第7話:八歳児、他種族巡礼ツアーのつもりが辺境の森のハードモードっぷりに直面する
新作『エルフの王女にフラれたので、辺境の荒れ地を最強の要塞都市にしてみる 〜日本刀と行政チートで始める他種族スローライフ〜』第7話をお届けします!
前話で「他種族巡礼ツアーの切符を手に入れたぞ!」と盛大な勘違いをしながら、家族の温かい見送り(と涙)を背に実家を飛び出したアラン。しかし、一歩足を踏み入れた辺境の森は、観光気分で歩けるような甘い空間ではありませんでした。次々と襲い来る凶暴な魔物、底をつきかける体力と食料――前世の公務員としての危機管理能力と、これまでに磨き上げたボディコントロールを総動員してサバイバルに挑むアランの姿を、今回もお楽しみください!
【年齢:8歳(少年期・旅立ちの章)】
青空の下、私は軽やかな足取りでクロフォード男爵家の領地を後にした。
背中には最低限の着替えと、父レイモンドから渡されたわずかな旅立ち用の資金が入った小さな革袋、そしてこれまで密かに鍛え上げてきた肉体だけがある。
一般の八歳児であれば、親元を離れて一人で外の世界に出るなど、恐怖で泣き出すか、ものの数時間で野垂れ死にするかの二択だろう。だが、私――前世で数々の過酷な行政事務や理不尽な住民クレーム、さらには深夜残業の修羅場をくぐり抜けてきた元・地方公務員の相原湊の魂を持つ者にとって、この状況は「社畜からの完全解放、および待望の長期有給休暇(他種族巡礼ツアー)」に他ならなかった。
(ふふふ……最高だ。上司からの無茶振りな稟議書もない。無限に続く終わらない予算査定会議もない。あるのは、私と、麗しき他種族たちとの出会いが待つ広大なフロンティアのみ!)
私の足取りは文字通り弾んでいた。
道中、時折吹き抜ける風は心地よく、辺境特有の澄んだ空気が肺の隅々まで染みわたる。
脳内ではすでに、最初の目的地である「エルフの里」や「獣人の集落」で、モフモフとした耳や尻尾を持つ住民たちとどのように心を通わせ、いかにスマートに挨拶を交わすべきかのシミュレーションが完璧に完了していた。
「まずは、やっぱり王道の猫耳族か、それとも神秘的なエルフの村か……。どちらにしても、失礼のないように最低限の異文化理解マニュアルを脳内でブラッシュアップしておかなくてはならないな」
私は独り言を呟きながら、街道から少し外れた、うっそうと木々が繁る「スレイの森」へと足を踏み入れた。
この森を抜ければ、隣接する自治領や、他種族の商隊が往来する街道に出るはずだ――というのが、事前のリサーチ(というか父の古い地図の記憶)に基づく私の予測だった。
だが、この時の私はまだ知らなかったのだ。
人間社会の論理や、前世の行政的なリスク管理の常識が、この「ファンタジー世界の魔物が生息する領域」においては、いかに盛大に通用しないものであるかを。
森に入ってから一時間ほど経過した頃、周囲の雰囲気が急にピリついたものへと変わった。
さっきまで軽やかに聞こえていた小鳥のさえずりがパタッと止み、代わりに木々の隙間から、何者かの不気味な気配がじっとこちらを窺っているようなプレッシャーが肌をチリチリと刺す。
「……ん?」
私はピタッと足を止め、重心を自然な姿勢からわずかに落とした。
日々のボディコントロールによって研ぎ澄まされた五感とインナーマッスルが、空気のわずかな澱み、そして地表を伝わる微弱な振動を正確にキャッチする。
(――来る)
次の瞬間、私の斜め前方の草むらがガサッと激しく揺れた。
飛び出してきたのは、体長が大型犬の三倍ほどもある、漆黒の毛並みを持った野犬型の魔物――「シャドウ・ウルフ」だった。
