よろしくお願いします
熱が下がってさらに三日経った頃、ジョシュア様が呼んでくださったお医者様に全快の診断をいただいて、僕はようやく宿を出た。
ジョシュア様が手配してくださった馬車は、外側こそ質素だったけど、中にはフカフカのクッションが張られていて快適だった。
ジョシュア様にはあれから一度も顔を合わせていないけど、代わりにいつもジョシュア様の後ろにいた侍従さんがずっと僕の様子を見てくれていた。
「あの……、僕、ジョシュア様のご厚意に甘えても、良いでしょうか……」
熱が下がった僕の言葉に、ジョシュア様の侍従のエトさんは飛び跳ねんばかりに喜んだ。
エトさんは、茶色い髪を短くしていておでこがつるんと全部見えている、細身だけど長身のひょろっとした感じの人だ。
僕よりは背が高いけど、ジョシュア様よりは低い。
お屋敷ではいつもツンとすました顔しか見たことがなかったけど、笑うとニカっと人懐っこい顔をするんだと、この数日で初めて知った。
エトさんは、馬車の中でも延々、ジョシュア様がどんなに僕が来るのが楽しみだったのかという話をしていた。
僕が美味しいと言った紅茶とお菓子を用意してあるとか、僕が綺麗だと言った花を植えてあるとか、僕の部屋は家具まで全部ジョシュア様が選んだのだとか、そんな話を延々聞かされて、僕はついに尋ねた。
「あの……ジョシュア様って僕の事、その……、利用……したいから、優しくしてたんじゃないんですか……?」
口にするだけで、胃がひっくり返りそうだった。
込み上げる嘔吐感を押さえつけながら、なんとか尋ねると、エトさんは信じられないみたいな悲壮な顔をして、それから怒りだした。
「一体誰がそんなことを吹き込んだんですか!?」
「いえ、その……本人が……」
「リヨ様を実の弟のように大事に思ってらっしゃるジョシュア様が、そんな事をおっしゃるはずがないじゃないですか!!」
すごい剣幕で怒鳴り返されて、僕の方が驚く。
「声が大きい」
オーロが僕の隣でそう言うと、エトさんはハッとした顔をして「し、失礼しました……」と謝罪した。
「その……、僕、庭でジョシュア様とお兄さんらしき人が話しているのを聞いてしまったんです……」
僕の言葉にエトさんが「ぁあああぁぁぁなるほど……」と呻きながら両手で頭を抱え込んだ。
エトさんいわく、ジョシュア様はお兄さんとは腹違いの兄弟で、生まれた頃からお兄さんに延々と嫌がらせをされ続けているんだそうだ。
それでもジョシュア様が実家を出なかったのは、僕や他の異界人を見捨てられなかったからだとエトさんは教えてくれた。
「私の口から理由は申し上げられませんが、ジョシュア様はどうしてもご長男のビリデクト様に逆らう事ができないのです……」
そう、なんだ……。
僕は五年もあのお屋敷にいたけれど、そんなことは全く知らないままだった。
「そのような事があったのでしたら、ジョシュア様を信じられなくなるお気持ちも理解できますが……、それでも、私達ジョシュア様に仕える一同はジョシュア様のお心通りリヨ様に尽くさせていただきますので、今後もリヨ様がご不安に思う事がありましたら何なりとお申し付けくださいね」
そう言って、エトさんはにっこりと笑ってくれた。
くりくりとしたツリ目にスッと細く垂れた眉が、なんだか可愛い。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
僕はそう答えて、微笑み返した。
心の中で、僕は必死にあの時の会話を再現する。
なるべく正確に。
そうすると確かに、ジョシュア様は頷くばかりだった気がする。
酷い事を言っていたのはほぼ全部お兄さんだ。
それどころかお兄さんはジョシュア様にも『顔くらいしか使い道がない』とか『屋敷を追い出されたくなければ』とか酷いことを言っていた気がする。
ああ、本当だ……。
エトさんの言う通りだ。
ジョシュア様は、僕を悪く言ってはいなかったんだ……。
それなのに、僕はたったあれだけの会話で、ジョシュア様に騙されていたんだと思い込んだ。
こんなに、僕に何年も優しくし続けてくれていた人を、あんなに簡単に疑ってしまったなんて……。
グッと握り締めた両手に力を込める。
それでも、滲む視界は止められなかった。
「キュウン」とヴェルデが鳴いて、僕の膝に上がってくる。
「ヴェルデ……」名前を呼んだ自分の声は、情けなく震えていた。
