第45話「うちは油が出るから、いいけどね」
二日目は、こぼさなかった。
枡を持つ手と器を押さえる手は、二日やれば順番のほうが体に入る。動かない指は動かないままだが、器の縁のどこへ当てれば逃げないかが分かってきた。分かるまでに一合ぶん引かれたのだから、安い月謝ではない。
主人は、それについて何も言わなかった。昨日こぼしたことも、今日こぼしていないことも、この人の口からは出てこない。そのほうが働きやすいので、こちらも触らない。
手が慣れるというのは、速くなることではない。同じ形を二度やって、二度とも同じところで止められるようになることだ。速いだけの手は、三度目でどこかがずれる。
朝のうちは、昨日と同じに客が切れなかった。器が大きくなっているのも同じで、壺で来て一合しか買わない家がまだいる。値は昨日と同じだった。上げるのは三日に一度くらいでいいと、この人は思っているらしい。
通りの向こうが騒ぎはじめたのは、昼前だった。
声のほうが先に来て、そのあとで人が動いた。人の動き方には二種類あって、逃げる動き方と、見に行く動き方がある。こちらは見に行くほうだったので、怪我人が出た話ではないと分かった。
「行くなよ」
主人が、枡から目を上げずに言った。
「見に行かない」
「行くと帰ってこないんだ、みんな。人の家の騒ぎってのは、自分の店より面白いからね」
そう言いながら、この人も首だけは通りのほうへ向けていた。
見えたのは、普請場の足場だった。二軒先の角で、春から建てている家がある。骨組みはもう立っていて、今日はそこへ長い材木を一本、上へ載せる日だったらしい。
上げる日の段取りは、通りからでも分かる。足場の上に人が三人ばかり上がっていて、下にも同じくらいいる。上の三人は手ぶらで、待っている格好だった。
材木は、地面に置いたままだった。長さは家の幅ぶんあって、端に縄が二重に掛けてある。掛けたまま、誰も引いていない。
周りに人が七人か八人いて、そのうち一人だけが、材木の脇に立って動かない。両手を組み、ほどき、また組む。何度も同じことを繰り返すので、遠目にも同じ形だと分かった。
その形は、こちらも知っている。昨日の夜に一度だけ組んだ形で、組んだのはこの手だ。使ったその場で、それは世の中から無くなった。
男は、それを知らない。知らないから、もう一度やる。やって、上がらない。上がらないので、手の置き方を変えてみる。変えても同じなので、今度は足の位置を変えてみる。組む前に息を吐いてみる。習ったはずのない直し方を、思いついた順に全部やっている。
直すところが無いものを直そうとしている人の動きは、遠くから見ると、何かの稽古に見える。
半刻ほど、同じことが続いた。そのあいだに足場の上の三人が下りてきて、下にいた者のうち何人かは別の仕事へ回った。残ったのは、材木と、組んではほどいている男と、それを見ている棟梁らしい年寄りだけになった。年寄りは、途中から何も言わなくなった。急かさないのは、急かして上がるものではないからだろう。
昼を過ぎて、客が一人、その話を持ってきた。
「上がらないんだってさ、あれ」
「材木かい」
「うん。あそこの棟梁んとこ、梁を上げる日だけ呼ぶ男がいてね。町にひとりかふたりしかいないんだ。その男が今日はどうにも駄目らしい」
「怪我でもしたのかい」
「いや、どこも悪くないって。本人は、今日は調子が悪いって言ってる。明日また来るとさ」
明日また来て、また上がらない。
それを知っているのは、この町でこちらだけだ。
知っていて、黙っている。この人たちに渡せるものが、何も無いからだ。渡せるものが無い話を渡すのは、荷物を人の背に載せるのと同じで、載せた側だけが軽くなる。
客は、油を一合買って帰った。買うときに、こう言った。
「明日は、もうちょっと買っとこうかね。上がらないんじゃ、普請も遅れるし」
こういう買い方を、この町の人はよくする。困りごとの話を聞くと、まず自分の家の油の残りを思い出すらしい。灯しが消えてからの三年で、そういう頭になった。
普請が遅れると、大工の手が空く。手が空くと、その家の銭が動かない。動かない家は、夜の灯りを削る。削れば油が要る。
この町では、どこで何が止まっても、最後は油屋の樽に来る。
その樽の前に立つのが、いまのこちらの仕事だ。立って、量って、日が暮れたら三枚もらう。もらった銭で汁と饅頭を買って、それだけのことを、明日もやる。
昼過ぎに、トトが通りを歩いていった。荷車の後ろに付いて、紐の色を見ている。この時刻なら川べりにいるはずだから、荷について通りまで出てきたらしい。
「おばさん、店にいる」
「いるよ。見りゃ分かるだろ」
「分かるけど、言っときたかったんだ。今日、川べりが遅れてる。昨日崩れたやつを起こすのに、朝から人が取られてさ」
「起こすのは大変だろ。重いんだから」
「うん。でも、こういうのって、前は早かった気がするんだよ。なんでかな」
そう言い置いて、この子は荷車を追っていった。
川べりでも、重い荷を起こす日には人を呼ぶ。呼ぶ相手は普請場と同じで、町にひとりかふたりしかいない。呼べない日は、人数と縄と時間で埋める。埋めるぶんは、その日の荷がまるごと遅れる。
なんでかな、で止まるのは、この子の頭が正しく働いている証拠だ。引っかかっているのに、引っかかりの先が無い。先を作ってやれるのはこちらだけで、作ってやる気は無い。
日が傾くころには、普請場から人が引いていた。材木は地面に置いたままで、縄も掛けたままだ。掛けたものを外さないのは、明日もう一度やるつもりがあるという意味になる。
夕方、樽が一つ空いた。空いた樽を裏へ運ぶのは、昨日と同じで最後の仕事だ。転がしていくと、中に残った油が音を立てる。
昨日は二つ空いたので、今日は少ない。少ないのは客が減ったからではなく、一人が買う量が減ったからだ。値の上がる町では、人は一度に買う量を減らして、来る回数を増やす。
店じまいのとき、主人が栓を確かめて回った。樽は八つあって、抜いたのは今日は三つ。三つとも、抜いた順に見ていく。
栓は、抜いた回数だけ緩む。緩んだ栓は夜のうちに滲むので、確かめる順番が決まっている。この人は毎晩それをやっていて、たぶん、値を上げることよりそっちのほうが好きだ。
煮売り屋の女は、夕方になると戸口に出てくる。店先というのは、どこの通りでも、その日に聞いた話を並べ直す場所になっている。
「あの普請、どうなるんだろうね」
聞いたのは、こちらではない。通りの向かいの煮売り屋の女が、戸口から口を出した。
「どうもこうもないよ。あの男、歳だもの。そういうもんさ」
主人が、栓を回しながら答えた。
「腕が落ちたんじゃ、しょうがないやね」
「まあ、うちは油が出るから、いいけどね」