その口元からは濁った涎が垂れ、黄色く光る鋭い眼光が、獲物を狩る冷酷な光をたたえて私をまっすぐに見据えている。シャドウ・ウルフは群れを好む肉食性の魔物であり、その牙には麻痺性の毒が含まれていることが多い。
「ほう……これが、ファンタジー世界における野生の洗礼というやつか」
私は冷や汗を流すどころか、どこか冷静に、そして物珍しそうにその魔物を観察していた。
前世のテレビのドキュメンタリー番組で見た野生の猛獣とは比較にならないほどの殺気が、ひんやりとした森の空気に乗って直接脳内に叩きつけてくる。
「がおおっ!」
シャドウ・ウルフが低い威嚇音を漏らし、その強靭な後ろ足の筋肉をバネのように縮こまらせた。
次の瞬間、空間を切り裂くようなスピードで、私の喉元めがけて一直線に飛びかかってきた。
(――おっと、速いな)
人間としての純粋な反射神経だけで勝負すれば、間違いなく八歳児の肉体では対応しきれず、一撃で喉を噛み砕かれていただろう。
だが、私にはこれまでの幼少期を通じて毎日欠かさず行ってきた「ボディコントロール」の蓄積があった。
私は無駄な力を一切排除し、右足の親指の付け根と股関節の軸を完璧に同調させる。
思考のスピードは、かつて山積みの行政文書を数秒で処理していた時のそれと完全にリンクしていた。
(――軌道計算、完了。重心移動、前方マイナス五センチ。右手の軌道は最短距離で――)
宙を飛ぶシャドウ・ウルフの巨体が、私にとっては驚くほどスローモーションに見えていた。
私は身体を半身にひねり、牙の軌道を紙一重でかわしながら、すっと相手の懐へと踏み込む。そして、鍛え上げた少年の掌底を、魔物の急所であるみぞおちに正確無比なタイミングで叩き込んだ。
「き……ぅ……?」
魔物は自身の体重と私の放った衝撃のベクトルが綺麗に噛み合ったことで、空中ですさまじい回転を強制され、そのまま背後の太い巨木に盛大に激突した。
「どさっ」という重い音を立てて、シャドウ・ウルフは白目を剥き、完全に気絶して地面に崩れ落ちた。
私はふうっと小さく息を吐き、自分の右手を軽く握りしめて確認した。
「ふむ……。余分な魔力やスキルを使わなくても、体の構造と物理的な重心の乗せ方さえ極めれば、これくらいの魔物なら一撃で無力化できるか。悪くない手応えだ」
我ながら見事な自己処理能力だった。
しかし、その直後である。
「……ガウッ……!」
「グルルル……ッ!」
草むらの奥から、先ほどのシャドウ・ウルフの仲間と思われる気配が、次々と影から現れ始めた。
木々の間から姿を現したのは、一匹どころか、合計で五匹もの飢えたシャドウ・ウルフの群れだった。どの個体も先ほどより一回り大きく、よだれを垂らしながら私を囲い込むようにじりじりと距離を詰めてくる。
「……あ」
私はわずかに眉をひそめた。
一匹だけであれば、ボディコントロールと奇襲でいなすことができた。だが、五匹に包囲された状態での正面戦闘となると話は別だ。今の私の肉体は、あくまで「八歳児の基礎スペックの範囲内で効率よく動いている」に過ぎない。持久戦に持ち込まれれば、体力の消耗が激しい子どもの身体では圧倒的に不利になる。
さらに、頭上を見上げれば、いつの間にか太陽は山の向こうへと沈みかけ、周囲の森はみるみるうちに薄暗い紫色の影に飲み込まれようとしていた。
気温も急激に下がり始め、旅立ち初日にして早くも「野宿、かつ猛獣の群れに囲まれる」という絶望的なサバイバル環境が完成しつつあった。
(待て待て待て……! ちょっと待ってくれ! 私の優雅な他種族巡礼ツアーはどこに行った!? なんだこの、初日からハードモードすぎるサバイバルゲームは!)
