第三話
休憩になると、海原みつきが差し入れの唐揚げの入った袋をドンとパイプ椅子の上に置いた。
「お疲れさまです! 地元の『なぎさ』さんの唐揚げです! 揚げたてです!」
「お、悪いな」
そう言って、一番に手を伸ばしたのは黒田賢太郎だった。
稽古が終わって、ボクは小道具の準備をしていた。
研究生公演では小道具も、照明も、音響も、研究生が自分たちでやる決まりになっている。
ボクの担当は灯火の娘が持つ小さな灯りだった。
古い燭台みたいな形をしていて、火は本物じゃなくて小さな電球を使う。
その電球の配線がどうにも接触が悪くて、ボクは何度もテープで留め直していた。
指先がべたべたになった。
テープの糊が指の腹に何重にも重なって残る。
うまく取れない。
作業台の前でボクは自分の手がまるで白い手袋をはめたみたいになっているのを見て、少し笑った。
書き物ばかりしてきた手だ。こんなに不器用にテープまみれになる手だったとは知らなかった。
「…桜田くん、それ、逆だよ」
桃山さくらが、いつのまにか隣に立っていた。手を伸ばして、ボクの指からテープの端をつまんで、くるりと剥がす。
近い。
彼女の指先がボクの指先に、一瞬だけ触れる。
冷たい。
外の鉛色の海を触ってきたみたいに。
「あ、ありがとう」
「…うん」
彼女は剥がしたテープを丸めて、ボクの手のひらに置いた。
「…それ、ちゃんと捨てて。小道具の灯りは壊しちゃだめだからね」
「うん」
それだけ言って、彼女は客席に戻っていく。ボクは手のひらの小さなテープの塊をしばらく握っていた。
その後、休憩の机を見て、ボクは気づいた。唐揚げの袋が空っぽだった。
ひとつも残っていない。
「黒田さん」
「ん?」
「唐揚げ⋯⋯」
「うまかった」
「全部、食べたんですか?」
「ああ」
「ひとつも残してないんですね」
「残す理由がない」
ボクは海原みつきの悲鳴を、この後に聞くことになる。
「ええっ! 桜田くんの分も取っておいたのに! 黒田さん、この役者バカ!」
このホールには、いくつかの笑いがちゃんと残っていた。
その週の金曜日。稽古の途中で、客席の一番後ろの列に、見覚えのある後ろ姿が増えた。
制服の上にだぼっとしたカーディガン。
手にミルクティーの紙パック。
潮霧高校文芸部の部長の星野はるかだった。
「よお」
彼女はボクの隣に腰を下ろした。
「研究生公演、見に来た。てか、あんたの脚本を見に来た。あんた、二月の、この一番忙しい時期に一番書けてるでしょ」
「そうですか?」
「そうだよ。あんた、締切がないと書けないタイプだからな。幸せそうで、なにより」
星野部長はミルクティーをずずっと飲んで舞台を見た。ちょうど、桃山さくらが袖で台本を開いているところだった。
「あのさ、桜田」
「はい」
「あんたの脚本、ヒロインが誰を好きか、ちゃんと書いてあるよ」
ボクはドキっとした。
「そう、ですか⋯⋯」
「そうだよ。読めばわかる。あんた以外にはな」
彼女はそれだけ言って、立ち上がった。
「じゃ、本番、来るから。卒業前に、あんたの答え合わせをしに来る」
星野部長は帰っていった。ミルクティーの空の紙パックがパイプ椅子の上に残っていた。ボクはそれを捨てながら、考えた。
答え合わせって。何の?
その時のボクは、まだ知らなかった。星野部長が言っていたのは、ボクの脚本のことではなかったことを。
桃山さくらが少し遅れて来た日があった。学校の後に、図書室に寄ってから来る日がその週は多かった。二月の試験の時期だったから。それだけじゃないと、この時のボクはまだ知らない。




