舐めていいとは言ってないよ!?
僕が五年を過ごした屋敷の部屋は、何ひとつ変わっていなかった。
僕がいなくなっても、次の異界人の為に毎日掃除がされていたらしく、埃っぽさもなく、ただただ今まで通りだった。
あ、でも今日椅子がひとつ増えた。
オーロのための椅子だ。
オーロには専用の部屋を設けようとエトさんが言ってくれたんだけど、オーロは僕と一緒の部屋がいいと言った。
ベッドも運び込もうとするエトさんに、オーロは首を振った。
床で寝るから大丈夫だと。
……なんで?
エトさんもちょっとだけ解せぬみたいな顔をしていたけど、別邸でもオーロは椅子や床で寝ていたので、種族的なものかな……って感じで見逃してくれた。
せっかく広いベッドをくれるって言われたんだから、貰えばいいのに。
まあ確かに手間ではあるけど、それでもオーロが運べばすぐなんじゃないかな?
オーロならベッドくらい一人で持ち上げられる気がする。
僕のベッドは僕が大の字で寝ても余るくらいに広いから、オーロと一緒でもいいんだけどな。
……そう思ってしまうのは、僕がオーロのことを意識してないからだろうか。
オーロにとっては結婚したいくらい好きな人なんだから、一緒に寝ようかなんて、気軽に誘うのは失礼なのかな。
あー……、わかんないな。
どうしてオーロは僕が好きなんだろう。
あんなになんでもできて、強くて頭も良くて、立派でかっこいい人が、だよ?
どうして僕みたいに何も……いや、魔力が多いっていう体質的なものはあるけど、それ以外に何もないような僕のことを好きになったのかが、いまだによく分からない。
そもそも、僕は誰かを恋愛的な意味で好きになった事がないから、そこからしてよく分からないんだよな……。
誰かを好きになるって、どんな気持ちなんだろう。
そんなことを考えながら、僕はベッドに寝転んで窓の外に輝く星を眺めていた。
この時間になっても、ジョシュア様はまだ帰っていないみたいだ。
夕食の時もエトさんはまだぷんぷん怒っていた。
あ、窓の真ん中に、ちょうど『走るクロ』の星座が見える。
僕は、長い長い夜をひとりで乗り切るために、よくこんな風に星を繋いでは勝手に星座を作っていた。
クロの星座は季節ごとにいくつも作っていたので、どの時期でも天気の良い日には僕の作ったクロの星座のどれかが見えた。
可愛いクロの姿を思い浮かべると、胸がほわんと温まる。
不意に空が見えなくなった。
僕の視界には、少しだけ心配そうな顔をしたオーロが映っている。
「リョクト、じっとしていては寒いだろう、布団に入った方が良い」
低い落ち着いた声が、僕に優しくかけられる。
オーロは相変わらず僕のことをよく心配してくれる。
それはとても嬉しいし、ありがたい。
オーロと離れると寂しいし、そばにいてくれると安心する。
でもこの気持ちは、仲の良い友達に対して思う物と同じだと思うんだよなぁ……。
僕を覗き込むオーロの金の瞳は、暗い部屋の中でも光を集めて淡く光っているように見えた。
この綺麗な瞳がたったひとつしかないのが、すごく残念だ。
うん……?
オーロの右目は、怪我で見えないんだよね……?
僕はベッドの上に起き上がる。
「リョクト、どうかしたのか……?」
オーロはそう言って心配そうにベッドの脇に膝をついた。
「オーロは、クロなの……?」
オーロの表情がこわばる。
じわりと僕から視線が外される。
僕がじっと返事を待っていると、オーロは息を吐くように小さな声で「……そうだ」と答えた。
「黙っていて、すまなかった……」
辛そうなオーロに僕は首を振る。
「ううん、責めてるわけじゃないんだ。僕、どうしてオーロが僕にクロだって言わなかったのか、考えたんだけど……」
僕はベッドの端に寄って、オーロにゆっくり手を伸ばす。
オーロは僕の指がオーロの右目の傷に触れても、逃げないでいてくれた。
「この、目の傷のせい?」
オーロはちょっとだけ眉を顰めただけで、答えはない。
「オーロの怪我は、この屋敷を出る時につけられたものなんだね?」
オーロの目の傷を指でそうっと辿る。
斜めに大きく抉られた傷痕は、今日いくつも治した矢傷と同じ形をしていた。
僕は心を込めて、魔力でその傷を包み込む。
「リョクト……」
「古い傷だからって、治らないとは限らないかと思って……」
あの頃のクロは大きな金色の瞳をどちらもキラキラさせて僕を見つめていたのに。
それが僕のせいで失われたなんて、絶対に許せない。
古傷は、僕が魔力で包んでも微動だにしない。
「リョクト、もういい」
「もう少しだけ……」
僕は祈りを込めて、魔力を強く強く、強く注ぐ。
どうかどうか、オーロの目が治りますように。
僕は、この美しい金色の瞳が二つ並んでいるところを見たいんだ……。
頼むよ僕の魔力、僕にはこれしか取り柄がないんだから、もう少しだけ頑張ってくれよ……。
僕の祈りが届いたのか、オーロの古傷がついに少しずつその形を変え始める。
頑張れ頑張れ!!
