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盲目の蛇女は始まらない  作者: 甘味処 雨
起きはじめ
6/15

さあ、行こう

少女はしばらく黙ったまま、手元の石を見つめていた。


やがて、ゆっくりと頷く。


小さく——けれど確かな動きだった。


「……うん」


それだけ答えて、彼女は棚の前へ向かう。


布や衣服を取り出すが、その手つきはどこか慎重すぎる。


どれを選ぶべきか、迷っているようにも見えた。


僕はそれを見て、軽く息を吐く。


「貸して」


短く言う。


少女の手が止まる。


少しの間のあと、差し出された外套を受け取る。


近くの椅子に腰を下ろし、布の状態を確かめる。


思っていたよりも傷みは少ない。


だが、細かいほつれがあちこちにあった。


「……ちゃんと手入れはしてるんだな」


独り言のように言いながら、腰に下げた小さな袋に手をやる。


革の擦れた音が、小さく鳴る。


紐をほどき、中を探る。


指先に触れたのは、使い込まれた針と、巻かれた糸。


取り出して、軽く確かめる。


少し色の褪せた糸だったが、まだ十分に使える。


少女は少しだけ驚いたように、こちらへ顔を向ける。


「できるの?」


「まあな」


短く返す。


「旅してると、だいたいのことは自分でやる」


それ以上は言わない。


手を動かす。


糸を通し、布を引き寄せ、ほつれを丁寧に拾っていく。


静かな時間だった。


針が布を抜ける小さな音だけが、部屋に落ちる。


少女はその音を聞いているようだった。


やがて、最後の糸を結び、軽く整える。


「これでいい」


立ち上がり、外套を差し出す。


少女はそれを受け取り、ゆっくりと羽織る。


深くフードを被る。


そして、目元の布に手を添える。


少しだけ、きつく締め直す。


「……目は」


小さく、呟く。


「出したくないの」


僕は何も言わず、ただ頷く。


少女はそのまま、胸元を整える。


そのとき——


外套の裾に、わずかな違和感が目に入る。


さっき、針を通したときには気づかなかったものだ。


糸の流れが、ほんの少しだけ歪んでいる。


目を凝らす。


それは、刺繍だった。


布とほとんど同じ色の糸で、目立たないように縫い込まれている。


だが、形ははっきりしていた。


細く、長く、うねる線。


絡みつくように輪を描く——


小さな、蛇。


僕はそれに触れはしない。


ただ、もう一度だけ確かめるように見てから、視線を上げる。


少女は、すでに準備を終えていた。


石を胸元に収め、フードの影の中で静かに立っている。


外へ出る覚悟と——


まだ消えきらない不安を、そのまま抱えたまま。


少女は外套の裾を指先でなぞる。


縫い目を確かめるように、ゆっくりと。


それから、少しだけ顔をこちらへ向ける。


「……持っていくものは、わかるけど」


小さく言う。


「置いていくものは?」


問いは静かだった。


けれど、どこか真っ直ぐだった。


僕は一瞬だけ考えて——


ふっと、笑う。


「そうだな」


肩をすくめる。


「昨日までの自分、かな」


軽く言ったつもりだった。


けれど、言葉は思ったよりも静かに落ちた。


少女は動かない。


布の奥の視線が、こちらに向けられている気がする。


「……それって」


少しだけ間を置く。


「怖くないの?」


僕は少しだけ考えて、答える。


「怖いよ」


正直に言う。


「でも」


ほんのわずかに、視線を外へ向ける。


「持っていくには、重すぎることもある」


それだけ言って、口を閉じる。


少女はしばらく何も言わない。


ただ、胸元の石に触れる指先が、わずかに動く。


「……じゃあ」


小さく、呟く。


「私は、何を置いていけばいいんだろう」


その問いは、誰に向けたものでもなかった。


僕は少しだけ考えてから、口を開く。


「全部を持っていこうとしなくていい」


静かに言う。


「なにか一つでいい」


少女の方へ視線を戻す。


「大事なものを、心にとどめておくんだ」


間を置く。


その言葉が落ちるのを待つように。


「それさえ守れれば」


ゆっくりと続ける。


「昨日までの自分を置いていったとしても」


ほんの少しだけ、声がやわらぐ。


「捨てたことにはならない」


静かな言葉だった。


押しつけるでもなく、ただそこに置かれるような。


少女は動かない。


けれど——


胸元の石に触れる指先が、ほんのわずかに強くなる。

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