働いた結果です」

「その服は、もう限界だ」

「まだ着られる」

「着られることと、旅に使えることは違う」

「同じようなことを聞いた気がする」

「誰に」

「ガルムに」

「なら正しい」


 最初に向かったのは、古着と旅装を扱う店だった。

 軒先には、洗い直された外套や、継ぎを当てた長衣が並んでいる。

 新品ではない。

 だが、旅人が使うことを前提に、傷んだ部分は縫い直されていた。

 俺は店先に掛けられていた、安い黒い上着を手に取る。

 フィーナが奪うように取り上げ、元の場所へ戻した。

「薄い」

「安い」

「一月で破れる」

 フィーナは、棚へ戻した上着の袖を指でつまんだ。

「一月もてばいいだろ」

「次も買えると思うな」

「厳しいな」

「現実だ」

 昨日も同じ言葉を聞いた。


 フィーナは棚を見て回り、一着の外套を引き出した。

 灰白色。

 膝下まである。

 フード付き。

 表は明るいが、裏地は濃い灰色だった。

「これだ」

「白いな」

「灰色だ」

「汚れが目立つ」

「この布は目立たない」

 触れてみる。

 厚すぎない。

 だが、目の詰まった丈夫な布だった。

 袖口には直した跡がある。

 縫い目は新しく、布そのものもまだ傷んでいない。

 裾は、脚を動かしやすいように前後へ分かれていた。

「黒ばかり選ぶと思っていた」

「中は黒いだろ」

「外套は白い」

「灰色だ」

「同じようなものだ」

「かなり違う」

 フィーナが外套を俺へ押しつける。

「夜道で黒一色だと、倒れていても見つけてもらえない」

「縁起でもないな」

「見つけてもらえる服を着ろ」

 フィーナは真顔だった。

「治す側が、見つけられない場所で倒れるな」

 返す言葉が止まった。

「分かった」


 外套のほかにも、必要なものを選んでいく。

 濃紺の長袖。

 暗色のズボン。

 膝と裾が補強されたもの。

 焦げ茶色の革靴。

 小瓶や袋を下げられる革帯。

 そして、灰白色の長外套。

 どれも一度は誰かが使ったものだった。

 擦れた部分もある。

 色が薄くなった場所もある。

 それでも、必要な箇所は直されていた。

 旅に使うには十分だった。

 値段を聞いた時、一度戻そうと思った。

 ガルムから借りた前金と、施療所で得た給金を合わせても、心もとない額だった。

 フィーナは言った。

「安い服を何度も買う方が高い」

「商人みたいなことを言うな」

「旅をしていれば分かる」

「お前も、そうやって買ってきたのか」

「私は、自分で選ぶ余裕がなかった時代の方が長い」

 それだけ言って、フィーナは次の棚へ移った。

 それ以上は聞かなかった。

 レンが外套の裾を見上げている。

「ソウルさん、神官みたいです」

 レンが、少し楽しそうに言った。

「見習いなら、まだ間に合うかもしれないな」

「やめておけ。似合わない」

 フィーナが即座に切り捨てた。

「そこまで言うか」


 次に、鞄の中身をそろえた。

 包帯。

 清潔な布。

 麻紐。

 針と糸。

 木炭筆。

 小型の刃物。

 小瓶。

 水筒。

 火打ち石。

 消毒に使えるという強い酒精。

 薬草は買わなかった。

 何に効くのか分からないものを、見た目だけで選ぶ気にはなれない。

「薬草は?」

 フィーナが聞く。

「まだ買わない」

「使えないからか」

「知らないからだ」

「同じでは?」

「違う。知らないまま使うのが一番危ない」

 購入した物を、マレクから渡された医療鞄の仕切りへ入れていく。

 包帯は右。

 布は奥。

 小瓶は立てる。

 筆記具は蓋の内側。

 刃物は取り出しやすい場所へ入れる。

 ただし、手を入れた時に刃へ触れないよう、布で巻いておく。

 フィーナが横から鞄の中を見ていた。

「妙に細かいな」

「使う時に探していたら遅い」

「全部覚えているのか」

「忘れるから、決めておく」

「忘れる前提なのか」

「人は忘れる」

 言ってから、少しだけ空気が止まった。

 フィーナは何も言わず、鞄の中へ視線を戻した。


 最後に、小さな革表紙のノートを買った。

 高価なものではない。

 表紙は焦げ茶色。

 紙は厚い。

 簡単には破れそうになかった。

「何を書く」

「この世界の治療法」

「自分の知っているものを、押しつけるのではなく?」

「知らないものを先に知る」

「お前にしては慎重だな」

「俺はいつも慎重です」

「初めて聞いたな」

 フィーナの言葉に、レンが笑った。


 工房へ戻る頃には、前金も給金も、ほとんど残っていなかった。

 新しい服へ着替えてから、ガルムの前へ立つ。

 ガルムは一度こちらを見て、すぐに工具へ視線を戻した。

「葬儀屋から、流れ者の神官になったな」

「レンにも言われました」

「なら間違いない」

「神官には見えないだろ」

 ガルムが、もう一度だけ俺を見る。

「怪しい神官だ」

「褒めてませんね」

「一度も褒めた覚えはない」


 ガルムは作業台の引き出しを開けた。

 中から、小さな革のケースを取り出す。

 そのまま、こちらへ投げた。

 慌てて受け取る。

「危ないな」

「落とす方が悪い」

 ケースを開く。

 中に入っていたのは、小さな砂時計だった。

 片手に収まる大きさ。

 枠は金属。

 中の砂は淡い灰色だった。

「これは?」

「砂時計だ」

「それは見れば分かる」

「なら聞くな」

「どうして俺に」

「脈と呼吸を見る時に使え」

「時間を測るために?」

