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青の季節に、君のまなざしを識《し》る。  作者: 藍染
第一章 『あいつの幸せを願う私が、私の「好き」を、一番邪魔してる。』

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第2話 いつもの三人

 追手前高校の重厚な門をくぐり、追手筋を南へ渡ると、高知の心臓部である帯屋町アーケードが横たわっている。

 

 ドーム状の高い天井には、真新しい制服に身を包んだ新入生たちの、少し浮き足立った話し声が反響していた。


「はぁ……やっと終わった。式の間中、ずっと背筋を伸ばしてたから腰が痛い」

 

 将太は、新品のローファーがタイルを叩く硬い音を響かせながら、大きく伸びをした。


「何言ってるの、将太。まだ初日じゃない。これから三年間、あの校舎に通うんだよ。もっとシャンとして」


 隣を歩く菜奈が、たしなめるように笑う。

 高い位置でまとめられたお団子ヘアが、彼女の弾むような歩調に合わせて元気よく揺れていた。


「わかってるって。けど、あの独特の静けさは慣れない。雄一なんて、式の間ずっと彫像みたいに動かなかっただろ? 見てるこっちが疲れる」


 後ろを歩いていた雄一が、切れ目の瞳をわずかに動かした。


「無駄な動きをしていないだけだ。将太が落ち着きなさすぎるんだ。……ほら、足元」


 雄一の視線に従うと、アーケードのタイルに星座を象ったプレートが埋め込まれていた。


 三人はいつの間にか、それを踏まないように避けて歩く遊びを始めていた。


 菜奈だけは、わざと自分の星座である「さそり座」の上に乗り、片足立ちで器用にバランスを取りながら振り返った。


「あ、お父さんの星座だ。ねえ、将太は? 自分の星座、踏んづけて歩いてない?」


 授業も始まっていない、ただ「高校生になった」という事実だけを背負った午後。


 三人の歩みは、いつもの下校時間よりもどこかゆったりとしていた。


挿絵(By みてみん)


