第三十二話
貴婦人を乗せた軒車が停車する。
優雅に車から降り立った蘭花は、門の近くに見えた人影に笑みを深くした。
「ただいま戻りました、旦那様」
霊山の麓にある白家の屋敷。
「よくぞ、戻った」
先触れにより、蘭花の帰る刻限を把握していた泰山だけでなく、三人の息子達も門に揃い踏みだった。
「蘭花」
「旦那様」
厳しい顔つきを微かに綻ばせる泰山に、蘭花が愛しさを隠しもせずに艶やかに微笑む。
蘭花へと歩み寄り、当たり前のように手を差し出す泰山へ蘭花も躊躇うことなく手を重ねた。
「母上、明葵は……あの子は無事ですか?!」
そんな仲睦まじい両親を尻目に、顔を不安に歪めた次男・梓苑が問いかけた。
「あの子は息災にしております。
毒の影響も既にないとのことを確かめてから、帰参いたしました。」
泰山へ向けていた瞳を、大きくなった息子たちへと蘭花は向ける。
「母上、何故……明葵は一緒ではないのですか?
やはり……王族共があの子を……!」
苦渋に満ちた表情を父親そっくりの顔に浮かべる長男・菖雲。
「……父上、やはり貴族とは名ばかりの強欲な蛆虫どもを掃討するべきでは?」
今にも王都を業火に沈めそうな殺意を纏った三男・桐峻が泰山へ進言する。
「菖雲、梓苑、桐峻。
まずは、屋敷の中へ。
……疲れている母を労わぬつもりか?」
「「「っっ?!」」」
申し訳ありません……と頭を下げる三人。
「旦那様、ありがとうございます。
……三人も、明葵のことが心配で堪らぬのでしょう。」
「わかっておる。
だが、そなたを労わぬ理由にはならぬ。」
「……ありがとうございます」
貴族には珍しく側室を持つことなく、蘭花唯一人を妻と呼ぶ泰山。
何歳になっても、己を大切にしてくれる泰山に蘭花の微笑みは深くなる。
「……ゆくぞ。」
「はい」
当然のように手を重ね、屋敷の奥へと進む仲睦まじい両親の後ろ姿に息子たちはため息を付くのだった。
屋敷の奥。
「……王弟殿下より、明葵が毒を受けた経緯について聞き及んだ内容は以上です。
その後、目を覚ました明葵本人へも毒を受けるまでの経緯を確認しましたので、状況に関しては間違いないかと。」
広間に集まった五人は、蘭花より明葵の様子を告げられた。
「……そうか」
目を瞑り、静かに聞いていた泰山は、蘭花が口を閉じたと同時に目を開けた。
「……明葵は、何故あちらへ残った?」
万が一、王家に一族の命を盾に脅されたと言うならば……是非もなし。
泰山の目に鋭い覚悟の光が宿る。
それは、無言で両親の会話を聞いている息子たちも同じだった。
「あちらへ残ったのは、明葵自身の意思ですわ。」
「っ……何故ですっ?!」
梓苑が身を乗り出し叫んだ。
「父上より、明葵が王城内へ残された経緯は聞きました!
まるでっ! まるで……我らの命を盾に明葵を捕らえ、使い潰そうとしているとしか思えないっ……!」
幼い頃。
酷い熱病に罹り、誰もが梓苑の命を諦めた時。
『あにさまっ! おくすりです!』
熱に苦しむ梓苑を安心させるように。
優しい笑顔で一生懸命に作った薬を届けてくれた妹。
「……あの子は……!」
知識欲や好奇心に溢れていても。
その心の底には、苦しむ民を助けたいという優しさがあることを梓苑は知っている。
「権力など! 貴族や国など、どうでもいいっ!
欲に目が眩んだ奴らなどっ!
滅び去ってしまえばいいっっ!!」
普段は穏やかに微笑む梓苑の激情。
梓苑にとって、家族以上に大切なものなど、この世にはなかった。
「どうして、あの子を……僕のたった一人の妹を放おって置いてくれないんだ……!」
王家が、国が、梓苑の大切な家族を、明葵を利用すると言うならば……!
