書道実習・真行草
長陽高校の特色の一つである古都学は、古都を中心として日本で栄えた伝統文化を学ぶ授業だ。俺たちのクラスではよりによって月曜日の7時間目という一番やる気がでない時間帯だ。しかも今回は翌日が祝日と尚更集中力が出せない。
「書道の講義を始めます。今回は、同じ文字を楷書、行書、草書で書き比べて文字や筆使いの違いについて学んでいただきます」
特別講師の先生が黒板に3枚のお手本を張り出す。一番左は活字で良く見る形だから「長」とわかるが、中央は線や点の一部がつながって読みにくい「長」、右は並んでいるから推測できるものの、一枚だけなら「屯」に見える。
「書ける人は書けるところまで順に書いて見せてください」
クラスのほぼ全員が小学校から書写の授業を受けているし、5月にも書道の授業があった。そのため、石上以外は全く書けないわけではない。どうしても教室はざわつき緩んだ空気になる。
「石上さんは筆の扱いからですね。今回使うのは大筆という少し大きめのものですが、持ち方自体はペンと変わりません。親指、人差し指、中指の3本で持ってみてください」
講師が自分の筆を持ちながら石上に見せると、石上も同じように配られた筆の穂の少し上の部分を持つ。そして、言われるまま墨汁に付ける。
「太いですが絵の筆と同じ使い方ですね」
「墨は穂の根元までしっかり浸みこませてください。そうしたら、半紙に真上からまっすぐ下ろしてみましょう」
ただ、真上からと言われても穂が左上に向くようにしないといけないし、時間をかけると墨が紙に滲んでしまう。ちょうど良い加減で線を引くのは難しい。石上は困った顔をして講師を見た。
「水彩画とは違うようです」
「筆の持ち方はよろしいので、あとは練習あるのみです」
講師が他の生徒を見に行った後も石上は何度も線を引いているが、思った通りに書けないのか首をかしげている。そのまま気になってしばらく石上の方を見ていると、一画ずつ筆の墨を調整することで、それらしくはなってきたようだ。
「墨の量を少なくすれば線は書けそうです。でも、この方法では文字というより模様を描いているようですね」
「楷書は一画一画が短いので時間をかければある程度は読める文字になります。ですが、行書や草書は点画のつながりや省略を意識した一続きの筆運びで書くから難しい。まずは基礎となる楷書を正しくスムーズに書けるようになることが何より大事です」
皆が飽きてきたころを見計らってか、教室に講師の声が響く。
「楷書、行書、草書の3種類のうち、歴史的には草書の方が先にできています。一方で現代では馴染みのある楷書を練習してから行書、草書と崩し字を学んでいく流れが標準です。この整ったものから徐々に崩れていく流れは真行草として多くの伝統文化で見られるものです」
真・行・草は多くの日本文化にある重要な概念だ。真が最も格式張っていて、草がくずしたもの、行がその中間にあたる。ただし草のくずしたものとはいい加減なもののことではない。草書にお手本があるように、正しいくずし方でくずしたものを指す。茶道でも、たとえば基礎である礼の仕方には真・行・草の3種類があり、状況で使い分けている。さらに俺の修める流派には真点前、行点前、草点前の3つの奥義がある。最も格調高い真点前に対して適切にくずした侘び寂びの風格を備えるのが草点前と言われている。
俺は楷書、行書を納得できる程度に書き上げた。おそらく筆の扱いはクラスでも慣れている方だと思う。現在でも茶道の招待状などは筆で書くことが正式とされているから、多少は練習している。しかし、草書ほどの略字で書くことはまずないせいで、筆運びがうまくいかない。
結局授業時間のほとんどを草書に使ったが、楷書や行書と比べると稚拙で、曲がりは急ではねへの繋がりが悪く角ばって見える。
ふと前を見ると、完全に飽きたらしい日下部がこちらを見ているのに気が付いた。
「お前も書けないのか。意外だな」
「俺は何でもできるわけじゃない。」
日下部から顔をそらすと右から石上も俺の行書と草書を興味深げに眺めてきた。
「永海くんは何でも卒なくこなすと思っていましたよ」
「これは経験で何とかしているだけだ。生け花だって、茶道に含まれるから何度もやったし、それでも茶花の範囲しかできなくて華道へ応用したりはできない」
どちらかと言えば筆使いを掴んで楷書をある程度形にした石上の方がよほど器用だと思う。そう伝えると、石上は悔しそうな顔で否定した。
「私は最初にそれらしくできるだけです。書道の基礎を書道の応用にするようなことが苦手ですし、茶道のように多くのことをするのはもっと苦手です」
俺は、その言葉にはっとさせられた。




