第二話
放課後。十一月の空は低かった。文芸部の部室は三階にある。窓を開けると海の匂いが入る。この匂いをボクは書くために必要としている。物語を書く時、ボクはまず海を思い出す。海があれば、あとの言葉は自然についてくる。
その日、部室には星野部長はいなかった。
屋上だ。
星野部長は屋上でミルクティーを飲む。喫煙所のないこの学校では、彼女はその代わりに紙コップを片手に煙草みたいに空を眺める。立ち入り禁止の扉の鍵はなぜか文芸部と演劇関係者が持っている。学校というのは割といい加減にできている。
屋上のフェンス越しに海が見えた。
十一月の海は、鉄の色をしている。
「桜田」
振り返ると、星野部長がフェンスにもたれてミルクティーを飲んでいた。紙コップの湯気が風に引きちぎられていく。
「文化祭、おつかれ」
「部長こそ」
「あたしはMCしかしてない。毒舌の。まあ、毒舌が仕事みたいなもんだけど、あたしの」
星野部長は少し笑った。
それから、ボクの顔をじっと見た。
彼女はいつも、そういう風に人を見る。小説を読む時の目で。
「何か、悩んでるんだろ」
「わかりますか?」
「わかるよ。あんた、悩むと前髪を触るから」
ボクは無意識に手を上げて前髪を触っていた。それに気づいて手を下ろす。
「桜田。あんた、脚本の締切、いつだっけ?」
「まだ、あります」
「まだ、じゃない。もう、十一月だよ」
星野部長がフェンスから背を離した。紙コップを柵の上に置く。それから、ボクの方へ二歩近づいた。
「あたしね、ずっと思ってたことがある。ずっと言おうかどうしようか、迷ってた」
「なんですか?」
「あんたの脚本さ」
星野部長は海を見た。
それから、ボクを見た。
「ヒロインが誰を好きなのかが一文で書いてあるよ」
ボクは意味がわからなかった。
「書いてある?」
「書いてある。あんたが書いたんだよ。気づいてないだけで」
「ヒロインは誰も好きになってないはずです。ボクはそういう風には書いてない」
星野部長はため息をついた。
「読者は書いてあることしか読まない。でも、書き手が意識してないことまで、読むんだよ」
「どういう?」
「たとえばね」
部長は指を折った。
「ヒロインが主人公の名前を呼ぶ時、いつも少しためる。あんたの台本にはそう書いてある。一回じゃない。六回ある。六回とも同じように、ためてる」
ボクは記憶を掘った。そんな風に書いた覚えはない。
「それから、ヒロインが海を見る時に必ず、主人公の方に半歩寄る。これも、そう書いてある」
「それは立ち位置の指定」
「なんで、そんな立ち位置を指定した?」
ボクは答えられなかった。
星野部長が笑った。
意地の悪い笑い方じゃなかった。
これから言うことを、自分でも少し痛いと思っている笑い方だ。
「桜田。自分が読者だと思って、自分の脚本を読み返してみな」
返す言葉が見つからなかった。
「あんたのヒロインが誰を好きかなんて、わかるはず」
海が鉄の色で揺れていた。
フェンス越しに波の音が聞こえる。
十一月の波は音だけが高い。
低い海が高い音を立てている。
「部長」
「なに?」
「ボクは脚本を読み返す資格ありますか?」
星野部長はミルクティーを一口飲んだ。
「そんなの、書き手なら、みんな持ってるよ。むしろ、読まない方が失礼でしょ。自分が書いたものを読まないなんて」