「砂が落ち切るまでの回数を数えろ。毎回、同じ長さで見られる」

 砂時計を持ち上げる。

 砂は細く、途切れることなく落ちていた。

「時計屋なのに、砂時計なんですね」

「時計だけが時計じゃない」

「哲学的だな」

「時計より壊れにくい。狂いも少ない。巻く必要もない」

「実用的なだけですね」

「それで十分だろう」

 それ以上は続かなかった。

 だが、ガルムの目が一瞬、自分の懐へ向いた気がした。

「マレクから聞いたのか」

「仕事を増やされたと、文句を言いに来た」

「いくらですか」

「いらん」

「また、もらうだけになる」

「前金も、まだ返し終わってません」

「働けば減る」

「気が早いな」

「必要になってから探すよりましだ」

「時計には触るなでしたね」

「二度言うほど大事だ」

「レンは初日からパンを触らせてもらったのに」

 名前を出されたレンが、胸を張る。

「僕は初日からパンを触らせてもらいました!」

「それは無関係な仕事だからだ」

 ガルムは、レンを見もしなかった。

「時計は特別なんですね」

「壊れたら困るものは、簡単に人へ渡さん」

 レンが、今度はガルムへ向き直った。

「僕は今、蓋磨きしか任されてません!」

「十分だろう」

「もっとやりたいです!」

「やる気だけでは足りん」

 工房の仕事は、明日から始まる。

 昨日受け取った前金は、その仕事を始めるための支度へ変わった。

「朝は早い」

「施療所もある」

「なら、もっと早く起きろ」

「厳しいな」

「現実だ」

 その言葉を聞くのは、これで三度目だった。


 夜。

 前の世界から着てきた服を洗った。

 汚れは完全には落ちなかった。

 袖の擦れ。

 裾の傷。

 水を吸った布は、重かった。

 干し終えた服を見ている。

 もう着ることはないかもしれない。

 それでも。

 捨てれば、本当に戻れなくなる気がした。

 乾いた後、工房の隅にあった木箱へしまうことにした。

 祖父の形見のペンダントだけは、新しい服の下へ身につける。

 衣服は変わる。

 持つ道具も変わる。

 それでも、すべてを置いていく必要はない。


 翌朝。

 新しい旅装を着た。

 濃紺の内衣。

 暗色のズボン。

 灰白色の外套。

 肩には、施療所でもらった古い革鞄。

 中を細かく仕切られた、治療道具を運ぶための医療鞄だった。

 腰には、小瓶と小物袋。

 鞄の中には、包帯、布、記録帳、砂時計が入っている。

 外套の留め具を締める。

 まだ身体になじまない。

 けれど、借り物のようには感じなかった。

 工房の小さな水鏡に、自分の姿を映してみる。

 白っぽい外套。

 濃紺の内衣。

 肩から下げた、使い古された医療鞄。

 三十二歳の顔は、そこにあった。

 けれど、着ているものは、もう病院の白衣ではない。

 柄にもなく、少しだけ見入ってしまった。


「工房はいいのか」

 ガルムに聞くと、短い答えが返ってきた。

「今日は休め」

「休め?」

「街を見てこい。装備を整えたなら、次はそれを試す番だ」

 それだけ言うと、ガルムは工具箱へ視線を戻した。


 レンが、布に包んだパンを差し出した。

「仕事に持っていってください」

「今日は施療所へ行かない」

「じゃあ、旅に持っていってください」

「旅?」

 俺が聞き返すと、フィーナが外套を羽織った。

「先へ進む準備をする」

「次はどこへ行く」

「それを決めるために、まず街を見て回る」

 レンが顔を上げる。

「僕も行きたいです!」

「配達はどうする」

 フィーナが聞くと、レンの勢いが止まった。

「……行ってきます」

 レンは、あっさり籠を持ち直した。

 フィーナの口元が、ほんの少しだけ緩む。

 レンがパンを俺の鞄へ入れた。

「今度も焦げてません」

「ありがとう」

 鞄の中が、少しだけ重くなる。


 前金と、初めての給金は、ほとんど残らなかった。

 服を買った。

 包帯を買った。

 記録するためのノートを買った。

 それでも、失ったとは思わなかった。

 金は、生きるための形に変わった。

 自分で選んだ服。

 働いて得た金でそろえた道具。

 使う者が持てと託された鞄。

 ガルムから渡された、数えるための砂時計。

 自分で得たもの。

 誰かから任されたもの。

 その両方が、今は俺の身体に重なっている。

 肩に掛かる重さを確かめた。

 少しだけ。

 この世界を、

 自分の足で歩いていける気がした。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


今回の閑話では、

ソウルがこの世界で歩いていくための服と道具を整えました。


フィーナは相変わらず現実的で、

レンは楽しそうで、

ガルムは言葉より先に必要なものを渡してくれる。


大きな出来事ではありませんが、

こうした何気ないやり取りの中に、

四人の距離が少しずつ縮まっていることを感じてもらえたら嬉しいです。


ソウルにとって今回そろえた旅装は、

ただの服や道具ではなく、

この世界で生きていく覚悟の形でもあります。


そして次回から、物語は第3章

「正義という名の暴力」へ進みます。


人を守るための正しさが、

別の誰かを傷つける時。


ソウルたちは、

それぞれの立場と選択に向き合うことになります。


引き続き、彼らの歩みを見届けていただければ幸いです。

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