もしかしなくても、婚姻契約だったのか!
え、泣いてる……?
ジョシュア様優し過ぎない……?
と思った僕の目の前で、ジョシュア様はクスクスと笑い出した。
「ふふ……、あははははっ」
ジョシュア様はひとしきり笑ってから、スッキリした顔で僕達を見渡した。
「最後にこんな楽しい気持ちになるとは思わなかった。皆、ありがとう」
最後って……?
「ぅ……ぅ……ジョシュア様ぁ……」
エトさんがボロボロと泣き出した。
「ヴェルデ!」
オーロの怒鳴り声に僕は振り返る。
どうやら、契約主であるビリデクトが消えた事でオーロが竜から人になれない契約が破棄されたみたいだ。
「この考えなしが! なんてことをするんだ! 契約が破棄できなくなっただろう!」
「どういうこと?」
僕の疑問に答えてくれたのはジョシュア様だった。
「私には兄に背かないための契約がいくつかかかっていて、兄が亡くなれば私も亡くなるようになっているんだ」
「は? え? マジで!?」
叫んだヴェルデをオーロが「だからお前の行動は考えが足りんと言うんだ!」と叱っている。
僕はジョシュア様の優しい空色の瞳を見上げて尋ねた。
「……じゃあ、ジョシュア様は……亡くなってしまうんですか……?」
「残念だけれどね……。でもいいんだよ、リヨやエト、別邸の皆も無事だったと聞いたからね。私は今とても嬉しい気持ちなんだ」
ジョシュア様はそう言って、僕の頭を優しく撫でて慰めてくれた。
死んでしまうのはジョシュア様なのに、どうしてそんなに優しいままなんだろう。
ああ、ジョシュア様はもうあの時既に、死ぬ覚悟をしてしまったからなのかもしれないな……。
……僕のせいで……。
「そんな顔をしないでおくれ、リヨ、良ければ今日は一日私と過ごしてくれないか?」
「今日一日……ですか?」
「ああ、私は明日の朝日と共にこの世を去るはずだからね」
「どうして……そんなに、時差が……?」
僕はもう、今すぐにでもジョシュア様が死んでしまうのかと……。
「ふふ、兄上いわく、死を前にして兄上を守れなかった事を悔やみながら、迫る朝日に怯えるための時間らしいよ?」
答えるジョシュア様はとっても楽しそうだ。
「今回ばかりは兄上の性格に感謝しなくてはいけないね。最後のひと時を愛する者達と心穏やかに過ごせるなんて、とても嬉しいよ」
ふわりと微笑んだジョシュア様は、今までのどこか陰のある表情と違って、本当に幸せそうだ。
そのキラキラ輝く金髪と空色の瞳が美し過ぎて、思わずうっとり見惚れてしまう。
「そんだけ時間があんなら楽勝じゃん!」
そう言ったのはヴェルデだった。
「ジョシュア、俺かオーロアデルとちょっと重めの契約しよーぜ? 嫌ならすぐ破棄したらいいしさ」
「ジョシュア様にあまり馴れ馴れしくなさらないでいただきたい!」
エトさんに注意されて、ヴェルデが「えー、いーじゃん」と答える。
ヴェルデってこんな感じの人だったんだなぁ……。
なんかもっと、忠犬っぽいイメージだったんだけど。
いや、そうでもないか……?
しばらく黙って考えていた様子のジョシュア様が、躊躇うように口を開く。
「……だが、それでは、君達に離婚歴が付いてしまうだろう……?」
「へ? そんなことまで知ってんのか?」
離婚歴……?
ってことは、今ジョシュア様って結婚しようって言われてたのか?
重めの契約って、まさか、婚姻契約……って事……!?
そういえば、前にオーロが僕に持ちかけてたよな……?
僕にかけられた契約を破棄するには……って、良くも悪くもフェアな感じの重そうな契約を……。
あれが、もしかして……いや、もしかしなくても、婚姻契約だったのか!!
「ジョシュアのお母さんって何者だ……? 名前聞いたら意外と知ってる人だったりするかも……? あ、いや今はいいぞ、先に話をつけようなっ」
ヴェルデが何やら言っている間に、オーロがジョシュア様の前にスッと膝をついた。
オーロは体格も姿勢も良いのに所作も綺麗で、こういう仕草が本当にかっこいい。
……って、待って!?