僕は心の中で声援を送りつつ、全身の魔力を掌に、オーロの瞳に集める。
「……リョクト……」
オーロの声に驚きが滲んでいる。
それがなんだか嬉しくて、誇らしい。
ぱち、と閉じたままだったオーロの右側の瞳が瞬く。
そこから、待ち望んでいた金色が覗く。
歓喜と共に見つめたその瞳は、けれど何も映していないように虚ろだった。
……ダメなのか……。
急に全身から力が抜けて、ぐらりと体が傾ぐ。
手は出せそうにない。
それでも怖くはなかった。
オーロの方へ倒れかかった僕の体は、やっぱりオーロが優しく受け止めてくれた。
「リョクト……、あまり無理をしないでくれ」
「……無理しても、オーロの目が治せるなら、よかったのに……」
そう言った自分の声は、情けなく震えていた。
これは、僕にできる唯一のことだったのに。
それすらままならないなんて……、自分の無力さに、本当に腹が立つ。
「傷自体は消えている。こんな古い傷が治せるなんて、私は聞いたことがない。リョクトは素晴らしい力を持っている」
「……でも……」
でも、治せなかった……。
オーロの視界は、これからもずっと、半分のままだ……。
悔しくて悔しくて、涙が零れた。
こんなことで泣いてしまうのがまた情けなくて、今すぐどこかに隠れてしまいたいのに、僕はまだふらふらで立ち上がる気力もない。
「泣かないでくれリョクト。貴方がそんな思いをする必要は、どこにもない」
オーロの声が本当に辛そうで、僕はようやく分かった。
オーロが僕にクロだと言わなかったのは、僕をこんな気持ちにさせたくなかったからだ。
それなのに、僕は……。
オーロは僕の体をそうっと布団に寝かせて、肩までしっかり布団をかける。
僕はなかなか涙が止まらなくて、オーロはそんな僕の涙をずっと拭ってくれる。
なんだか申し訳ないな、と思っていたら、オーロが小さく苦笑した。
「……実は、リョクトがヴェルデにだけ涙を許していたのが、羨ましかったんだ……」
「え……?」
「だから、今は……不謹慎なのだが、嬉しいと思っている……」
えええ?
どういうこと……?
「いや、すまない。リョクトは今体が動かないだけで、私には見せたくないのかもしれないな。早合点だった……だろうか……」
途端に、オーロがしゅんと小さくなってしまう。
恥ずかしそうで、ちょっと悔しそうなその様子に、僕がなんとかしなきゃいけない気がして慌てた。
「い、いや、いいよ。僕は、えっと、オーロにも許すよっ!」
……何を?
自分で言いながら、よく分からないことを言っているな、なんて思っていると、オーロが両目を大きく開く。
「本当か!?」
その思った以上の勢いに押されて、まだ少ししか動かない首を縦に振って「うん」と答える。
途端、オーロの顔が近づいてきて、僕の目尻がペロンと舐められた。
…………待って……!?
舐めていいとは言ってないよ!?
え、言ったの!?
僕の今のは、舐めていいよって事だったの!?!?
混乱する僕をおいて、オーロはベッドに膝立ちで上がると僕のもう片方の目尻もペロンと舐める。
うわ、オーロが……すごい嬉しそうだ……。
尻尾が生えてたら絶対ぶんぶん振ってただろうなと思えるその上機嫌ぶりに、いまさら「舐められるなんて思ってませんでした」とは言い切れず、僕は言葉を呑み込んだ。
幸い、驚いたおかげで涙はすっかりひっこんで、それ以上舐められることはなかった。
……オーロはちょっと残念そうだったけど。




