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しまい手 ―― わたしが使った魔法は、世界から消える  作者: モリタ・ハク


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第37話「あの店だけ、荷が着かないんだ」

あの店だけ、荷が着かないんだ。


 トトがそう言ったのは、十四日目の朝だった。川べりの土間で四本の通りぶんを分けていれば、どの通りのどこに何が届くかは、一日ぶんずつ頭に入っていく。入れているうちに、届く先の無い一軒があることに、この子は気づいたらしい。


 何も買わない家というのは、空の油差しに似ている。振ってみるまで、中が無いことに気づかない。この町の店はどこも何かを受け取る。煮売り屋は炭を取り、布屋は反物を取り、油屋は樽で油を取る。灯りを売るところだけが、川から何も取らない。


 油も芯も要らないのだから、そうなるのが道理ではある。ただ、道理だと思うためには、先にそこへ何も着いていないのを見ていないといけない。この子は見て、おかしいと思った。


「おばさん、あそこ、どうやって食ってんの。仕入れが無いのに売りもんがあるのって変じゃない? おれ、そんな店ほかに知らないよ」


「手で売る店はそうなるんだよ。仕入れが要るのは、物を売る店だけだ」


「手って」


「術のことさ。あんたが二年、頭に入れてきたやつだよ」


 この子は椀を持ったまま、少しのあいだ黙った。考えたからではなく、言われて初めて二つが繋がったのだと思う。繋がったあとは早い。椀を置く音がして、次に立つ音がした。


 この子が物に気づくのは、たいてい、有るものを見たときではない。並んでいるものの中に一つ足りないのを見たときだ。荷の来ない店に気づいたのも同じ仕組みで、頭のほうが勝手に照らし合わせている。


 昼に、二人でその通りへ回った。この子は仕事を半日で切り上げてきた。切り上げたぶんの賃は出ないが、出ないのを承知で来ている。


 座って待つ人たちの顔は、もう覚えた。向こうはこちらを覚えていない。買わない者を覚えても、一枚にもならないからだ。


 トトは列の横を端から端まで歩いて、それから戻ってきた。歩き方が仕事のときのそれになっている。どこに何があるかを頭へ入れる順で、端から一人ずつ見ていた。


「七人。座ってんのが六人で、立ってんのが一人。立ってんのは連れの場所取りだね」


「よく見てるね。目が仕事のほうになってるよ」


「番号ふっとくと楽なんだ。土間でもそうしてる」


 それから、この子は戸のほうへ寄っていった。足取りにためらいが無い。買う気のある者の歩みでもなければ、覗きに行く者の歩みでもなかった。


 止める言葉が、口の中で一度組み上がって、そのまま出なかった。止める理由を言おうとすれば、どうしても三年前の冬から話しはじめることになる。話しはじめれば、この子は自分の頭の中身を照らし合わせる。そうなれば、こちらにはもう止め方が無い。


 戸は半分だけ開いていた。中は相変わらず暗くて、台の向こうで人が動いているのだけが分かる。


「ここ、荷、要らないの。おれ、川べりで分けてるんだけど、ここのだけ一度も無いんだ」


 この子は、いきなりそれを聞いた。挨拶も名乗りもない。半日で土間を覚えた者の聞き方で、値でも順番でもなく、仕入れの話から入った。


「要らないよ。ここは仕入れが無いんだ。ずっとそうだよ」


 袖をたくし上げた女が、台の向こうから戸口を見た。前に見たときと同じで、腕が細くて、指が長い。


「油も炭も要らない。芯も要らない。だから川へは行かないんだ」


「じゃあ、減るもんが無いんだ」


「減るのはこっちの手だけだね」


 女は笑わなかったが、追い払う言い方でもなかった。子供の問いに、答えのぶんだけ返している。


「あんた、川べりの子だろう」


「うん」


「見たことがある。紐の色で山を言い分ける子がいるって、荷車の連中が言ってたよ」


 こちらは三歩下がったところに立っていた。列の端に立つのと、戸口の脇に立つのとでは、同じ通りでも立ち方が違う。端は誰の邪魔にもならないが、戸口の脇は、出てくる者があれば避けることになる。


 こちらはこの通りへ、もう何日も通っている。値も知っているし、締まる時刻も覚えた。それでも、店の者がこちらへ口をきいたことは一度も無い。口をきかれたのは、来て半刻のこの子のほうだった。


「ねえ、ほかのもできんの。灯りだけ? 骨とか、継ぐほうは?」


 この子は、列で聞いた言い方をそのまま使った。自分の頭から出した言葉ではない。出せないのだということを、こちらだけが知っている。


 聞くとき、この子はこちらを見なかった。聞いていいかどうか迷った様子も無かった。迷うのは、聞いてはいけないと知っている者だけだ。この子は知らないので、いちばん短い道で聞く。


「うちは灯りだけだよ」


「やってないの」


「やってない」


 女はそれだけ言って、台の布を直した。直す手つきに、隠す色は無かった。売っていないものの話をするときの、短さだけがあった。


 トトは、それ以上は押さなかった。押さないところは、去年より大人になっている。押さないだけで、諦めてはいない。諦めていないことは、朝に銅貨を数える指の本数で分かる。


「おまえさん、ものを覚えるのは早いのかい。早いんだろうね。そういう顔をしてる」


「早いよ。名前なら、聞いたら入る」


「どういうのが入るんだい」


 この子は、そこで三つばかり並べて言った。どれも通称ではなく、正式名のほうだった。そして三つとも、いまもこの世にある手だった。


 この子の覚え方は、針に糸を通すのに似ている。ためらわないほうが通る。一度で通してしまうので、通した中身が何なのかは、たいてい後から考える。


 女は、聞き終わって、少しのあいだ黙った。黙り方が、感心した者のそれとは違っていた。棚の空いているところを目で探す人の黙り方で、この店の前に通うようになってから、初めて見る顔つきだった。


「明日も来な。朝のうちがいい。昼は人が多いからね」


「いいの」


「働かせるとは言ってないよ。来なと言っただけだ」


「行く」


 この子は、こちらの承知を取らなかった。


 取らなかったことに腹は立たない。腹が立つとしたら、取らなくていい間柄になったのがいつからなのか、こちらのほうが思い出せないことだ。


 帰りの通りは荷車で混んでいた。人の多い町では、歩く速さを荷車のほうが決める。


 この町へ来て十四日、こちらは誰の目にも留まっていない。九軒に断られたのも、留まらないからだ。歳も、動かない指も、誰の頭にも残らない。残らないのは気楽なことだと、昨日までは思っていた。


 この町で危ないのは自分のほうだと、どこかで決めてかかっていた。名乗れば厄介になるし、あの台の向こうで組まれている手がもとはどこにあったかを知るのは、この世でこちらだけだ。


 ところが、この町が手を伸ばしたのは、こちらではなかった。名前を持っているほうだった。


「おばさん、あのさ」


「なんだい」


「名前、聞かれたんだ。だから言っといた」


 足が止まりかけて、止めずに歩いた。ここで止まれば、この子は自分が何かまずいことを言ったのかと考える。考えさせないほうがいい場面が、この二年でずいぶん増えた。


「どの名前だい」


「おれの」


 名前というのは、包丁と同じで、渡すときに向きがある。柄のほうを向けて出せば、受け取った側はすぐ使える。この子は柄のほうを向けて渡した。二年、こちらがこの子から名前を受け取ってきたのも、その向きだ。

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