第41話「二度行って、二度とも入らなかった」
その日の午後にしたことを順に並べると、こうなる。
市を一回りした。買う物は無い。水を汲んだ。宿へ戻って、板の間に座った。それから出て、通りを二本ぶん歩いて、戻って、また座った。
こういう午後は、体のほうが先に疲れる。何もしていないのに疲れるのは、何もしないというのが、ひとつずつ「しない」を選びつづけることだからだ。選びつづけているあいだ、手は空いている。
店の前までは、二度行った。一度目は昼を少し過ぎたころだ。通りの入口から戸の見えるところまで行って、そこで足が止まった。止まったというより、そこから先へ持っていく用事を、こちらが用意していなかった。
腰を下ろしている人たちは、閉まった戸のほうをあまり見ていなかった。見たところで開くわけではないので、見ないほうが楽なのだと思う。戸を見ていたのは、たぶんこちらひとりだ。
二度目は、日が傾いてからだった。今度は戸の前まで行った。半分開くのが決まりの戸が、朝と同じ位置で閉まっている。中から物音は聞こえてこない。聞こえないのは、たぶんあの人が左手で右の指を開いては戻しているからで、あの動きには音が出ない。
戸の板には、手を掛ける高さのところだけ、色の抜けたあとがある。毎日そこへ手が来るからで、開ける側ではなく、開けてもらう側の手のあとだ。板の色が抜けるまでには、何年かかかる。
戸に手を掛ければ、そのまま開く。閂は落ちていない。閉めてあるのは、開ける用の無い人に向けてであって、こちらに向けてではない。
手は掛けなかった。
掛けようとして止めたのではない。手のほうが、はじめから上がらなかった。上がらない手というのはこちらにも縁があって、右の指がそうなってから、もうだいぶ経つ。あれは腱の話だ。こっちは腱の話ではない。
掛けなかった理由を、ここに並べる気は無い。並べてしまえば筋の通った話になるが、通った筋があったわけではない。
探しに来る気配は、日が暮れるまで一度も無かった。来ないだろうと思っていたし、実際に来なかった。物を売る人は、買わない客を追いかけない。追いかけて売れたためしが無いことを、二十年ぶんくらい知っている。
戻る道で、油屋の前を通った。人が並んでいた。あの店の並びとは並び方が違って、こっちは流れている。買えば手に入るものの列は、流れる。流れない列というのは、買っても手に入らないかもしれない列のことだ。
油は、朝より一枚上がっていた。上がった理由を油屋は言わない。言わなくても、買う側はみな見当がついている。見当がついていて、値切る者は一人もいない。値切る相手を間違えると、明日その店で買えなくなるからだ。
店の閉まった夜がこの町でどう回るのかは、日が落ちればすぐ分かる。余分に買える家は買う。買えない家は芯を短くして、早く寝る。早く寝るわけにいかない用のある家だけが、どこにも行けずに残る。
宿に戻ったら、トトが先に帰っていた。
「店、閉まってた」
「聞いたよ。十日だってさ」
「十日も閉めて、あの人、食えなくなんないの」
「あれだけ取ってりゃ、十日くらいは食えるさ。心配するとこが違うよ」
「じゃあ、おれの賃は」
「出ないね」
「だと思った」
この子は、そこで少し笑った。笑ったのは、当てが外れたのが自分だけではないと分かったからだと思う。人は、損をするのが一人きりだと、うまく笑えない。
「手、見たかい」
「見た。すごい腫れてた。おれ、あんなの初めて見たよ。指が、途中までしか開かないんだ」
「痛いとは言ってなかったろ」
「うん。痛くないって言ってた。痛くないのに動かないほうが、こわいと思う」
こわい、という言い方を、この子はめったにしない。使うときは、たいてい合っている。
痛くないのに動かない、というのは、こちらにも覚えがある。覚えがあるとは言わなかった。言えば、どこで覚えたのかという話になって、その話はいつも同じところへ落ちる。
「並んでた人らは、どうしてた」
「怒ってなかった。誰も怒ってなかったよ。閉まってるって言ったら、そうかいって言って、帰ってった」
「そうかい」
「でも、一人だけ戸を叩いた人がいた。三回叩いて、返事がないから帰った。あの人、おれが番号ふった人じゃないんだ。たぶん、今日はじめて来た人だと思う」
「はじめての人は叩くんだよ」
「なんで」
「何度も来てる人は、叩いても開かないのを知ってるからさ。知ってる人ほど、静かに帰る」
この子は、それを聞いて少し考えた。考えて、口には出さなかった。出さないでおく場所が増えたのも、この一年だ。
この子は、頼まれたことを知らない。
中でどういう話があったのかを、こちらは外へ出てから一度も口に出していない。黙っていたのは隠すためではなく、言えばこの子が何か言うからだ。何か言われれば、こちらは答えることになる。答えれば、それは決めたという形になる。
「明日からどうすんの」
「川べり一本だろ。朝から出な」
「うん。おばさんは」
「こっちはいつもどおりだよ」
いつもどおりというのは、何もしないということだ。この子はそれを知っている。知っていて聞くのは、聞いておかないと落ち着かないからだと思う。
「おばさん、あの人の手、十日で治るって本当かな」
「本人がそう言ってたんだろ」
「うん。でも、自分の体のことって、本人がいちばん当てになんないよ。川べりの人ら、みんなそうだもん。明日は出られるって言って、次の日いないんだ」
こちらは何も返さなかった。返し方が二つ浮かんで、どちらもこの子を余計に賢くする言い方だった。
返事は、置いておけば、置いた時間のぶんだけ重くなる。重くなるのは承知のうえで置いた。
日が落ちるのを、こちらは自分の目で見なかった。板の間の壁を見ていたら、いつのまにか、字が読めるくらいの明るさが無くなっていた。字は読まないので困らない。困らないが、明るさというのは、無くなるところを見ていないと、いつ無くなったのかが分からない。
こういう暗くなり方は、油を買わない家にだけ起きる。灯りのある家では、暗くなる前に人が火を点けるので、暗さのほうが来る前に用が済んでいる。暗くなるところを最後まで見るのは、点けるものを持っていない側だけだ。
板壁の節穴から、向かいの家が見える。その家の窓が、ひとつ明るくなった。油の灯りだ。芯を短くしてあるので、火が小さくて、揺れている。あの店の火は揺れなかった。並べて見ればすぐ分かるが、並べて見る機会は、この町の人にはもう無い。
明るくなったということは、日が落ちたということだ。
こちらは何も言っていない。言わないままで、話は終わった。
終わらせたのは、向かいの家の、小さくて揺れている火のほうだった。




