第十四話
芳しい桃の香りが漂う庭園。
ゆらゆらと空中を漂う羽衣。
優雅な衣擦れの音と共に、気品のある声が語り掛ける。
『良いですか、頑是なき子よ。
知を識ることに、無駄なことなど無いのです。
そして、知を恵みとすることこそ、どんな困難をも打ち破る術となるでしょう。』
すべての生命ある者の母のように、優しく微笑み、導く偉大なる存在。
『……私の愛し子。
貴女の幸せを心より、願っています』
『はい!西王母さま……!』
幼い頃に何度も夢で出会った明葵の師であり、心より尊敬する尊い御方。
……幼い頃、毎日のように夢で会えていた西王母は……数年前を最後に、会えていない……。
困惑した彰玄達を前に、明葵は気不味そうに視線を逸らしてしまう。
「(……よく考えれば……足し算とか、掛け算とか……全部、私が西王母さまに教えを受けた内容だった……!)」
幼い頃、それこそ明葵が六歳くらいだったか?
算術は、必ず役に立つことの一つだと西王母から明葵は繰り返し教わったのだ。
算木、算盤……道具の使い方を習う前に、繰り返し計算問題を解くこと。
そして、掛け算や割り算においては、九九を教えてもらった。
「(……最初……お父様に算術について披露した時には驚かれたもの……。
一通り説明したら、一族全体に算術を教え込むことになって……。
今では、簡単な計算なら道具は使わずに暗算が当たり前だし……)」
明葵が発端となり、十数年の年月を掛けて一族全体に算術が浸透した白一族。
血族以外にも、明葵たちが拾ったという言い方は悪いが……。
それぞれの理由で孤児となった子供たちを使用人候補として引き入れ、文字や計算を一緒に学んだのは明葵にとって良い思い出だったりする。
「……明葵、掛け算と割り算とは何だ?」
「…………はい」
彰玄達の反応に、明葵の普通は普通じゃないことを改めて痛感した。
「簡潔に言えば、掛け算は数を纏めること。
割り算は数を均等に分けること、です。」
「……纏める?」
「分ける、て……?」
「…………」
簡潔すぎて、今ひとつピンと来ないといった顔の三人に明葵は天球儀の螺子を取り出した。
「そうですね……例えば、掛け算……」
六個取り出した螺子を作業台代わりに使っていた大きな木箱の上に並べる。
「二つの螺子が二列ある場合、二と二を掛ければ四になる。
同じように、三つの螺子が二列ある場合、二と三を掛ければ六になる。」
明葵は説明しながら、螺子の並び方を変えていく。
「九九という法則があります。
一から九までの数字の組み合わせで、掛け合わせた数は必ず同じものとなる。
その組み合わせの答えを暗記しておく。
それだけで、纏めて数える手間がずっと楽になる。
それが、掛け算の九九の法則です。」
「待ってください……!
その数字の掛け合わせが、必ず答えが同じになる保証は……」
「有ります。
少なくとも、私を始めとした白一族は十数年前から、この掛け算の法則を学び、実務においても使用しています。」
驚愕に声を上ずらせた景文の問い掛けに、明葵ははっきりと答える。
「っ?!
じゅう、すうねん……まえ……から……」
「毎年、国へ治める白家の出納帳で不備を指摘されたと聞いたことは有りません。
……つまり、掛け算を用いて計算した出納帳に不備がない。
それが掛け算の法則が間違っていないという答えだと、私は考えます。」
目玉が落ちそうな程に驚く景文に、明葵は微笑む。
「割り算に関してですが、掛け算で使用した九九を此方も用います。
六個の螺子を二人で分ければ、一人三個ずつ。
六個の螺子を三人で分ければ、一人二つずつ。」
「……九九を覚えておけば、二に何を掛ければ六になるか。
逆に計算することで、答えを導くことが出来る。」
明葵が動かす螺子を見詰めながら、彰玄が呟く。
「その通りです、王弟殿下」
手元の螺子から視線を上げた明葵は、三人の男たちに向かって微笑む。
「私は幼い頃から計算問題を繰り返し解き、計算を単純化するための九九の法則を暗記した。
それにより、九九を知らない方々よりも暗算が早く出来る。」
あまりの驚きに顎が落ちそうなほどに口を開き、無言で震える景文。
九九の、掛け算や割り算の有用性を理解して目を輝かせる彰玄と凛。
「……ただ、それだけのことですので……悪しからず。」
明葵にとっては、九九は身近で普通のこと。
算木を使用するのって苦手なんだよね……くらいの気持ちで、明葵は柔らかく微笑んで説明を締めくくるのだった。
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