「落ち着きなさい、梓苑。」
「落ち着いてなどっっ」
「歯車らしいですよ」
「…………は、ぐるま……?」
苦笑交じりの蘭花の言葉に、梓苑は虚を突かれた。
「あの鳥籠の中にある古書や歯車が気になる上に、大改造をしたい。
龍神さま方と王家を振り回す約束もしたそうですよ。」
「あ………そう、なんですね」
梓苑の顔がスン……となる。
冷静に考えなくとも、梓苑と同じか、それ以上にに明葵を溺愛している二柱が動いていないはずが無かった。
「……よく、王都が灰燼に帰していませんね」
「いっそ、滅んだ方が楽だろ?」
「……確かに、滅んでいないことが奇跡か……」
梓苑、桐峻、菖雲がそれぞれに呟く。
「……王都は滅んではおらぬが……明葵を侮辱した阿呆どもが消えたとか、なんとか……」
噂だがな、と呟き、何時の間にか蘭花が用意した茶を啜る泰山。
神々だけでなく、妖かしを含む人外の者達に溺愛されている泰山と蘭花の娘。
「…………」
泰山の好みに合わせて淹れられたお茶を啜りながら、明葵を取り巻く環境に思いを馳せる。
明葵の心を尊重する神々や妖達。
そんな存在たちに溺愛されていることを知らない王家や貴族たちが、いっそ哀れである。
「蘭花、菖雲、王家の動きを常に警戒せよ。
梓苑、明葵が担当していた教育などの部門を頼む。
桐峻、霊山周囲の警備を強化しておけ。
必要時は、明葵を速やかに保護し、一族総出で無人島にでも引っ越す。」
そのつもりで準備をしておくように、と泰山は重々しく告げる。
「……そうでした、旦那様。」
是と答えた息子たちに満足げに頷いた泰山の横。
蘭花が何かを思い出したように片手で口元を押さえた。
「なんだ?」
「言い忘れておりましたが、王弟殿下は明葵に懸想しております。」
「「「……あ゛あ゛?」」」
物凄く低い声が息子達から漏れた。
「蘭花……王城に所用ができたゆえ、あとは任せた。」
手入れを欠かさない愛剣を取りに行かなければ。
ユラリと立ち上がった泰山。
「父上、己もお供します」
無表情の菖雲が、泰山と同じように剣を持ち殺気立つ。
「ふふ……父上も、兄上も、顔が怖いですよ。
……僕も、明葵の安全を守るために一番危険な駄犬を去勢しようかな?」
王家の血筋は残ってるし、問題ないよね?と綺麗な笑顔を浮かべた梓苑。
「……父上、王城内の見取り図を取ってきます。
明葵のいる場所まで最短かつ一直線に移動できるように、火薬も準備してきます。」
すぐにでも、殴り込みに行きそうなヤル気に満ち溢れた桐峻。
「旦那様、三人とも」
あらあら……と微笑む蘭花は、お茶を啜りながらぽろりと告げた。
「あの王弟は、ヘタレっぽいので問題有りませんよ」
毒を受けて眠る明葵の横で、塩を振った青菜のようにヘタれていた背中を思い出す。
……大きな図体を小さく丸め、自分が明葵に恋焦がれていたことすら気が付いていなかった鈍感さ。
「……明葵に振り回されることが有っても、余程のことが無い限り…………」
冷徹怜悧だの。
氷の王弟だとか。
女に不自由していなさそうな立場や顔のくせに。
「初恋を拗らせた近所の思春期の男の子、と言ったところでしょうか?」
明葵が王弟を男として認識しているかも怪しい。
「それに、明葵の側にはお猫様がいらっしゃいます。
明葵に無体な真似をしようとした瞬間に……切落とされますよ」
何処をとは言わないが。
「…………そうか」
蘭花の言葉に、泰山は一端矛を収めた。
「「「…………」」」
泰山に習うように息子たちも剣を収める。
「……面倒なことを」
明葵に向けられた王弟の心。
泰山は面倒なことになったと、深いため息を付いてしまう。
どちらにしても、どうか……可愛い一人娘が心安らかに。
そして、心身ともに傷付かずに過ごせることを祈るのだった。