膝の上のヴェルデを抱き締めると、ヴェルデは僕の涙を拭うようにペロペロと舐めてくれた。
「……ありがとう」
「リヨ様……よろしければこちらをお使いください」
エトさんがそっと差し出してくれたのは綺麗なハンカチだった。
「ごめん、なさい……、エトさんの言うとおりでした……僕はジョシュア様に騙されてたわけじゃなかった……」
泣きながら溢した僕の言葉に、エトさんはハッキリ言った。
「いいえ、それは違います」
「え……?」
「ジョシュア様は確かに、異界人の皆さんを騙しているのです。ジョシュア様の事が信用できないようでしたら、ジョシュア様が顔を出されない邸宅もご用意できますので、お申し付けください」
エトさんの顔は、笑っているのにどこか痛そうで、なんだかチグハグな印象を受ける。
「……そう言えと、言われているのか」
ポツリと言ったのはオーロだった。
エトさんの肩が小さく揺れる。
「あの男の言いそうな事だ」
オーロはそう言い捨てると、窓の外に視線を投げた。
これ以上口を挟むつもりはないようだ。
「……そうなんですか?」
僕はエトさんに尋ねた。
だって、エトさんは僕が別邸に行くのをあんなに喜んでいたのに、急にこんなことを言い出すなんて、やっぱりおかしいよ。
「……はい。ジョシュア様は異界人の皆さんを騙していると、認めていらっしゃいます。引き取られた異界人の皆さんに尋ねられたら必ずそう答えるようにと言われているのです。……ですが、ジョシュア様は皆さんを騙し続ける事に、ずっとお心を痛めていらっしゃいます……」
なんだか話を聞けば聞くほどに、ジョシュア様が被害者に思えてきてしまう。
騙したくもないのに人を騙して、お兄さんはあんなに楽しそうに笑っていたのに、その隣でひとりだけ傷付いて。
異界人もまた、自分の意思に関係なく巻き込まれた被害者だ。
じゃあ、加害者は誰なんだろう。
「あの、異界人はどうしてこの世界に来るんですか?」
残念ながら、僕の質問の答えを知る者はこの馬車にはいなかった。
別邸に着くと、お屋敷の使用人らしき皆さんが沢山出てきて並んでくれていた。
嬉しさがどことなく漏れ出ている表情に、僕の事を本当に待っていてくれたんだと実感してしまう。
家令のワドナーさんが挨拶をしてくれて、僕も挨拶を返す。
皆さんに「森川緑斗です」と挨拶をして、緑斗と呼んでくれるように伝えてみるも、この世界の人たちはやっぱり『りょく』の部分が発音できないらしい。
ロトやロットになってしまうのを聞いて、リとヨまで聞き取ってくれたジョシュア様はよほど丁寧に僕の言葉を聞いてくれていたんだなと、今更ながら感動してしまった。
次にジョシュア様が別邸に来てくれたら、これまでのことを謝ろう。
疑ってごめんなさいと謝って、今までありがとうって、ちゃんと感謝の気持ちを伝えたい。
別邸の皆さんは本当に僕によくしてくれて、庭師の方もメイドさん達も、本当にたくさん話しかけてくれた。
ジョシュア様が、僕がずっと寂しい思いをしていたからって、来たらいっぱい話しかけてくれるように頼んでいたのだと、エトさんがこっそり教えてくれた。
字を覚えたがっていた僕のためにと、別邸には家庭教師の方も呼ばれていた。
別邸ではオーロやヴェルデの事も僕と同じように扱ってもらえて、ヴェルデなんかは毎日中庭でお屋敷の使用人の子供達とキャアキャア追いかけっこをして過ごしている。
「……ヴェルデはまだ儀式を終わらせに行かなくていいの? 僕はもう大丈夫だよ?」
中庭にごろんとお腹を出して寝転んでいたヴェルデに声をかけると、ヴェルデは顔を上げて、僕とは違う方向を見つめて「キューン……」と細く鳴いた。
なんだろう。
あっちは……お屋敷がある方向だっけ?
「そいつは、あの貴族次男が心配なんだそうだ」
オーロが説明してくれる。
「ジョシュア様が……?」
「全く、お節介焼きな竜だ。まずは自分のやるべきことをやってからにしろと言っているのに……」
そう言うオーロも、もうここにいる必要はないんじゃないかなと思うんだけど。
でも、そう言って「じゃあ帰る」なんて帰られてしまったらと思うと、想像だけで無性に寂しくて、僕はずっと聞けずにいた。
オーロはどうしてまだここにいるの? と。
ジョシュア様がようやくこの別邸に来るらしいと聞いたのは、それから数日後だった。




