第二十八話
「……良いですか、明葵。
幾ら知恵が有ろうとも、そなたはか弱き女なのです。
母もまた同じで、命を脅かしかねない暴力や毒の前には無力なのです。
……可愛い一人娘の貴女が……辛い思いをしていると思うと……!」
母は、母は……よよよ……と出てもいない涙を布で拭う蘭花。
「お母様……ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした……。
幾ら緊急時だったとはいえ、反省しております……」
悲しげな様子で叱る蘭花に、明葵の心の中は申し訳なさで一杯になる。
「…………みぃ……」
明葵の横に猫の姿で座る華乃の尻尾が揺れる。
「(明葵さまはか弱いけど……さぁ?
……しかも、涙は出てない……)」
「お猫様?」
「……みゃおぉん」
笑顔の圧。
素直に猫のふりをしてやり過ごす。
「……失礼します」
「あら、まぁ……これは、これは、王弟殿下。」
その時、扉が開き……いつもの二人が現れた。
「……このようなむさ苦しく、朝方は凍えるほどに寒い塔の最上階などに、ご足労頂き大変申し訳ございません。
娘が目を覚ましたと同時に、私の方からお尋ねすべきでしたのに……」
笑顔。
完璧な笑顔である。
「……此方こそ、不手際があり……すまぬ。
大切な御息女を預かっている身で傷付けたこと、私も謝罪したい。」
「まぁ……!
流石は王弟殿下!
懐の広さが違いますわね!」
完璧な淑女の笑顔。
「(……なんだか……今日はお母様の機嫌が良いような……?)」
明葵は、首を傾げる。
蘭花が泰山の隣にいる時以外に、こんなにも笑顔を浮かべるのは珍しい。
「白夫人、大変申し訳ないのだが……御息女と話す機会を頂けないだろうか……?」
「娘とですか?
まだ、病み上がりですし……王弟殿下に対して、粗相をしてしまうやもしれません……」
困惑した表情を浮かべる蘭花。
「(……王弟殿下をぶん投げるような……白夫人を超える粗相の仕方って……)」
「あら……そちらの素敵な副官様?
何か、私が気が付かぬ内に粗相でもしてしまいましたかしら?」
「とんでも御座いませんっ!
淑女の鏡のような御婦人に対し、そのようなことは欠片も御座いませんっ!!」
唐突に視線を向けられた凛は、冷や汗を流しながら叫ぶ。
「まあ……お元気ですこと。」
ほほほ……と微笑む蘭花の視線が、キョトンとしている愛娘へと向けられる。
「明葵……貴女はどうしたいのかしら?」
娘が話したくないと言うならば、顔を顰めるならば……
「……えっと……だいぶ体も楽になりましたので……」
構わないと、不思議そうな明葵に彰玄の固かった表情が緩む。
「……そう……では、私は此方の副官様と退室しておきましょうね」
「え゛っ……」
「あら……何か、問題でも?」
「御座いません!」
ではね……と笑顔の蘭花と引き攣った顔の凛が退室する。
「…………」
「…………」
無言が部屋を支配する。
「(……何故、喋らないのかしら?)」
明葵は近寄って来ない上に、視線を向けない彰玄の様子に首を傾げる。
「……王弟殿下……?」
「っ……」
「お身体は大丈夫ですか?」
「……問題ない」
小さくではあるが、彰玄が答えてくれたことに安堵する。
「王弟殿下、ありがとうございました」
「………………は?」
礼を言われた。
だが、彰玄は明葵に感謝される覚えがなかった。
「母を呼んでくださり、助かりました。
流石に、昨夜は華乃ちゃんと二人だと辛かったので……」
本当に、助かった。
身体がきつくてたまらなかった昨日の夜。
明葵一人では、水を取りに行くことすら一苦労だったのだから。
恐らく、母が来なければ華乃が世話を焼いてくれたとは思うものの…………それでも、助かったのだ。
「……何故、お前は恨み言の一つも言わぬ?」
「え……?」
彰玄の言葉に明葵は困惑してしまう。
「お前を王城に呼んでから……お前が苦しい思いをした原因は俺にある」
恨まれ、憎まれる理由は有る。
だが、感謝される理由など無い。
「……お前の心を無視し、守ると言いながら傷付け続けた。」
爪が掌に食い込むほどに、強く握り締める。
「俺は……やはり、お前に恨まれる覚えしかない。」
掌に爪が食い込み、血が滲む。
「…………恨言ならば、もうお伝えしました。」
……明葵には、分かってしまった。
「我慢することをやめた……あの日に。
私は、王弟殿下へお伝えしました。
貴方様の持つ権力が恐ろしいのだ、と。」
明葵より、二つほど歳下だったろうか……?
ゆっくりと立ち上がり、彰玄の側へと明葵から歩み寄る。
「王城に留まることも、王弟殿下へ賭けを持ち掛けたことも……最後に選択したのは私です」
失礼します、と優しく彰玄の手を取る。
明葵が触れた瞬間に、ビクリと震えた身体には気が付かないフリをする。
「私は、私の選択や決断の責任を他者に求めたくありません。」
心を解きほぐすように。
固く握り締めた指を丁寧に開いていく。
余ほど強く握っていたのだろう。
掌に爪が食い込み、血が滲んでしまっている。
「……少なくとも、王弟殿下が驚くほどに、不器用な……優しい方だということはわかりました。」
微笑む。
王弟という立場を黙っていたのは、驚かせたかったのだろうか?
彰玄が家族を人質に取って、明葵を脅すつもりも無かった可能性が高い。
……王弟という色眼鏡を通して彰玄を見てしまった明葵自身の勘違いも有ったのだと今ならわかる。
「王弟殿下……私も、貴方様を誤解して申し訳ありませんでした。」
少なくとも、軽口を叩いたくらいで斬り捨てる人間では無かったと明葵は思うのだった。
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