氷のレッスン室【後編】①
スタジオにドラマチックな音楽が響き渡る。
先ほどまでトゲのある態度をとっていた氷華だが、曲が始まった瞬間、その空気感は一変した。
流れるような黒髪ロングが、激しいダンスの動きに合わせてしなやかに舞う。
寸分の狂いもないステップ、安定した声量、歌詞の情景をなぞる正確な視線配り。
(すごい、隙がないな)
パイプ椅子に座り、頬杖をつきながら俺はその光景を眺めていた。
世間が彼女を『氷のアイドル』と呼んで持て囃すのも理解できる。
ビジュアルは完璧、ダンスも歌も文句なしの100点満点。だが——間近で見ていて、俺が感じたのは圧倒的な凄みではなく、どこか息苦しいくらいの緊張感だった。
(……ずっと肩に力が入ってんな。あんなガチガチな張り詰め方してたら、途中で息切れしそうなのに)
曲の終盤、クライマックスのセリフパート。
彼女は絶望に打ちひしがれながらも強がるアイドルを演じきり、最後のポーズを決めた。
静寂が戻ったスタジオで、氷華は胸を上下させながら息を整え、ゆっくりと俺の方を振り向いた。
そのアイスブルーの瞳には、「文句の付けようがないでしょう」と言いたげなプライドが滲んでいる。
「……どうかしら。これが、私が今出せるクオリティよ」
「うん、すごいすごい。ダンスも歌もめちゃくちゃ上手いね」
パチパチと気の抜けた拍手を送ると、氷華の眉が不機嫌そうに寄った。
「……適当なお世辞を聞きたいんじゃないわ。サポート科として、何か指摘することはないの? それとも、完璧すぎて何も言えないのかしら」
「いや、お世辞じゃなくて本当に上手いと思うよ。ただ……」
俺はあくびを噛み殺しながら、ぽつりと呟いた。
「そんなに『失敗しないように』ってガチガチになって演じてて、疲れないのかなーって思って」
「……は?」
氷華の動きが、ピタリと止まった。
——その頃。
校舎最上階の理事長室では、大野源一郎がモニターに映し出された第3スタジオの防音カメラ映像を静かに眺めていた。
彼の傍らに立っているのは、サポート科の学年主任を務めるベテラン講師だ。
「理事長……本当に久瀬湊を、彼女たちの担当にしてよかったのですか? 確かに彼は10年前、国民的な天才子役として名を馳せましたが、今はすっかり牙を抜かれ、無気力そのものです。サポート科としての実績もありません」
講師の疑問に対し、大野は重厚な革椅子に深く体を預け、楽しそうに目を細めた。
「ふふ、お前には見えんか。湊の真の恐ろしさが」
「恐ろしさ……ですか?」
「10年前、なぜあいつがあれほどまでに『天才』と称えられ、どんなベテラン俳優と共演しても現場を支配できたと思う?」
大野は思い出すように昔目を細めた。
「あいつの本当の才能は、圧倒的な自己表現などではない。『相手の演技と人間性を極限まで観察し、完璧に合わせる才能』だ」
「相手に……合わせる?」
「そうだ。あいつは相手の呼吸、演技の癖、隠された感情の揺らぎ、果ては本人の自覚していない限界までを瞬時に観察し尽くす。そして、その相手が『一番美しく輝く瞬間』を完璧に引き出すように、自分の演技をミリ単位で調整してみせるのだ。……相手を輝かせることで、結果的に自分自身も怪物として舞台に君臨していたのさ」
大野はモニターの中で、だるそうに頬杖をつく湊の姿を指差した。
「サポート科の仕事は、自分を引き立たせることではない。相手の魅力を極限まで引き出し、導くことだ。……観察と合わせの天才であるあいつ以上に、あの問題児たちの『裏方』に向いている人間が、この学園のどこにいるというのだね?」
理事長のどこか自慢げな笑い声だけが理事長室に響いていた。