オーロは何を……。いや、なんとなくわかったけど……。
そのポーズ、僕にしかしないのかと思ってたけど……、そっか、違うんだな……。
「私は離婚歴など構わない。貴方には命を助けられた恩もある。必要とあらば応えよう」
オーロは自身の胸に手を当てたポーズでそう言った。
あ。ジョシュア様の手は取らないんだ。
よかった……。
って、なんで僕は今『よかった』って思ったんだ!?
別にオーロは僕の物でもなんでもないのに。
うーん……ダメだな。
僕は最近ちょっと、オーロに頼り過ぎてたかも知れない。
相手が好きだって言ってくれたからって、僕はまだ何も返事をしてないのに。
好意に甘えて、寄りかかって、こんなのは失礼だよな。
もっと気をつけようっと……。
ちゃんと、適切な距離を取れるように……。
「ええ〜!? オーロアデルは俺より立場的にヤベーだろ? それに俺だったらやっぱヤだなぁ、離婚歴とかさ」
ヴェルデが顔を顰めてそう言って、両手を首の後ろで組む。
オーロはそんなヴェルデをジロリと睨んで言った。
「嫌ならすぐ破棄したらいいと言ったのは、お前だろうが」
「嫌なら、だろ? 俺ならぜってージョシュアの事幸せにするし、離婚になんかならねーって」
ひらひらと手を振って答えたヴェルデが、ジョシュア様の肩をグイッと引き寄せる。
「なージョシュア、俺の方がいーだろ? 俺なら火も吐けるしさー、回復魔法もうまいし、もう一生ジョシュアに痛い思いさせねーからさ?」
ジョシュア様より背の高いヴェルデが、ジョシュア様をのぞき込むようにして顔を近づける。
ヴェルデの緑色の瞳が、ジョシュア様の空色の瞳をじっと見つめた。
軽い調子の声とは裏腹に、その瞳は優しく、まっすぐだ。
エトさんが両手をわなわなと戦慄かせ、真っ赤になって怒りだした。
「あ、あ……、貴方は軽過ぎますっ! ジョシュア様の伴侶には相応しくありませんっ!」
ヴェルデを引き離そうと掴みかかるエトさんを、ヴェルデは器用にジョシュア様の肩を抱いたまま、くるりくるりとかわしている。
なんだか踊ってるみたいだな。
「あはは、たのしーな、ジョシュア」
ヴェルデはケラケラ笑ってるけど、大丈夫なんだろうか。
あれ、ジョシュア様のお顔が……。
じわじわと頬を赤くしてゆくジョシュア様が、耳まで真っ赤になったあたりで、ぐるんと向きを変えた。
それだと、ヴェルデと抱き合ってるみたいになってるんだけど、いいのかな。
顔を隠すことには成功してるけど……。
「ん? うん、うん……。ん、いーよ。任せな」
ジョシュア様に何か囁かれているのか、答えるヴェルデの声がどこか甘く聞こえる。
なんだか恋人同士みたいだ。
あんな感じでヒソヒソ話すカップルを、夜に駅の改札前を通るとちょこちょこ見かけたな。
なんて、遠い記憶がぼんやりと蘇る。
ヴェルデは僕達に「んじゃ、俺らちょっと二人で話し合ってくっから。夜まで戻んなかったら、心配しねーで先寝てろよ」と言い残すと、サッと竜の姿になってジョシュア様を抱き抱えたまま飛び立った。
突然のことにポカンとした顔をしたエトさんが、次の瞬間にはカッと怒りに染まる。
「……こ、こらぁぁぁぁぁぁぁ!! そこの赤いの!! 戻ってきなさぁぁぁぁぁい!!」
空に向かって両腕を突き上げて叫んでいるエトさんが、なんだかちょっと可哀想になってきた。
ヴェルデの肩越しにこちらを振り返ったジョシュア様が、ごめんなさい、みたいな仕草をする。
でもジョシュア様の顔は申し訳なさそうというよりも、イタズラをしようとしているところを叱られた子どもみたいな顔だ。
どこか楽しそうなその表情に、僕はなんだかすごく嬉しくなってしまった。
わあわあと空に向かって叫び続けるエトさんには、ちょっと申し訳ないけど。
僕は、隣で眩しそうに目を細めて空を見上げていたオーロに尋ねてみる。
「オーロ、ジョシュア様は大丈夫だと思う?」
オーロは小さく笑って答えた。
「そうだな、あいつならうまくやるだろう」




