第二話
星野部長が後ろから、ボクたちのやり取りを見ていた。それから、ミルクティーの水筒を揺らしながら言った。
「あんたら、おみくじの交換って。そういうのは、普通はしない」
「そうなんですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、なんで桃山さんは?」
「それを、私に訊く?」
星野部長はそう言って、石段を降りて行った。大凶の紙がポケットから少し覗いていた。
降りながら、振り返って、もう一言。
「あと、三か月で、私はいなくなるからね。そのつもりで書け」
絵馬を書くコーナーがあった。
小さな木の板に願い事を書いて、棚に掛ける。
木の板はずらりと並んでいた。昨年の誰かの願いがまだ掛かっている。
風で時々、カタカタと鳴った。
ボクはペンを取った。
何を書こう。
さっき、願い事が決まらなかった。
決まらないまま、ペンだけが手にある。
ボクは書いた。
「書けますように」
書いて、少し後悔した。
誰が、何を書けるのか。
曖昧だ。
でも、これ以上、言葉が出なかった。
ボクの言葉の在庫はいつも、他人の分だけ多い。
自分の分はいつも足りない。
桃山さくらは絵馬を書いていた。板を手で隠すように書いていた。書き終えると、さっと棚の一番奥の方に掛けた。
海原みつきは絵馬を書いて、すぐ隠した。
「見ないで」
海原みつきは言った。
「見てません」
「絶対、見て」
「見ません」
「桜田くん、今、目動いた」
「動いてない」
「動いてた」
「動いてました」
「もう」
海原みつきは絵馬を胸に抱えた。それから、ボクの絵馬を見て言った。
「書けますように?」
「はい」
「それ、なんか、切ないね⋯⋯」
「そうですか?」
「うん。誰が書けるように、なのか、書いてないから」
ボクは返事に詰まった。
海原みつきは時々、こういうことを言う。
空気を読んで都合よく読み違えると言われている人が、一番核心を突いてくる。
ボクはその逆説が、ずっとわからなかった。
その時、石段の下から声がした。
「お兄!」
水萌だった。
ボクの妹。
家族で初詣に来たらしい。
両親も後ろにいた。
「なんで、ここに?」
「うちの氏神はここだよ」
「そうだっけ」
「あんた、自分の家の氏神も知らないの」
「知らなかった」
「バカ兄!」
水萌はボクの隣に立った。それから、桃山さくらを見て、にこっと笑った。
「さくらさん、あけまして」
桃山さくらは会釈をした。
声はまだ、出なかった。
「あれ、声」
水萌が首を傾げた。
「喉、休めてるんです」
ボクが言った。
「ふーん」
水萌はボクの顔をじっと見た。それから、桃山さくらに近づいて、何かを耳元でささやいた。
桃山さくらは一瞬、固まって、それから、首を横に振った。水萌はもう一度、何か言った。桃山さくらは今度は頷いていた。
「何の話?」
「女同士の話」
「ボクの妹とボクの同級生が?」
「そう」
「なに、話したの?」
「秘密」
水萌はそう言って、ボクの肩を叩いた。
「お兄、絵馬、書いた?」
「書いた」
「なに、書いたの?」
「書けますように」
水萌は、それを聞いて、しばらく黙った。
それから、はあぁとため息をついた。
「あんたの、そういうとこ、ほんと、むかつく」
「なんで?」
「だって、それ、あんた、自分のこと、書いてないじゃん」
「書いてるよ。書くことが、ボクのことだから」
「そういう逃げ方をするんだ。あんたは?」
水萌はそれだけ言って、両親のところへ戻って行った。
ボクは自分の絵馬をもう一度見た。
「書けますように」
それのどこが逃げなんだろう。
ボクは本気でそう思った。
その時、風が吹いて、絵馬の棚がカタカタと鳴った。板が何枚かが揺れて、めくれた。ボクは一番奥の板が、めくれるのを見てしまった。
桃山さくらの字だった。
丸い、小さな字。
来年も隣の席でありますように
ボクはそれを読んだ。
読んで、なるほどと思った。律儀な人だ。
席のことを願うなんて。
来年は三年生でクラス替えがある。隣の席が続くかどうかはわからない。
彼女はそれを願っている。
友達として、隣の席が続けばいいと。
そういうことだ。
そう思った。思って、少しだけ、寂しかった。なぜ、寂しいのかはわからなかった。ボクはその寂しさの名前もつけられなかった。
ボクは手を引っ込めた。人の願いを読むのは失礼だ。そう思った。ボクはいつも、そういうところだけは丁寧だった。その丁寧さがボクの一番罪深いところだった。
これも、この時はまだ、わからなかった。