「菜奈ちゃん! 入学おめでとう!」


 唐突に飛んできた声に、三人は足を止めた。

 軒先に色鮮やかな果物を並べた、老舗果物店の店主だった。


「あ、おじさん、ありがとうございます! 今日から制服も新しくなったんですよ。どう? 似合ってる?」


 菜奈がモデルのようにその場でくるりと一回転してみせる。


「おお、よく似合っちゅう! 追手前の紺色は品があってえいねぇ。――おい将太、菜奈ちゃんを泣かせたりするなよ? 商店街の連中みんなが見ゆきな!」


「わかってますよ、そんなことしませんって……てか、泣かされてるのだいたい俺だし」


 将太が首の後ろを掻くと、菜奈がすかさず隣に並び、肩が触れそうな距離で笑った。


「泣かせたことなんてないでしょ。鍛えてあげてるの」


 この街で菜奈と歩くということは、数百人の親戚の目の中を歩くのと同じことだ。

 彼女が『三日月堂』の一人娘として、どれほどこのアーケードに愛されているかを、将太は改めて実感していた。


 ふと、将太はさっきテニスコートのそばで出会った、あのカメラを持った先輩のことが頭をよぎった。


『まだ、どこにも行けてない人の目だね』


 その言葉が、耳の奥で静かに反響している。

 不思議と嫌な感じはしなかった。

 むしろ、整理のつかない感情の塊を、誰かにそっと受け取ってもらえたような、そんな感覚が残っている。


「……なぁ、部活のことなんだけどさ。俺、ちょっと――」


 将太が切り出そうとした瞬間、菜奈が手のひらをこちらに向けた。


「あ! ストップ! その話、今はまだしないで」


「え? なんでだよ。聞きたそうにしてただろ」


「お母さんもお父さんも、将太や雄一が何にするか気にしてたんだから。どうせ三日月堂に行くんでしょ? だったら、みんながいるところで話そう」


 さっきまで「ちゃんと見て回りなさいよ」と急かしていた張本人の言葉に、将太は思わず呆れた声を出した。


「……なんだよ。あんなに騒いでたクセに」


「いいじゃない、その方が楽しいでしょ。雄一もそれでいいよね?」


 雄一は「俺は構わないけど」と短く答え、二人のやり取りをどこか他人事のように眺めていた。


 結局、部活の話は三日月堂までお預けということになり、三人は中学の頃と変わらない他愛ない雑談に興じながら歩みを進めた。


 *


 アーケードを抜け、天神橋通りへと足を踏み入れると、和やかな静けさが三人を包み込んだ。見慣れた藍色の暖簾に、白抜きの文字で『三日月堂』と書かれている。


「ただいまー!」


 菜奈が勢いよく引き戸を開けると、店内に吊るされた小さな鈴が、涼やかな音色で三人を迎えた。

 香ばしい醤油の匂いと、小豆を煮る甘い湯気が、新しい制服の繊維にふわりと溶け込む。


「お帰り、菜奈。おお、将太に雄一も。入学式、無事に終わったか?」


 カウンターの奥から顔を出したのは、菜奈の父親である鉄平だ。

 白衣の袖をまくり、粉のついた手で笑う姿は、この店の風景そのものだった。


「三人並ぶと、なんだか急に大人っぽく見えるもんだな」


 奥から母親の早苗も顔を出し、三人をいつもの奥のテーブル席へと促した。

 窓際の、少しだけ椅子のクッションが沈み込む特等席。

 中学生の頃から、ここで喜びも悩みも分かち合ってきた場所だ。


「はい、お疲れ様。まずはこれ、入学記念の『桜大福』。今日だけの特別製よ」


 運ばれてきたのは、淡いピンク色の餅に本物の桜の葉が巻かれた、春の香りが凝縮された一皿だった。


「……落ち着くな、やっぱり」

 

 将太がポツリと零すと、向かいの雄一が静かに頷いた。


「式の間、ずっと知らない大人たちの話を聞かされていたからな。ようやく毒気が抜ける気分だ」


 一息ついたところで、早苗がお茶を淹れながら、身を乗り出すようにして聞いてきた。


「それで将太くん、部活の方はどうなりそうなの? さっき菜奈が、うちで発表させるんだって張り切ってたけど」


 菜奈が「ほら、将太! 言いなさいよ!」と隣で急かしてくる。

 将太は少しだけ姿勢を正して、ゆっくりと言葉を選んだ。


「……バスケは、もうやめることにしました。中学で、一区切りついたというか……。それで、さっき少しだけテニスコートを見てたんですけど。テニス、ちょっとやってみようかなって、思ってます。まだ、はっきり決めたわけじゃないですけど」


 将太の言葉に、テーブルを囲む空気が温かく動いた。


「テニス。いいじゃない、新しいことを始めるのは素晴らしいことよ」


 早苗が優しく微笑む。


「……で、雄一は本当に美術部なんだな?」


 将太が改めて確認すると、雄一は淡白な瞳のまま頷いた。


「ああ。もう顧問の先生には挨拶してきた」


 その瞬間、カウンターの奥で作業をしていた鉄平が、勢いよく振り返った。


「美術部!? 雄一が美術部に入るのか!?」


「……はい。まあ、そうなりますね」


「おお、雄一くん……!」


 鉄平は大げさに腕で目をこすり、泣きまねをしながら声を震わせた。


「あの、チャイムと同時に消えていた雄一が……ああ、成長したもんだ。おじさんは嬉しいよ!」


「お父さん、大げさすぎ」

 

 菜奈が呆れたように突っ込むが、鉄平は構わず、鼻をすするような仕草を続けている。


 早苗はおっとりと手を合わせ、穏やかに微笑んだ。


「まあ、素敵ね、雄一くん。あなたが描く絵、いつか見せてもらえるのを楽しみにしているわね」


 雄一は少しだけ照れたように視線を逸らし、「いつか、気が向いたら」と短く答えた。


 泣きまねを終えた鉄平が、一つの包みを持ってきた。


「テニスか。いいな、将太。しっかり腰を据えてやれば見えてくるものもあるだろう。……よし、それなら今日はこれも持っていけ。新作だ!」


 差し出された包みには、力強い筆致で『粘り腰団子』と書かれていた。


「これを食べて、しっかり踏ん張れ。過去に足を止められるんじゃなくて、新しい場所で自分の足で立つんだぞ」


「……ありがとうございます」

 

 ――もらったはいいけど、なんだこれ?粘り腰??


