第17話「腕のいい人を探してるんだ」
銅貨は、重ねると音を立てる。立てないように置くには、一枚ずつ横へずらして並べるしかない。トトはそれを、わたしが見ていないと思ってやっている。
納屋の隅の、藁を寄せてある側だ。板の隙間から入る光が、ちょうどそこだけ床に線を引く。毎朝その線の上に並べて、並べ終わってから布へ戻すのが順番らしい。
「いくつあるか、聞かないんだね」
「聞いたら、減るのか」
「減らないけど」
この子は布の端を折って、膝の下へ押し込んだ。押し込んでから、いつもより長く手を置いたままにしていた。
冬のあいだ薪を割ると決めたのは、この子のほうから言い出したことだ。割り賃は日で出る。芋と塩を差し引いても、朝ごとに並べるぶんは残る。十二の子に払う額なので大した金ではないが、この町では薪を割る手のほうが足りていない。足りていない仕事は、値が下がらない。
「旅ってさ、金がいるよね」
「いるよ。乗せてもらうたびに、少しずつ」
「じゃあ、旅じゃないやつは。人を呼ぶのは」
わたしは藁を寄せ直した。直すほどのことでもない寄り方だった。
「呼ぶって、誰を」
「腕のいい人。おれ、探してるんだ」
この子は、母親のことを一度もこちらから話さない。話すのは、こういう手前のところだけだ。
水が出なくなった村に置いてきて、二年になる。二年前は、いま並べている銅貨の四分の一も無い子だった。何と言って村を出てきたのかは、こちらから聞いていない。聞けば、聞いたぶんだけ答えるほうも要る。
「腕のいい人ってのは、どこにいる」
「知らない。でも、いるって言う人はいるよ」
いる、と言う人はいる。この町でも、ハノでも、峠のこちら側でも同じだった。名前のほうは出てこない。出るのは、どこの誰から聞いたかだけだ。
人づてのほうは残る。噂は人から人へ移るが、指の順番は移らない。
「今日、市のとこで聞いてくる。荷車の人が来る日だから」
「行っておいで。日が暮れる前に戻れ」
止めるだけなら簡単だった。坂を下りるのは危ないとでも言えば、この子は今日は行かない。明日も行かない。そのうち、聞くのをやめる。
やめさせる手はこちらにあって、使わなかった。使えば、この子の二年ぶんが今日で終わる。
この子は行った。行くとき、布は膝の下から出して、腹のところに巻き直していった。腹に巻けば走れる。膝の下は、座っているあいだだけの置き場所だ。
置き場所を毎日変える子は、盗られたことのある子だ。二年のあいだに一度もそういう目に遭わせていないので、これは村にいたころの癖だろう。
わたしは納屋の戸を開けたままにして、外を見ていた。開けておくと寒いが、閉めても大して変わらない。この納屋の戸は、閉めたところで止まらないからだ。
坂の上は、夜になっても静かなままだ。戸を閉める音はある。そのあとに続いていた音のほうが、三晩来ていない。五晩目からは待つのをやめた。
日が傾くころ、この子が戻ってきた。走ってきたんだろう。
「二人、聞いた。一人は北の村。一人は川の下のほう」
「遠いな」
「遠いけど、川の下のほうなら、荷車が三日に一度出てる。おれ、頼めばたぶん乗せてもらえる」
「その人は、何を治した人だって」
「猟師の脚」
「脚のどこ」
「膝の下。折れたやつ。くっつかなかったのが、くっついたって」
折れたやつ、という言い方をした。
「それ、いつの話か聞いたか」
「去年って言ってた。なんで」
「別に」
脚の骨が折れて、去年のうちに治った人がいる。去年ならまだ、あれは世にあった。ハノで使ったのは夏の終わりで、猟師の脚とは順番が逆になる。
その人はいまも、去年と同じ手つきで人の脚を触るだろう。触って、去年と同じところで手が空く。空いたわけは、歳のせいにされる。
膝の下の骨は、くっつかないことのほうが多い。そういう脚は、たいてい杖と一緒に置いておかれる。置いておかれた脚が去年一本だけ立った、というのが、この子の聞いてきた話だ。
この子は膝をついて、腹の布をほどきはじめた。数える気だ。数えるのは、増えたときだけの癖だと思っていたが、そうでもないらしい。減っていないことを確かめるのにも数える。
市の日は、荷車が三台と、川下から来る売り手が二人。人の噂は、その二人が運んでくる。運んでくるだけで、確かめて帰る者はいない。
その人の名をこの町で出しても、たぶん誰も止めない。止められるのは、止め方を覚えている者だけだ。それができるのは、この世で一人だけになる。
言えば、この子は行かなくて済む。三日に一度の荷車を待たなくて済むし、川の下まで下りて、腕の落ちた人の前で銅貨を出さなくても済む。
言えば、そのあとにこの子が聞くのは、なんで知ってるの、だ。
答えれば、この子は自分が二年ぶん覚えてきた名前のうちの一つが、わたしの手で消えたことを知る。そして、その名前をもう思い出せないことにも気づく。
気づかせることは、たぶんできない。名前のほうは、もうこの子の中に無い。無いところへ言葉を置くやり方は、こちらにも無い。
できないことを理由にして黙るのは、卑怯という。二年やってきて、そこは分かっている。
「三十七」
この子が声に出した。
「昨日より二つ多い。あと、これは半分にならないやつだから、崩すと減る」
「崩すなよ」
「崩さないよ。おれ、崩すの下手だし」
この子は膝の上で布を畳み直した。畳み方は毎回同じで、角を合わせてから三つに折る。覚えたやり方を変えない子だ。
崩すのが下手なやつが、いちばん最後に崩す。旅の途中で何度か見た。崩したあとは、たいてい元の数を言わなくなる。そうなると、何を持っていたのかは誰にも分からない。
夕方、市から戻る人たちの声が坂を上っていった。誰かが、下の通りの焼けた店の話をしていた。棚の下から二段目にあったものの持ち主が決まらず、まだ揉めているらしい。主人は腕を焼いたきり、店の前には出てこない。
燃えたものの持ち主は分かる。書いてあったものは焼けても、預けた本人が覚えているからだ。木札が無くても、話し合いは成り立つ。
持ち主の頭に残っているものは、揉めることができる。揉めているうちは、無くなったことにはならない。誰も揉めないものだけが、静かに減っていく。
「おれさ」
「なんだ」
「川の下のほう、行ってみてもいい? 三日ぶんだけ。おばさんはここにいて。おれ一人で行く」
行けとも行くなとも言わずにおいた。返事をしないのは、断ったのと同じではない。同じではないと自分に言えるあいだは、まだ黙っていられる。二年、その線の上を歩いてきた。
この子は返事を待たずに、また銅貨を並べはじめた。数える声は、床の線の上で一枚ずつ止まる。
「一、二、三」




