第四話
次の日、部室で星野部長にその話をした。したというか、ぼんやりしていたら、見つかって訊かれた。
「なに、暗い顔してんの?」
「小説が書けなくて」
「へえ」
「自分のことを書こうと思ったら、書けなくて」
星野部長はミルクティーを飲みながら、聞いていた。
それから、言った。
「当たり前だよ」
「当たり前ですか?」
「自分のことなんて誰も書けないよ。書けるのは他人のことだけ。で、他人のことを書く時に自分が滲む。それが小説だ」
「滲む⋯⋯」
「そう。あんたの脚本、ヒロインがやけに生きてるでしょ。あれ、滲んでるんだよ。あんたの隣の席の誰かさんが」
ボクは黙り込んだ。
「二月の研究生公演の自由台本枠あるんだろ。あれ、あんた、書き直してやりなよ」
「書き直すって。既存の台本を」
「そう、『潮鳴りのわすれもの』。あれ、あんたの話だよ。昨年の文化祭で書いたやつ。もう一回、書け」
「なんで?」
「あんた、一回書いただけで、わかったつもりでいるでしょ」
「つもりでは」
「つもりだよ。あんた、あれ、書いた時、まだ、何もわかってなかった。今のあんたの方が余計わかってないけど、少なくとも、わかってないってことは、わかった」
星野部長はそこまで言って、ミルクティーを一口飲んだ。
「題名は?」
「『潮鳴りのわすれもの』改」
「安直」
「だね。安直でいいよ。安直なのは誠実の一種だから」
その言葉をボクは会話メモに書いた。
書いて、手が止まった。
誠実。ボクはその言葉が苦手だった。
苦手な理由はわからなかった。
その週の終わり。ボクは公民館に行った。
黒田賢太郎が台本一冊を貸してくれた。
劇団の台本。
『潮鳴りのわすれもの』
昨年、ボクが書いたやつを劇団の人が少し直したものだ。研究生公演の自由台本枠で使うには、書き直しが必要だった。
「あいつのためだ」
黒田賢太郎は言った。
「桃山さんの?」
「ああ、だけどな、勘違いするなよ」
「勘違いって?」
「あんたが書くのは脚本だ。役者のためじゃない。いや、役者のためでもある。でも、それは、あいつのためとは違う」
「どう、違うんですか?」
「役者のためというのは、あいつがうまく演じられるように書くことだ。あいつのためというのは、あいつが幸せになるように書くことだ。俺は脚本家じゃないから、どっちでもいい。だけど、あんたはどっちを書くかを決めろ」
ボクはその問いに答えられなかった。
台本を持って帰る途中。海沿いの道。
一月の海は凪いでいた。
鏡のように。
向こう側が見えるくらい、静かだった。船が一艘、浮かんでいた。その船の影が海に落ちていた。影の方が本体より濃く見えた。
ボクは思った。
この海は何も言わない。
何も言わないまま、そこにいる。
小説の登場人物も、そうだ。何も言わない。書く人間が、勝手に言葉を与える。与えなければ、何も言わない。
じゃあ、ボクは桃山さくらに、何を与えればいいんだ。
わからなかった。
一月の半ば。雪が降った。
朝、起きたら、窓の外が白かった。海の色が消えていた。雪が海を白くしていた。
いつも灰色の海が白い。
雪の前の海は鉛色だ。
降ってしまえば、白い。
鉛と白の間に、一日ある。今日がその一日だったらしい。
学校は休校になった。
ボクは家にいた。リビングに、こたつ。水萌がこたつに入って、スマホをいじっていた。ボクは自分の部屋に戻ろうとした。戻れなかった。水萌が、ついてきた。
「なんで、来るんだ?」
「暇だから」
「自分の部屋にいなよ」
「あっちは寒い」
「こっちも寒い」
「お兄がいるから、まし」
水萌はボクのベッドに座って、LINEを打ち始めた。ボクは机に向かって、台本を開いた。
開いて、ペンを持って、何も書けなかった。
水萌がうるさかった。
うるさいという言い訳で書けないことにしていた。
「お兄」
「なに?」
「さくらさん、声戻ったの?」
「少し」
「ふーん」
水萌はスマホを置いた。それから、ボクの方を見て、言った。
「お兄、あのさ」
「なに?」
「あんた、さくらさんのこと、どう思ってるの?」
ボクはペンを置いた。
「友達」
水萌は、しばらく黙った。それから、はああという深いため息をついた。
「あんた、ほんとに、バカだね」
「なんで?」
「だって、友達のために、毎日、図書室に行く? 友達のために、発声の練習に付き合う? 友達のために台本を書き直す?」
「友達だからだろ」
「そう思ってるの、本気で?」
「本気で」
水萌は立ち上がった。
それから、ボクの頭をペンで小突いた。
「あんたの、その本気が一番、罪深いんだよ」
罪深い。その言葉が刺さった。なぜ刺さったのかはわからなかった。でも、刺さった。
「みなも」
「なに?」
「ボクはどうすればいい?」
水萌はそれには答えなかった。ただ、ベッドに座り直して、スマホをいじり始めた。
「知らない。自分で、考えなよ。あ、これ、可愛い」
LINE三昧。水萌は、すぐ、別の話を始めた。ボクは台本を開いた。開いたまま、何も書けなかった。




