……本当に……?
ふかふかした温かいものに包まれている。
ああ、気持ちいいな。
布団の中だろうか。
ここは……?
目を覚ました時、僕は見知らぬ部屋にいた。
そうだ、オーロが宿に連れて行ってくれるって言ってた……。
窓の外は、もう夕暮れだ。
僕はあれから半日眠っていたのか……。
視線を動かすと、僕のベッドの脇で、僕の手を握ったままベッドの端に顔を乗せて眠っている人がいた。
「ジョシュア様……?」
あれ、今、僕……声が……?
キラキラの金髪がぴくりと揺れて、顔を上げる。
優しい空色の瞳が、僕を見てゆるりと潤んだ。
「ああ、リヨ……気付いてよかった……」
ジョシュア様の目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。
……心配してくれていたんだ。
そう嬉しく思う気持ちと、それすらも演技なんだろうかと疑う気持ちが胸の中で入り混じる。
あれ、えっと、ここはお屋敷ではない、よな?
オーロは!?
慌てて起き上がって辺りを見回せば、オーロは僕の足元の方で壁に背を預けて立っていた。
ジョシュア様の隣にはヴェルデもいて、僕と目が合うと「ガウ」と言って笑ってくれた。
「あの、ここは……」
「リヨが熱を出していたから、近くの町で宿を借りている。まだ今は体が弱っているので、無理に移動しない方がいいだろう。このまま元気になるまでこの宿を使っておくれ」
「あ、ありがとう、ございます……。あの、ジョシュア様、お仕事は……?」
ジョシュア様はくしゃっと顔を顰めてから、苦笑する。
「放り出してきてしまった。……兄には、叱られるだろうな……」
言葉の終わりが小さく揺れて、ジョシュア様はぶるりと身を震わせた。
お兄さんはそんなに怖い人なんだろうか。
そういえばあの庭での会話でも、ジョシュア様はお兄さんに逆らえそうにない雰囲気だったよな。
「キューン」とヴェルデが慰めるように鳴いて、ジョシュア様の足元に擦り寄る。
ん? いつの間にヴェルデはジョシュア様に懐いたんだろう。
「辛い思いをさせてすまなかった。まさか馬車があんな事故に遭うなんて思いもしなかった。リヨに何かあったらと思うと……、夜も眠れなかった……」
そう告げるジョシュア様の手が震えていて、僕は思わずもう片方の手でジョシュア様の手を包み込んだ。
「リヨ……。私が守ると、約束したのに……」
それは、僕を拾ってくれたジョシュア様が最初に交わしてくれた約束だ。
ジョシュア様はそれを、ずっと覚えていてくれたのか……。
「リヨを私の別邸に送るつもりだったんだ。本邸程の食事や部屋は用意出来ないが、そこでならリヨの知りたがっていたことを教える事もできる。使用人達も多くはないが、私の信頼できる者達だ。これでようやく、リヨに寂しそうな顔をさせずに済むと思っていたのに……」
ジョシュア様は僕が寂しがっていたのを知っていた……?
そうならないように、しようとしてくれていた……?
「……本当……ですか……?」
僕の言葉に、ジョシュア様は「本当だよ」とまっすぐ答えてくれた。
ジョシュア様の言葉が本当なら……あの時の言葉は……?
あの夜に聞いた言葉達が、僕の心をぐるぐるとかき混ぜる。
……ダメだ、どうしても信じきれない……。
優しい眼差しもその声も、嘘じゃないと感じるのに。
彼を信じたいと、思っているのに……どうして……。
「私の言葉が信じられないなら無理にとは言わない。リヨの体調が戻るまではこの宿を借りているから、ゆっくり考えてみてもらえないか?」
そう言ったジョシュア様の微笑みは、なんだか今にも壊れてしまいそうだった。
僕に疑われて傷ついているんだ。
それが分かったのに、僕にはかける言葉が見つからない。
ジョシュア様を悲しませたいわけじゃないのに。
どうして僕を騙していたのか、ずっと信じていたのに、という思いがいつまでも僕の中で燻っていて、消えない……。
不意に扉がノックされて見知らぬ男が顔を出す。
続いて、その人の応対をしていたジョシュア様の侍従がこちらにやってくるとジョシュア様に何やら耳打ちした。
「何……?」
ジョシュア様の表情が暗く沈む。
「それはまずいな……」
小さく呟いたジョシュア様の言葉は、僕には聞き取れない。
ヴェルデには聞こえただろうか、と隣を見れば、ヴェルデは酷く真剣な顔をしてジョシュア様を見つめていた。
「リヨ、私がいいと言うまではこの部屋から出ないでほしい。……いつも閉じ込めてばかりですまない」
そう言い残して、ジョシュア様は部屋を出て行ってしまった。
パタン、と閉まった扉。
しん、と静まり返った部屋に、ジョシュア様と侍従達の遠ざかる足音が聞こえる。
途端に寂しさが胸に溢れてきて、溺れそうな錯覚に陥る。
僕は自分が部屋でひとりじゃないことを確かめるようにオーロを探した。
オーロはまっすぐ僕に近づくと、僕のベッド脇の椅子に腰かける。
それだけで僕は、息ができるような気がした。
「オーロ……さん……」
そうだ、僕はこの人の名前を呼ぶのは初めてだ。
悩みながらも『さん』をつけたらオーロは「呼び捨てでいい」と答えた。
そんなの無理です。
僕より年上の強面のお兄さんを、呼び捨てなんて僕にはできません。
「あの男の言葉を信じるのか……?」
静かに尋ねられて、僕は答えを探すものの、……見つけきれずに俯く。
「……分かりません……」
でも、それでも、信じたいと思ってしまう。
なのに、どうしても、信じられない……。
「キャンキャンッ! ガウッ!」
ヴェルデの言葉に、オーロの声が低くなる。
「……なぜお前があの男の肩を持つ」
それってつまり、ヴェルデはジョシュア様を信じるように言ったって事……?