私の脳内で、これまでのウキウキとしたお花畑の妄想が音を立てて崩れ去り、代わりに冷徹な現実のスケジュール表が突きつけられた。
宿泊施設なし、食料の備蓄なし、周囲は敵対的な魔物だらけ。これはもう「旅」ではなく、完全に「不法投棄されたサバイバル生活」のそれだった。
「くっ……! こうなったら、一時的な撤退……いわゆる『戦略的転進』を実行するしかない!」
私は背中に背負った荷物の重みを確認しつつ、一瞬で最も生存確率の高い逃走経路を脳内で演算した。
だが、野生の魔物たちが私の思考を待ってくれるはずもない。一番手前にいた大柄なリーダー格のシャドウ・ウルフが、鋭い遠吠えを上げると同時に、一斉に飛びかかってきた。
「しまった……ッ!」
四方八方から迫る牙と爪。
逃げ場のない空間で、私は初めて自分の旅の甘さを痛感した。
――いかに前世の知見とボディコントロールがあろうとも、純粋な戦闘経験や圧倒的な「力」の裏付けがなければ、この広大で残酷な異世界の森では一瞬で命を落とす。
頭上から迫る黒い影を見上げながら、私の脳裏によぎったのは、故郷の家族の顔、そしていつか出会うはずの麗しき他種族たちの笑顔だった。
(ここで死んだら、モフモフを堪能するどころか、私の第二の人生はわずか八年で強制終了ではないか……ッ!)
絶体絶命のその瞬間。
――『静まれ』
突如として、森の空気が凍りついた。
それは声ではない。音すらない。
ただ、その場にいるすべての生き物の背筋を強制的に凍らせるほどの、圧倒的かつ暴力的な「気迫(闘気・プレッシャー)」が、周囲の空間をまるで重力のように押し潰した。
「が、ぅ……!?」
飛びかかろうとしていた五匹のシャドウ・ウルフたちは、その目に見えない圧倒的な圧力の前に、まるで泥人形のようにその場でピタリと動きを止め、恐怖に震えながら一斉に地面へとひれ伏した。
あまりの恐怖に、数匹は気絶し、残りの魔物たちもキャンキャンと情けない鳴き声を上げながら、我先にと森の奥へと命からがら逃げ出していく。
私はその凄まじいプレッシャーの中心地――すぐ目の前の暗がりを見据えた。
そこから、ゆっくりと一人の影が姿を現した。
それは、腰に異様なほど重厚な鉄刀を差し、歴戦の傷跡が刻まれた精悍な顔立ちをした「狼の獣人」の老戦士だった。
銀髪の毛並みにはかすかに白みが混じりつつも、その体から放たれる生命力と圧倒的な武威は、先ほどの魔物たちを子供扱いするほどの格の違いを知らしめていた。
それが、私の運命を根本から叩き直すことになる師匠――ガロウとの、あまりにも劇的な出会いだった。
「おい、人間の子どもよ。こんな深い森の奥で、一人で何をやっている。死にたいのか?」
ガロウの低く、芯のある声が、静まり返った森に響き渡った。
私はその圧倒的な「狼の獣人」の姿を目の当たりにし、恐怖よりもむしろ、胸の奥底から熱いものがこみ上げてくるのを抑えられなかった。
(――す、すごい……っ! これが、本物の獣人の戦士……! なんて美しく、なんて強靭な気迫なんだ……!)
私の目は、恐怖ではなく「他種族への狂おしいリスペクトと感動」でキラキラと輝いていた。
ここから、私の「泥臭く、しかし最高にカッコいい剣士への道」が、本当の意味で幕を開けることになる――。
第7話をお読みいただき、ありがとうございます!
ウキウキ気分で実家を飛び出したアランでしたが、辺境の森の容赦ない現実に直面し、絶体絶命のピンチに陥る展開を描きました。
前世の公務員脳とボディコントロールで何とか切り抜けようとするものの、群れを相手に限界を迎えたその瞬間、いよいよ本作の最重要キャラクターである狼の獣人・ガロウが颯爽と登場する熱い引きとなりました!




