3、ロッカーの向こう側
遥斗は狭い穴に体を押し込んだ。
背後で放送が続く。
『出席番号、〇三番……』
「う……あ……ッ」
焼けるような喉を押さえ、遥斗は這い進んだ。
砕けたコンクリートの角が肩を切り裂く。
痛みより恐怖が勝った。
『——内海 遥斗。』
自分の名前が呼ばれた。
遥斗は必死に穴の奥へ進んだ。
口の中にコンクリート片が入り、歯がジャリジャリ鳴る。
目も開けられない。
やがて穴が広くなり、手が冷たいタイルの床に触れた。
遥斗は這い出した。
教卓の下だった。
(消えてない……!)
体はまだ残っていた。
見回すと、そこは見覚えのある教室だった。
旧校舎。二年A組。
元の教室に戻っていた。
ただし机はぐちゃぐちゃに積み上げられ、壁には法則を探ろうとしたらしい番号が黒いペンキで殴り書きされている。
汗と恐怖の臭いが充満していた。
部屋の隅に、一人の人間がいた。
黄色い髪にピアス。
膝を抱えて壁に背中を押しつけている。
(……田中?)
田中が顔を上げた。
目が腫れ、黒いクマができ、無精髭が生えている。
遥斗を見て、目を見開いた。
「……内海」
初めて名前で呼ばれた。
かつて「ゴミ」としか呼んだことのなかった男が、掠れた声で言った。
「内海、助けてくれ……」
田中が這うように近づいてくる。
手を伸ばす。
遥斗は無意識に後ろへ下がった。
伸ばされた手を、払いのけた。
田中の顔に驚きが広がる。
(ああ……ゴミを見る目って、こういう顔だったのか)
遥斗は冷たく見下ろしていた。
その時、スピーカーからノイズが響いた。
田中のフルネームが呼ばれる。
彼の表情が大きく歪み、人間とは思えない形に引き伸ばされた。
次の瞬間、田中は消えた。
床に残ったのは、彼が這った手の跡だけ。
遥斗はしばらくその場に立っていた。
この教室は、先ほどより時間が進んでいるようだった。
掃除当番の名前は擦り切れ、花瓶の水は干上がり、花は枯れていた。
たった数メートルの穴をくぐっただけで、ここでは遥斗の時間を追い越していた。
その時、教室の扉が音もなく開いた。
(出られる?)
遥斗は一度だけ田中のいた場所を振り返り、ゆっくりと扉の方へ歩き出した。




