第一話
企画書は三日かけて書いた。
目的。
活動内容。
予算案。
実施責任者。
文芸部の部費を文化祭実行委員会から引き出すための役所仕様の紙切れだ。
『実施責任者 桜田孝介』の行に差しかかると鉛筆が止まる。責任という字は人の名前の隣に置かれると急に重くなる。
【朗読劇上演企画書】
目的
文芸部の部活動維持のため、文化祭にて朗読劇を上演する。
上演作品
脚本 桜田孝介
題目 未定
演出 桜田孝介
演出助手 未定
備考 原稿用紙換算で約六十枚を予定。
配役 追って通知
「未定」が二つも並んでいる企画書は出す前に一度、厳しい目に晒されることになった。
「未定が二つ。出す前に死ぬな。この企画書」
星野部長はミルクティーのストローを奥歯で噛みながら言った。五月中旬の午後、開け放った旧校舎三階の窓から、潮の匂いが満員電車みたいに押し込んでくる。星野部長は机の上に企画書を広げ、解剖する医者のような顔をした。
「演出はボクがやるしかないんですか?」
「あんたが演出? 無理だろ。あんたの口から出る言葉は全部棒ね。感動の場面ですら棒」
「小説なら声のトーンまで書けるんですけど」
「紙の上でしか声が出ない人間に声を売る仕事が務まると思うな」
反論できなかった。
この前の授業でボクは古典の鯨友先生に「桜田は広辞苑を読んでいるようだな」と言われたばかりだった。
広辞苑よりは幾分ましだと思うが、言い返す言葉が出てこなかった。なるほど、その点だけは本当に演技ができないのかもしれない。
「それに。いい? 朗読劇ってのはね、脚本が八割。あんたの書くものがちゃんと役に立つ数少ない形式なの。ラッキーでしょ」
「褒めてます?」
「事実を言ってるだけ。褒めるのは書き上げてからね」
星野部長は部室の窓の外を見た。運動場では青春真っ只中の硬式野球部が意味のわからない掛け声を上げて走っていた。
その向こうに海が見える。五月の海は、若葉を映した明るい緑青の色をしていて、風が吹く度に、木々の緑と海の緑が校舎の屋根を挟んで照れ合うように揺れていた。
「ねえ、桜田」
「はい」
「あんた、脚本って書いたことある?」
「小説なら。脚本は形式が違うだけでしょ」
「へえ」
星野部長はそれ以上、何も言わなかった。その「へえ」が後でどれほど高い代償を払うことになる一言なのかはその時のボクは知るよしもなかった。小説と脚本の形式が違うだけなら、世の中に脚本家の養成学校は必要ないのである。
「じゃあ、誰に?」
「演出助手は桃山に頼んできな」
ストローの先からミルクティーの甘い匂いがふっと立った。
ボクは理由を訊いた。
「桃山さん、忙しいらしいですよ。校外の劇団とか、やってるみたいで」
「やってるの。研究生だって。だからこそ、頼む価値があるの。芝居を知ってて、文字を愛してて、しかもあんたの脚本を真面目に読んでる人間はこの学校にあの子しかいない」
「読んでるかどうかはわかりませんよ」
「あんた、ほんとに鈍いわぁ」
星野部長は笑った。何に対して鈍いのかは教えてもらえなかった。彼女はミルクティーを飲み干すと企画書をボクの胸に押しつけた。
「後は運と雨と桃山しだい。私は知らないよ」
後で考えると、この時すでに星野部長の中で配役は決まっていたのだ。
知らないのは脚本家だけだった。
翌日の放課後、ボクは教室で桃山さくらに声を掛けた。彼女は隣の席で教科書に書き込んでいて、鉛筆が必要以上に真っ直ぐに立っていた。
「演出助手をお願いしたいんですが」
鉛筆が一瞬止まった。
それから、すっとんきょうなほど普通の声で、
「…私でいいの?」
「劇団に入ってる人の中で一番近くにいるので」
「…近さで選ぶの?」
「距離は演出で一番大事なものだそうです」
どこかの本で読んだ言葉を、もっともらしく並べた。
本当は隣の席の人間以外に、毎日打ち合わせができる人がいなかっただけだ。
桃山さくらは鉛筆を回して考えた。
「…一つ、条件があります」
「なんでも」
「…脚本を書く人がうちの劇団の稽古を見に来ること」
「稽古を見る?」
「…見に来ること。それが条件」
彼女は笑わずに言った。何かを確かめるような目だった。理由はわからなかったが書く人間が演者の現場を見に行くのは筋として正しい気がした。即答した。
「土曜なら行けます」
「…じゃあ、来て」
彼女の声が少しだけ上ずった気がした。
ボクは気のせいだと思った。




