第三話
公民館ホールの前で、黒田賢太郎は煙草の吸えない学校の生徒みたいに、ただ腕を組んで立っていた。
劇団の稽古はこの日、中止になっていた。
桃山さくらが来られないからだ。
「研究生公演、二月だろ」
黒田賢太郎は言った。
「あいつ、出られるかどうか、わからん」
「声、ですよね」
「声が出ないってだけなら、まだいい。心因性だろ。原因が心にあるってことだ」
ボクは頷いた。頷きながら、ボクは自分が原因なんじゃないかと思っていた。
桃山さくらの声が止まったのは、あの雨の図書室の後だ。
あの「もう、やめる」の後だ。
ボクが何かをやった。
だけど、何をやったのかが、わからない。
「先輩。ボクは何かしましたか?」
黒田賢太郎はボクをじっと見た。
それから、少し笑った。
困ったような笑い方だった。
「それを、俺に訊くか?」
はいと答えるしかなかった。
「劇団はな。研究生公演の枠をあいつに残してる。無理なら、代わりを立てる。それだけの話だ。事務的にな。だけど、それはあいつが三年かけて、ようやく掴んだ枠だ。事務的に消えるような枠じゃない」
「代役は誰が?」
「俺か海原だ。どっちでも、成立はする。芝居としてはな⋯⋯そう、芝居としては」
黒田賢太郎は空を見た。
十二月の空、低くて白かった。
「あいつ、研究生で一番若いんだ。三年、ずっといる。だけど、本公演にはまだ出たことがない。今回、ようやく枠が来た。オーディションに受かって、二月、本番。そこまで来て、声が出なくなった」
ボクは黙って聞いていた。
「脚本家が役者の心を勝手に読もうとするな。読めないから、書けるんだろ。あんたの脚本は読めない人間が書いた脚本だ。だから、いいんだ」
黒田賢太郎の言葉の意味をボクは、この時は、まだ半分もわかっていなかった。
「俺は恋愛には興味ない。芝居にしか興味ない。だから、あんたに言える。あいつを、ちゃんと見ろ。脚本の登場人物としてじゃなく」
「ちゃんと見てます」
「見てないから、こうなってるんだ」
そう言われて、ボクは何も言えなかった。
部室に戻ると、星野部長が黒板に、でかでかと何か書いていた。
セリフにならない
「もう一本、書くよ。あんたのための」
「ボクのため?」
「桃山のための、あんたのための、どっちでもいい。とにかく、書け。二月の研究生公演、自由台本枠がある。あれ、あんたが書き直すんだろ。それとは別に、朗読会用の短いのを、もう一本」
星野部長は、ミルクティーを一口飲んで続けた。
「題名はこれでいい」
セリフにならない
その言葉をボクは黒板の前で、しばらく眺めていた。
セリフにならない。
なんだか、ボクたちみたいだと思った。桃山さくらは言いたいことをセリフにしかできない。ボクは言いたいことをセリフにすらできない。
「書けますかね」
ボクは言った。
「書けよ。あんたは書くことだけは、できるんだから」
「それ、褒めてます?」
「事実だよ」
海原みつきが差し入れのドーナツを持って、部室に入ってきた。
「え、なんか、いい感じ?」
空気を読んで、都合よく読み違える。
海原みつきの特技だ。
「いい感じだよ。桜田がまた、書くって」
「うわ、ファンとしては、うれしい」
「ファン?」
ボクは訊いた。
「え、あ、ううん、なんでも」
海原みつきはドーナツをボクの口に突っ込んだ。ボクはそれを咀嚼しながら、なんで、海原さんがボクのファンなんだろうと思った。
その答えをボクはこの時はまだ知らなかった。
知ったのは、ずっと後だった。
「ところで、幽霊部員が戻ってくるって」
「戻る?」
「ポスター、作れって。あんた、キャッチコピーを考えて」
ボクは考えた。
考えて、黒板に書いた。
「本を、読もう」
星野部長はミルクティーを吹き出した。
「ダサ!」
「どこが?」
「全部」
ボクは書き直した。
「読書は、いいぞ」
「ダサ!」
「読めば、わかる」
「もっとダサい」
「文字は、友達」
「友達にするな。文字を」
「活字、いかがですか」
「敬語で逃げるな」
「本は、海だ」
「最後のだけちょっと惜しい」
海原みつきが黒板をじっと見て言った。
「私は『文字は、友達』好きですけど」
「あんたの感想はいらない」
星野部長は首を横に振った。
「えー」
「あんたが好きなのは、コピーじゃなくて、書いた人だから」
海原みつきは一瞬、黙った。
それから、笑って、ドーナツをもう一つ、ボクの口に突っ込んだ。
「それ、いらないです」
ボクは口を塞がれながら言った。
ボクはその日、ポスターのコピーを十回、書き直した。十回ともダサいと言われた。十一回目に「本を、読もう」に戻って、それで、採用された。
最初のやつだ。ボクは少し、腹が立った。




