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しまい手 ―― わたしが使った魔法は、世界から消える  作者: モリタ・ハク


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第21話「掛からない錠でも、錠は錠だよ」

荷は、この町へ来たときより重くなっていた。


 増えた中身は分かる。梁に置いていかれた木札を、結局は布に巻いて底へ入れた。あとは冬のあいだに拾った紐と、替えの布と、割れた椀の代わりの椀だ。どれも大した目方ではない。ただ、水を張った桶と同じで、持ち上げるより持ちつづけるほうがこたえる。


 持ち物は逃げられるぶんだけ、というのがこちらの決まりだった。決まりというのは、動けない冬をひとつ越すと、勝手に緩む。置く場所が一つできると、置いてある物のほうが増えていく。納屋の藁の隅に、こちらの物が積んであった形が残っていて、出るときにそこだけ色が違った。


 雪が締まったのは、鐘つき番が夜の番を減らして四日目だった。締まった雪の上は歩ける。歩けるようになった日の昼に、谷の口へ向かう荷車が出るという話が回った。冬のあいだ止まっていたものが動きだす順番は決まっていて、荷車がいちばん先で、そのあとに人が続く。


 冬を越した町は、痩せて見えた。薪は春まで届かないまま底をついて、どの家も昼のうちは火を落としている。落とすのではなく、燃やす物が無いから消えている。預かり所の貼り紙は角が剥がれて、下の紙の四角い跡と一緒に反り返っていた。預ける物が減ったからではない。番に払う銅貨のほうが、先に尽きただけだ。


「おばさん、出るの、明日?」


「明日だね。朝のうちに出る」


「じゃあ今日、買い物していい? 銅貨、使っていい? 二枚でいいから」


 この子は帯の内から布を出して、寝床の板の上に置いた。中身は動かさずに、布の上から押さえている。


「何を買う」


「火打ち石。いまの、端が欠けてて、角度が決まらないんだ。あと火口も。濡れてないやつ」


 止める言い分は、こちらに一つある。口に出せないほうの言い分でもある。


 この子はゆうべも、今朝も、火打ち石で火を熾した。手つきは日ごとに良くなる。石を当てる角度を自分で直して、三度目からは一度で火が乗った。そのあいだ、指を組むかたちを一度も作っていない。


 道具に銭を出すというのは、そういうことだ。自分の手でやると、この子が決めたのではない。決める手前のところが働かなくなって、道具のほうへ寄った。その差はこの子には見えない。見せてやる方法も、こちらには無い。


「行っといで。日の高いうちに戻りな」


「二枚だよ。三枚は使わないから」


「分かったよ」


 市の日ではないので、開いている店は坂の下に三軒だけだった。火打ち石が銅貨二枚、火口の束が一枚だったらしい。この子は帰ってきてから残りを布へ戻して、帯の内へ入れ直した。数える声は出さなかった。人前で数えるのはやめたのだろう。


 帰り道に、錠前屋の前を通った。


 主人は戸の外へ台を出して、店の物を並べていた。売っているのとは手つきが違う。並べて、拭いて、片づけるほうの手つきだ。焼いた腕は肘から先が桃色のまま固まっていて、物を取るのに左を先に出す。


「旅かい」


「谷のほうへ下りるよ。道が開いたっていうから」


「そうかい。こっちは畳むよ。錠の売れない町で錠前屋をやってても、油代が出ない」


 台には錠が十いくつ並んでいた。大きいのもあれば、指ほどのもある。どれにもきれいに油が引いてあった。畳む前に一つずつ手入れをした者の、油の乗り方だった。


「持ってきな」


 主人は中くらいのを一つ取って、こちらへ突き出した。受け取らないと、その手が引っ込まない格好だった。


「掛からないよ、それ」


「掛からない錠でも、錠は錠だよ。重石にはなるし、叩けば音も出る。旅なら音の出る物は一つ持っとくもんだ」


 受け取った。掌に載せると、思ったより冷たい。冬じゅう外の台に出ていた物の冷たさだ。


 礼は言われなかった。こちらが誰かも、この人には残っていない。火の夜にこの人を横の戸から出したのは、わたしの一度きりの手だ。この人のほうは、戸の側が焼け落ちて外れたと思っている。そう思ったままで、この先もこの人は困らない。


 主人は次の錠を布で拭きはじめた。話は済んでいる。済んだ相手にいつまでも立たれているのは、向こうにも迷惑だろう。焼けた側の壁は、まだ黒いまま立っていた。黒いところに油の匂いが残っていて、この人が片づけているのは店ではなく、あの夜のほうだと分かる。


 朝は、荷車のほうが先に出ていった。乗せてもらう話はつけていない。乗ればひと息で谷の口まで着くが、平らなところなら自分の足で行ける体に戻っている。戻った足で乗ってしまうと、次に歩けなくなったとき、乗るための言い分がもう一つ要る。肋は、寝返りの向きを選べば鳴らなくなった。右の二本はそのままで、これは戻る見込みが無い。戻す手はもう世に無いのだから、見込みの話をしても始まらない。


 町境の関には番が二人立っていた。雪のあるうちは、出る者の荷を一つずつ検める決まりなのだそうだ。掛かる錠の無い町は、出入りを人の目でしか見られない。


 一人がこちらの荷を、秤に載せるみたいな目つきで見た。


「中を」


 布を開いた。紐、布、椀、それから錠。錠のところで、番は少し笑った。


「持ち出しかい」


「もらったんだよ。坂の下の、腕を焼いた人から」


「ああ、あすこか。畳むんだってな」


「そう聞いた。油代が出ないんだと」


 もう一人が、底に巻いてある布へ顎をやった。開いて見せた。木札が出た。


 番は木札を取って、焼き印のところを親指でこすった。何も書いてはいない。この人は読めないほうらしく、印の形だけを見て、それで足りていた。読める者が関に立っていたら、木札はもう少し長く手の中にあったかもしれない。


「通していい」


「いいのかい。荷の中身も聞かないで。ずいぶん楽な番だね」


「その印のは通す。そう言われてる。誰に言われたのかは知らんよ」


 木札は戻ってきた。布に巻いて、また底へ入れた。錠は上のほうへ置いた。使わない鍋つかみと同じで、底へ入れると、要らないときにかぎって手に当たる。


 関を出ると、道は下りになった。


 両側の雪が高くて、道だけが一段低く続いている。少し行くと、町も坂も煙も、雪の壁の裏へ入ってしまう。音のほうはしばらく残った。鐘が一つ鳴って、そのあとは自分たちの足の音だけになった。


 この子は先を歩いている。荷は二つとも背負っていた。冬のうち、こちらの持てないぶんをずっとこの子が持っていた。歩く速さは、こちらに合わせて落としてある。落としているのを気づかせない落とし方が、いつのまにか上手くなっていた。


「ねえ、次のとこ、術の人いる?」


「いないだろうね。街道の脇に置いておけるほど、術の人は余ってない」


「じゃあ、火はどうすんの。冬なのに」


「打つんだろ。あんたと同じだよ。石と、乾いた火口があればいい」


「ふうん」


 歩きながら、この子は右の手袋をはめ直した。指の割れていない、口が一つだけのやつだ。左は素手で、そっちで胸の紐を握っている。


 前を行く背中を見ていて、紐の掛かっている位置が、秋よりも上にあるのに気がついた。

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