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潮霧高校物語  作者: 杉山薫
十二月
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第二話

 古文の時間。鯨友先生は教科書を開いて、句読点の位置を黒板に書き写していた。

先生は説明をいつも比喩でする。


「人は言える言葉より、言えない言葉の方が多いんだ。言えない言葉を抱えたまま、みんな、卒業していく。だから、古典は一番言えなかった言葉の記録だ。源氏物語も、枕草子も、だいたい、言えなかったことの話だ」


ボクはそれを、会話メモに書き留める。その日は、書いた後で、少し手が止まった。言えない言葉。

ボクは言えない言葉を抱えているだろうか。


抱えている。


そう思った。

でも、その中身は思い出せなかった。


 その週の土曜日。海原みつきから電話が来た。


「桜田くん、ひま?」


「暇かどうかを訊くんですか?」


「訊いてる。で、ひま?」


用件は桃山さくらの病院の付き添いだった。海原みつきは劇団の稽古があって行けない。星野部長は模試だ。誰かと言われて、ボクしかいなかった。


「なんで、ボクなんですか?」


「だって、あんた、いちばん、ひまそうじゃん」


それは、そうかもしれない。


「てか。あんたが、いちばん、適任だと思うよ。私は」


「適任ですか。付き添いの」


「うん。そういうこと」


その言い方の含みの意味を、ボクは聞き流した。


病院の待合室は白くて、静かで、消毒液の匂いがした。

桃山さくらは診察券を握って、椅子に座っていた。

声が出ないだけで、見た目はいつもと同じだった。


髪を一つに結んで、制服の袖を少し余らせて。


いや。それはボクの癖だった。ボクがいつも袖を余らせている。桃山さくらはいつもきちんと着ている。


なのに、ボクは彼女を見る度に自分の癖を重ねてしまう。小説家の悪い癖だ。

他人を自分の都合のいい登場人物にしてしまう。


受付で、ボクは彼女の代わりに、たどたどしく事情を説明した。


「声が出ないんです」


ボクがそうと言うと、受付の人は頷いて、カルテを出した。

桃山さくらはボクの説明を隣で聞いていた。


「喉の風邪かもしれないんですけど」


ボクがそう言った時、彼女はそっと、ボクの袖を引いた。


「違うって?」


ボクは訊き返した。


桃山さくらは頷いた。


診察室のドアが開いて医者が淡々と言った。


「喉には何も異常はありません」


ボクは意味がわからなかった。


異常がないのに、声が出ない?


「心因性ですね。ストレスとか、そういうのが、声を止めてしまうことがある。喉は悪くない。だから、原因は喉じゃないところにある」


心因性。


ボクはその言葉を頭の中で、勝手に物語の設定に変換していた。


心因性か。


小説なら、いい題材だ。


最低だと思った。


こんな時に、ボクの頭は文章のことばかり考えている。


桃山さくらは医者の前で、小さく笑ってみせた。


大丈夫ですという顔で。

その笑い方がいやに上手だった。役者の笑い方だった。

ボクはそれを見て、少しだけ胸が痛くなった。


この胸の痛みにも、ボクはその時、まだ名前をつけられなかった。


 帰り道、病院の前のバス停で、桃山さくらはまた紙を出した。


心配しないで


「してます」


ボクは言った。


桃山さくらはその紙の端を指で、しばらく折っていた。


「なんで、心配されるのが、嫌なんですか?」


ボクは訊いた。


桃山さくらは答えなかった。


ただ、バスを待っていた。

バスが来て、乗って、座って、窓の外を見た。


海は灰色だった。

十二月の銀にはまだ、なっていなかった。


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