第39話「おれ、覚え方が悪いんだ」
〈長夜の灯しの手〉、と口に出した。
言ったのはその日の夜で、聞いたのはこの子ひとりだった。トゥーリの広場で並べて以来、半年ぶりに声にした名前だ。
昼までは店にいた。賃は昼までぶんで、川べりの半分。受け取ったのは銅貨二枚だった。二枚は油一合と同じ値だから、この町では子供の半日と油一合が釣り合っていることになる。
昼を過ぎてから、この子は川べりへ回った。店が昼で切れるので、そのあとを荷分けに充てれば一日で二つぶんになる。なるが、一つの竈で二つ煮れば、たいていどちらかが焦げる。
「長いだろ、今日は」
「昼寝の時間が無くなっただけだよ。おれ、もともと昼は寝ないし。損してない」
この子に昼寝の習慣があったためしは無い。損得の勘定を覚えたのはこの町へ来てからで、覚えたての言い方は、たいてい使いたがる。
こちらは、その両方を外で待っていた。待つのは仕事ではない。仕事でないものに一日を使っている人間は、この町にはあまりいない。
帰りは日が落ちてからになった。通りで灯りの点いている家は二軒だけだ。
「あれ、四番の人だよ」
「番号で覚えてんのかい」
「うん。四番と、九番。九番のとこは三晩ぶん買ってたから、明後日までは点いてる」
この子は、並んだ順に町を覚えている。名前ではなく数で覚えるので、買えた家と買えなかった家が、そのまま順の並びとして頭に残る。番号は、名前とちがって、覚えるのに相手の許しが要らない。
残っても、この子はそれを気の毒だとは言わない。荷分けで覚えた通りの名前と同じ扱いで、頭の中の棚に載せてあるだけだ。
「明後日、その家はまた並ぶのかい」
「並ぶよ。三晩のあとは、たいていすぐ来る。来ない人は、そのまま来なくなるんだ」
あとの家は暗い。暗いというのは何も無いという意味ではなく、油を一合買って、それを日が変わる前に落とすという意味だ。落としたあとは、朝まで誰も起き上がらない。起き上がらずに済む家は、それで足りる。
宿へ戻って、二枚のうち一枚で飯を買った。煮売り屋の汁と、割れたぶんを安く回してくれる饅頭が二つ。一枚を残したのは、明日の朝に何かがあったときのためで、明日の朝に何かがあったためしは無い。饅頭は、割れていても中身の量は変わらない。変わらないのに安いというのは、この町では珍しいほうだ。
油は買っていない。買えないのではなく、買わずに済ませた。夜に手元を見る用が二人とも無いので、買えばそれは、明るくするためだけの油になる。
板の間は暗かった。この子は、その暗い中で手を組んでいた。昼に見た形だ。親指の入る先を指で探して、入ったところで止める。止めて、ほどく。もう一度。自分の手も見えていないはずだが、見えなくても構わないらしい。この子は、手の形を目で覚えていない。
「点くと思ってんのかい」
「思ってないよ。けど、やらないと忘れる。忘れたら明日、もういっぺん見せてもらうことになる」
「見せてくれるだろ、あの人なら」
「二度は頼みたくない。一度なら教わった話で済むけど、二度だと、おれが覚えられない子になる」
二度は頼みたくない、というのは、この子が去年おぼえた言い方だ。どこで拾ったのかは知らない。拾ってくる言い方はたいてい、教えた側の得になる向きを向いている。
こちらは壁にもたれて、それを見ていた。
名前を持っているのは、こちらだ。
この部屋であの手の名前を知っているのは一人しかいなくて、この子のほうは手つきを丸ごと持っている。持っているものを二つ足せば、片方では足りなかったものが揃う。そういう並べ方が、頭の中で勝手に組み上がった。組み上がってしまえば、残るのは言うか言わないかだけだ。
名前は、渡しても減らない。こちらが失うものは何も無い。この二年半、一度も無かった形だ。いつもは逆で、こちらが受け取って、世の中のほうが減る。
「トト」
「なに」
「あの手には名前があるんだ。〈長夜の灯しの手〉っていう。長い夜の、灯すほうの手だ」
この子は手を止めて、こっちを向いた。暗いので顔は見えない。見えないほうが、こういう話はやりやすい。
「なんで知ってんの」
「昔、聞いたことがあってね」
「どこで」
「覚えてないよ。そういうのが一つ二つある。歳を取ると増えるんだ」
「おばさん、嘘つくとき早口になるよ。前もそうだった」
「早口なのは生まれつきだ。文句なら親に言いな。会ったことないけどね」
質問は三つで止まった。三つで止めるのも、この子の癖だ。四つ目を聞かないのは、はぐらかされていると分かっているからで、分かったうえで引く。引ける子になったのは、たぶんこの一年だ。
「言ってみな。組みながら言うんだ。名前は先でも後でもいい」
この子は名前を言った。聞いたとおりのまま、一字も変えずに言った。この子の耳は、こういうところだけは信用できる。言いながら、手を組んだ。
点かなかった。
もう一度やった。今度は先に名前を言って、それから組んだ。順を入れ替えたのは、この子なりの工夫だ。
点かなかった。
三度目は、息を吸ってからやった。誰に教わったわけでもないのに、息を吸う。術の格好というのは、見ているうちに体のほうへ入ってしまうものらしい。
点かなかった。
四度目をやったとき、こちらは止めなかった。一度で済む子だ。二度やるのは珍しく、四度も同じことをするのは、こちらの知るかぎり初めてだった。
そこで、分かったことが一つある。
こちらの手からは、何も出ていかない。買い戻すことはできない。触れば終わるからだ。渡すこともできない。口に出したところで、この子の手の中では何も起きない。この二つで、道はふさがっている。
茶渋は、一度きれいに落としてしまうと、同じ茶を何杯入れたところで、すぐには戻らない。戻らないと知っていても、人は落とす。落とすときには、そこまで考えていないからだ。
名前のほうは、もう入っている。
この子は一度聞けば入る。入ったものは、使えるかどうかとは関係なく残る。明日になっても、来年になっても、この子はあの名前を言える。言えるということは、こちらの手が届くということでもある。
届くところに置いておくのは、これが初めてではない。回数のほうは、思い出そうとしたことがない。思い出さずに済ませているものが、この二年半でずいぶん溜まった。
「明日、もういっぺん見せてもらう」
「いいのかい。二度は頼まないんじゃなかったのか。さっき自分で言ったろ」
「二度目じゃないよ。今日のは、おれが勝手にやっただけだから。頼んだうちに入らない」
この子は、そう言って寝る支度をはじめた。支度といっても、上の一枚を脱いで畳むだけだ。畳み方だけは、どこの家の子よりきちんとしている。
「おれ、覚え方が悪いんだ。名前を先に入れると、手のほうが遅れる」
この子の覚え方は、悪くない。
点かない理由は、この子の中にも、この部屋の中にも無い。




