第6話「時喰い」
黒崎の腕時計が、音もなく止まった。
秒針は「12」の位置で固まり、それ以上一歩も進まない。
スマートフォンの画面も消えた。
空気が重くなる。
まるで世界そのものが息を止めたようだった。
「動くな。」
ユイの声は小さいが、張りつめていた。
「目を合わせちゃだめ。」
黒崎は視線を逸らそうとする。
しかし、巨大な異形から目が離せない。
時計盤のような頭部には数字がない。
あるのは、何本もの針だけ。
針はバラバラの速度で回り続けていた。
速く。
遅く。
止まり。
また逆回転する。
見ているだけで頭が痛くなる。
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ズシン。
ズシン。
時喰いが一歩近づく。
その足元から灰色の波紋が広がり、花は枯れ、建物の色は失われていく。
黒崎は気づいた。
色だけではない。
音も消えている。
風の音。
鳥の声。
自分の足音さえ聞こえない。
「時間を……食べてる。」
黒崎は無意識にそう呟いた。
ユイは静かに頷く。
「時間だけじゃない。」
「え?」
「時間と一緒に、その時間にあったもの全部。」
アオが黒崎の腕を掴む。
「逃げよう!」
三人は町の中を駆け出した。
だが、時喰いは急ぐことなく歩き続ける。
それでも距離は縮まる。
まるで逃げる先を知っているようだった。
「なんで追ってくるんだ!」
黒崎が叫ぶ。
アオは振り返らずに答える。
「生きてる人を見つけると離さない!」
「どうして!」
「生きてる時間が、一番おいしいから!」
細い路地へ飛び込む。
その瞬間、目の前に小さな女の子が立っていた。
五歳くらいだろうか。
ぬいぐるみを抱え、泣いている。
「ママが……どこにもいない……。」
黒崎は立ち止まる。
「君、一人なのか?」
女の子は頷く。
「ずっと待ってるの……。」
ユイが苦しそうな顔をする。
「黒崎さん。」
「どうした?」
「その子……。」
ユイは唇を噛んだ。
「もう何十年も待ってる。」
黒崎は少女を見る。
時間が止まったように幼いまま。
服も古い。
だが瞳だけが、生きていた。
「ママは帰ってくる?」
そう尋ねられた黒崎は、答えられなかった。
ドォン!!
地面が揺れる。
時喰いが路地の入口まで来ていた。
狭い道など関係ない。
建物をすり抜けるように進んでくる。
壁が崩れない。
ガラスも割れない。
だが、通り過ぎた場所だけが「存在しなかったこと」になっていく。
「黒崎!」
アオが叫ぶ。
黒崎は少女を抱きかかえ、走り出した。
町を抜けると、大きな広場へ出た。
広場の中央には、巨大な時計台が立っている。
時計の針は止まり、文字盤には無数のひびが入っていた。
ユイが叫ぶ。
「あそこ!」
四人は時計台へ駆け込む。
入口の扉を閉めた瞬間——
ドンッ!
時喰いの手が扉に触れた。
黒い砂が隙間から入り込む。
その砂が床に落ちた瞬間、木目が消えた。
床板そのものが「最初から存在しなかった」ように穴が開く。
黒崎は息を呑む。
「あいつ……壊してるのか。」
ユイが首を振る。
「違う。」
「消してるの。」
時計台の最上階。
そこには古びた机が一つ置かれていた。
机の上には、一冊の分厚い本。
革表紙には金色の文字が刻まれている。
『時間観測記録』
アオの顔色が変わる。
「そんな……。」
「知ってるのか?」
「伝説だよ。」
アオは震えながら本を見つめる。
「この本には、まだ消えてない未来が書いてあるって。」
黒崎はゆっくりと本を開いた。
ページは白紙だった。
一枚。
また一枚。
何も書かれていない。
だが、最後のページだけには、赤い文字が浮かび上がっていた。
> 次に消えるのは、「七日間」ではない。
次に消えるのは――「記憶」である。
その瞬間、時計台全体が激しく揺れた。
時喰いが壁をすり抜け、中へ入ってきた。
そして初めて、その口が開く。
人の声ではない。
何百人もの声が重なったような響きだった。
> 「──見つけた。」
黒崎たちは、その声の意味をまだ知らなかった。