「ガウワウッ! ガウガウガウウ!」
「煩い! そんな事はお前には関係ない!」
オーロの鋭い声に、僕は思わず身を竦めた。
「……あ……、いや、悪かった……。リョクトを驚かすつもりではなかった」
僕の肩に伸ばされたオーロの手は、僕の肩口で迷った後で引っ込められた。
オーロ……?
オーロは僕の隣に跪くと、僕の手を取った。
「リョクト、私と一緒に竜の里に行こう。私がずっと君を大切にする」
「……どうして、オーロさんは会ったばかりの僕にそんな事を言うんですか……?」
ずっと気になっていた質問がやっとできて、なんだかスッキリする。
「……っ、それは……」
けれど、オーロはそれきり何も言わなくて、結局答えは返ってこなかった。
*** (少しだけオーロ視点)***
リョクトに食事ができそうか確認して、私は廊下に出た。
ヴェルデにリョクトを頼むと、ヴェルデは一言「意気地なし」と言った。
なんなんだあいつは。
あの貴族次男に妙に懐いて。
お前はリョクトの味方じゃなかったのか。
そこまで思ってから、そもそもあの貴族次男はリョクトの敵ではないのか、と思い直す。
それでも、自分にとってあの男は敵以外の何者でもなかった。
今日の昼過ぎに、リョクトが町に入ってきた事は匂いで分かった。
立派な馬車に、ちょっと目を離した隙にあの貴族の手が及んだのかと歯噛みした。
リョクトの匂いを追って宿を見つける。
部屋に向かう途中で見知らぬ男達に止められた。
邪魔する奴らは全部殺してやる。
そう思った矢先、ヴェルデが駆けてきた。
貴族次男は俺を一目見て「ああ、君はリヨが可愛がっていた黒竜か」と言うと、あっさり私を部屋に入れた。
「リヨは竜が人化することを知らないだろう。言わなければ伝わらないのではないか?」
なんでこいつが私の心配をする?
……リョクトにお前を疑わせたのは、私だというのに……。
答えない私を急かすこともなく、気遣うような瞳で見つめるその空色に、私は自然と口を開いていた。
「……言えばリョクトは私の目の事を気に病むだろう」
「ふふ、見かけによらず優しい竜なのだな」
男の声は優しく、温かかった。
男は私と並ぶように壁に背を預けて、私と同じようにリョクトを見つめたまま話す。
「あの時、君を引き渡したリヨは、君が外でのびのび暮らせるのだと思っていたんだ。彼に悪気はない」
「そんなことは、分かっている」
「君には申し訳ないことをしてしまった。できる事ならもう少しだけでも、リヨのそばに居させてやりたかったのだが……私の力不足だ。恨むなら私を恨んでくれ」
そう言われて、私は頭を殴られたような気がした。
私は一体何をしているんだ。
四年以上をかけて。
こんなにリョクトを守ろうとしていた男から、それを取り上げて。
リョクト自身を深く傷つけて。
あんなに明るくまっすぐだったリョクトから、人を信じる心を失わせてしまったのは、この男ではない。私だ。
その上リョクトから衣食住の安全を奪って。
さらには眠る度にうなされるほどに心を病ませてしまったのは、全部私だ。
目を覚ましたリョクトが何か食べられそうだというので、私は宿の厨房で消化の良い食事をと頼む。
食事の完成を待ちながら、背を厨房脇の壁に預けて腕を組む。
リョクトと、貴族次男を傷つけて、それなのに自分の素性だけは明かさずにいた私を、あの貴族次男は「優しい竜」だと言った。
……違う。私はただ臆病なだけだ。
本当に優しいのはあの男だ。
リョクトが惚れるのも当然だとすら思える。
私は……。
オーロという名の私を見上げて微笑み、私に心を開きつつあるリョクトが愛しくて。
その眼差しを失いたくなくて。
本当のことを告げて、リョクトにどう思われるだろうかと……。
そんな些細なことに怯えて勇気を出せないままの自分が、酷く惨めで情けなかった。