 この店は、たまにだけど、陳列される事のない変な…大変ユニークな商品を開発するんだよな。


 将太は団子を手に取り、そのずっしりとした重みを感じた。

 新しい場所で新しい事を始める不安が、この店に流れる変わらない空気と、自分を肯定してくれる大人たちの言葉によって、少しずつ和らいでいくのが分かる。


「ダイジョウブ ダイジョウブ。ほら、将太、あーんして」


 菜奈が冗談半分に団子を突き出してきた。

 その距離が近すぎて、将太は思わずのけ反る。


「……自分で食うよ!」


「あはは、照れちゃって。……ねえ、将太、雄一」


 笑い声を収めた菜奈が、お茶の湯気の向こうから、二人を真っ直ぐに見つめた。


「……ねえ。高校生になったけどさ、ここに来るのは変わらないよね? ここに二人がいないのは嫌なんだけど。……たまには、こうして集まれるよね?」


 その問いには、いつもの明るさの裏に、かすかな寂しさが混じっていた。

 

 テニスという新しい世界へ踏み出そうとしている将太と、全中出場という実績を背負って変わらず水泳の道を歩む自分。

 そして、自らの意思で美術部へと進むことを決めた雄一。


 高校という新しい門が、三人の距離を少しずつ変えてしまうのではないか。

 そんな予感が、菜奈の声を少しだけ震わせたのかもしれない。


「当たり前だろ」


 将太は、わざとぶっきらぼうに答えた。


「ここに来なきゃ、俺のガソリンが切れる。練習で疲れたら、真っ先にここのお菓子を食べに来るよ」


「俺も、ここ以外の居場所を探すのは面倒だからな」

 

 雄一も、短く、けれど確かに頷いた。


 二人の返事を聞くと、菜奈は一瞬だけ安心したような顔を見せ、すぐにいつもの悪戯っぽい笑みに戻った。


「ふーん。じゃあ、二人がサボらないように、私が毎日監視してあげるから覚悟しなさいよ?」

 

 菜奈はそう言って、将太と雄一、二人の腕を軽く小突いた。


 *


 三日月堂を出ると、高知の空は深い群青色に染まり始めていた。一人になった帰り道、将太のバッグの中には鉄平から持たされた団子が、確かな重みを持って鎮座していた。


 なんでこれ、こんな重いんだよ。


 玄関を開けると、出汁の利いた匂いと、テレビから流れるニュース番組の声が将太を迎えた。


「ただいま」


「おかえり、将太。早かったじゃない。入学式はどうだった?」


 キッチンから顔を出したのは、母の恵子だった。明るい声が家の中に響く。


「普通だよ。あ、これ、三日月堂のおじさんから。入学祝いだって」


「あら、鉄平さんから? 嬉しいわねぇ。菜奈ちゃんも元気だった? あの子、どんどん綺麗になるから、将太もうかうかしてられないわね」


「……何の話だよ」


 恵子の茶化しをスルーしてリビングに入ると、父の康介がソファで新聞を広げていた。

 将太が部屋に入ると、眼鏡を少しずらして鋭いが温かい視線を向けてくる。


「お疲れ様、将太。――どうだ、新しい制服の着心地は」


「少し肩が凝るけど、悪くないよ。……父さん。俺、テニス部に入ってみようかと思ってるんだ」


 康介は新聞を膝の上に置くと、静かに頷いた。


「そうか。自分で選んだ道なら、それが一番だ。しっかり腰を据えてやってみなさい」


 夕食後、家族で分けた『粘り腰団子』は、案の定、少し不思議な食感がしたけれど、味は驚くほど優しかった。  

 

 自分の部屋に戻り、ベッドに大の字になる。

 窓の外から聞こえる遠い電車の音を聞きながら、明日から始まる高校生活、期待に胸を膨らませながらゆっくりと眠りに落ちていく。

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