第5話「忘れられた少年」
鐘の音は、灰色の空を震わせるように鳴り続けていた。
ゴォォン……
ゴォォン……
遺失時界の町にいた人々は、その音を聞くと一斉に立ち止まった。
誰も空を見上げない。
ただ静かに目を閉じる。
まるで、その音が恐ろしい知らせであることを知っているかのようだった。
黒崎はユイを見る。
「何の音だ?」
ユイは少しだけ表情を曇らせる。
「時間が、また消えた。」
「また……?」
「向こうの世界で、一週間がなくなった。」
黒崎の胸がざわつく。
「そんなことが起きたら、大騒ぎになるだろ!」
「ならない。」
ユイは首を振る。
「みんな最初から一週間なんて存在しなかったって思うから。」
その言葉は、黒崎の心を深くえぐった。
その時、さっきの少年が再び姿を現した。
今度は逃げなかった。
ゆっくりと二人に近づいてくる。
「……本当に、生きてる人なんだ。」
黒崎はうなずいた。
「君は?」
少年は少し黙り込んでから答えた。
「アオ。」
「ここで暮らしてるのか?」
「生まれた時から。」
黒崎は思わず聞き返す。
「生まれた時から?」
「うん。」
アオは当たり前のように言う。
「ここしか知らない。」
黒崎は信じられなかった。
「ここで生まれたってことは……君の親は?」
アオは町の奥を指差す。
そこには小さな家があった。
「母さんはいた。」
「父さんは?」
「知らない。」
「今は?」
アオは静かに笑う。
「母さんも忘れられた。」
「……え?」
「ここでも、人は消える。」
黒崎は息をのんだ。
ユイが小さく補足する。
「遺失時界でも、誰にも思い出されなくなった人は、さらに奥へ消える。」
「さらに奥?」
「まだ誰も帰ってきたことがない場所。」
アオは二人を町の外れへ案内した。
そこには、一本の大きな木が立っていた。
葉は一枚もない。
白く枯れた幹には、無数の名前が刻まれている。
黒崎は近づいた。
名前の一つに触れる。
すると突然、頭の中に知らない景色が流れ込んできた。
笑い声。
家族。
夕焼け。
誕生日ケーキ。
そして——
真っ白な病室。
心電図の音。
泣き崩れる少女。
「……!」
黒崎は慌てて手を離した。
映像は消えた。
「今のは……。」
アオが答える。
「その人の最後の記憶。」
「どうして見えた?」
「この木は、忘れられた人の記憶を残してる。」
黒崎は木を見上げた。
幹には数え切れないほどの名前が刻まれている。
何万。
何十万。
いや、それ以上かもしれない。
「全部……。」
「うん。」
アオは寂しそうに笑う。
「誰にも思い出されなくなった人たち。」
その時だった。
ドンッ——
地面が激しく揺れた。
遠くで土煙が上がる。
灰色の空に、大きな黒い亀裂が走っていた。
「何だあれ!」
黒崎が叫ぶ。
ユイの顔色が変わる。
「まずい……。」
アオも震え始める。
「来る。」
地鳴りは次第に大きくなる。
ズシン……
ズシン……
巨大な何かが近づいていた。
霧の向こうから、ゆっくりと黒い影が現れる。
それは人の形をしていた。
だが、顔がなかった。
頭には時計の文字盤。
体中から黒い砂がこぼれ落ちている。
身長は十メートル以上。
その異形は、一歩進むたびに周囲の景色を色あせさせていく。
黒崎は息をのんだ。
「……あれは何だ。」
ユイは震える声で答えた。
「時喰い(ときぐい)。」
「時喰い?」
「消えた時間を食べ続ける存在。」
時喰いはゆっくりと顔のない頭をこちらへ向けた。
その瞬間、黒崎の腕時計が止まる。
そして、時喰いが一歩踏み出した。




