インフラとしての漫画
漫画はすでにインフラとして機能している。この事実に気がついたときに、ライトコミックという概念の必要性に気がついた。
ちょうど昨日新聞で、高校の国語を論理国語と文学国語に分けるという話を目にした。
論理国語とは駐車場の契約書などをちょんと読み理解するための教育ということらしい。昨今のよく聞くようになった機能的文盲を解消するための施策だとすれば理解できる。義務教育で文盲を減らしておき、より高等な機能的文盲を高校でということだろう。つまり、現況として、日本国民の多くは文字から音声に返還できるが、その意味や内容を理解できる人数が安定した社会活動を継続するには十分ではないということだ。機能的文盲は十分に多くいるということなのだろう。
また、現在の日本は移民大国である。法的な表現はどうであれ、実際東京圏で生活をしていれば、小売店における外国人の多さ、地方の工場地帯や農村、漁村で生活していればその外国人労働者の多さを実感できるだろう。実際、統計的にも十分増えている。彼らは、日本語で生活に必要な伝達は出来るが、多くの場合十分ではないと推測する。
この機能的文盲の日本人と、十分ではない外国人、彼らへの十分情報伝達を行えなければ、大規模な社会の安定を維持するのは、警察力もしくは武力に頼ることになるだろう。現在日本で比較的それが必要にならなかった利点の一つが漫画ではないかともう。
今世の中には、漫画による広告や広報物に溢れている。文章よりも知覚情報を多く含む漫画は、より理解の促進を促す。日本は、他国に比べ圧倒的にストーリー漫画的な表現が溢れている。そして、多くの人がストーリーとして理解できる。これは、別に生まれながらによるものではない。偶然、日本国民の多くが児童から少年期に漫画に慣れ親しんでその表現手法を体得しているから理解できる。また、外国人で、もともと日本の漫画に興味があった集団には日本人と同様であるので、理解の一助になる。その外国人を起点に彼を含む集団にも理解が広がりやすくなるだろう。
その結果日本では不特定多数への情報伝達、公開の手段として漫画がインフラと化しているのではないだろうか。




