第35話「並び方が、そこだけ違った」
並び方が、そこだけ違った。
この町の行列は、たいてい流れている。人が来て、順に減って、また来る。仕事の口も、煮売り屋も、渡し場も、そういう並び方をする。
その店の前だけ、動いていなかった。落し蓋みたいに、沈んだまま動かない。
動かない行列というのは、二つのうちどちらかだ。出てくる物が少ないか、出てくるまでに時間がかかるか。どちらにしても、並んでいる側は動かないことを承知で来ている。
十日目の昼だった。川べりへ行って、この子の指す場所に並んで、その日も外れた。並ぶ場所を教わっても、選ぶのは向こうなので、教わったぶんだけ有利になるというものでもない。
帰りに通りを一本まちがえた。まちがえた先が、その店の前だった。
並んでいるのは七人か八人で、みんな座っていた。立って待つ気の無い並び方だ。膝に布を掛けている者、荷を枕にしている者、子供を抱えている者。抱えている子供は、目を開けていなかった。
座って待つ列は、立って待つ列より静かになる。立っているうちは、人はまだ次の用のことを考えている。座ってしまうと、今日はここで終わりだと体のほうが決める。
端に座っていた男に聞いた。
「これ、何の並びだい」
「順番だよ。あんた、今日来たのかい。見ない顔だ」
「今日通りかかった」
「なら無理だ。今日ぶんはもう締まってる。明日の朝、暗いうちから来な」
男は膝の上で指を組み直した。組み直す癖のある人は、待つのに慣れている。慣れているというのは、何度も来ているということだ。
「暗いうちってのは、どのくらい」
「鐘が鳴る前だな。おれは今日、二つ前の鐘で来た。それで七番目だ」
「何を待ってるんだい」
「灯りだよ」
こちらは、その一言をどう受け取るべきか、しばらく決めかねた。
灯りを待つ、という言い方がこの町にあること自体が、初めて聞く話だった。夜が長いのは知っている。油が高いのも、この目で値を聞いた。ただ、その二つの先に、並んで待つ列が出来ているとまでは思っていなかった。
「灯りを、待つ」
「ああ。あんた、よそから来たね。この町じゃ知らないやつはいないよ」
男の話は、途中から向こうが勝手に進めた。待つ人間は、待っているあいだ、誰かに喋りたい。喋る相手がよそ者だと、いちばん喋りやすい。明日も会う相手ではないからだ。
その店は、灯りを売っていた。
売り物としての灯りというのは、本来ならおかしな話だ。灯りは道具で、道具は買えば自分の家で使える。ここで売られているのは道具ではなく、その場で点けてもらうという一回ぶんの仕事だった。
油ではない。油を売る店は通りに三軒ある。この店が売るのは、油を食わない灯りだ。一晩、あるいは三晩、油も芯も要らずに保つ灯りを、その場で点けてくれる。
「一晩持つのが、銅貨十二枚。前は十枚だった。去年上がったよ」
「十二」
「三晩だと三十枚。そっちのほうが得だけど、三十枚まとめて出せる家は少ない」
「あんたは」
「おれは一晩ぶんだ。うちのが、夜に目を覚ますんでね。暗いと起き上がって、そのへんを歩く。歩くと転ぶ」
「そりゃ、灯りが要るね」
「要るんだよ。転んだって、継いでくれるとこも無いんだから。昔はあったらしいけどね」
声は、薬缶の口から出る湯気と同じで、細く長く続いた。この人は何度もこの数を口に出している。口に出すたびに、たぶん、出せる日と出せない日の勘定をしている。
油は一合で銅貨二枚だった。一合で何晩持つかは、家の使い方による。倹約して三晩なら、一晩あたり銅貨一枚と少しだ。
十二枚。
十倍近い。それでも、高いと言って帰る者は、この列に一人もいない。それでも人が並ぶのは、油の灯りが一晩もたないからだ。冬の長い夜、明け方まで灯りが要る家がある。病人がいる家、産の家、夜なべの仕事をする家。そういう家にとって、灯りは明るさではなく、人が起きていられる時間そのものだ。
油の灯りは、切れるときに前触れが無い。芯が食いきると、そこで暗くなる。暗くなった部屋で人が起き上がると、たいてい何かが起きる。
抱えられている子供は、まだ目を開けていない。抱えている女は、列が動かないのを承知しているらしく、一度も前を見なかった。前を見ない待ち方は、慣れた者のそれだ。
「あんたも要るのかい」
「いや。通りがかっただけでね」
「なら、そこ空けてくれるかい。うちの連れが来るんでね。並びは一人ぶんなんだ」
立った。
店は、通りに面した戸が一つだけ開いていて、中は茶碗を伏せた形に暗かった。暗いのは、灯りの店だからだ。明るくしてしまえば、点けたものが見えない。
中で、人が動いていた。
入口の脇に台がひとつ。その向こうに人が一人。奥にも人の気配があるが、出てこない。出てこない側に何があるのかは、外からは見えないようにしてある。
布を被せた台の向こうに、女がいる。歳はこちらより上で、袖をたくし上げていた。腕は細くて、指が長い。術士の手だ。
その人が指を組んだ。
組み方に迷いが無かった。二十年やってきた人間の組み方で、途中で確かめたり、直したりしない。一度で形になって、そこで止まった。
台の上の、小さい皿のようなものに、火が点いた。
油の匂いがしなかった。煙も出ない。火の大きさは指の先ほどしかないのに、台の上のものが一つずつ見分けられるくらいには明るかった。
こちらは戸の外に立っていた。立ったまま、動かなかった。動けなかったのではない。動く理由が、その場で一つも見つからなかった。
三年前、あれを世の中から抜き取ったのはこちらだ。抜いたあと、ネルバのどの町でも夜が長くなり、油の値が上がり、ザンドの一族が職を失って、その冬に凍えた。死んだ者の名を読み上げられたのは、去年の広場でのことだ。
その手が、いま、目の前で動いた。
迷いも、探りもなく。十二枚で。
買い戻す、という考えが、一瞬だけ頭に浮かんだ。浮かんで、すぐ消えた。
消えたのは、諦めたからではない。筋が通らないからだ。
買い戻してみたところで、この手が触れた時点で終わる。一度きり完璧に使えて、そのあと世界から無くなる。この店から取り返せるのは、わたし以外の全員だ。
わたしにだけ、それができない。
二年半、消してばかりいた人間にとって、これは妙な位置だった。世の中でいちばん多くの術を失くさせた者が、いちばん取り返せない側に立っている。順番としては、たぶん正しい。
店の女は、点けた灯りを客に渡していた。渡す動作は事務的で、礼を言われても、そのたびに同じ角度で頭を下げる。売り物を渡す人の動きだった。
悪いことをしている手つきではない。持っているものを、要る人に、値を決めて渡している。それだけのことだ。それだけのことが成り立つのは、ほかの誰にも出来なくなったからだった。
客が出てきたので、戸口から離れた。
離れるとき、中から声がした。次の客を呼ぶ声だ。
「〈長夜の灯しの手〉、一晩ぶん。銅貨十二枚、先にいただきます」




